心は秘密

仏心に住して菩薩のように語るブログ

宗教と治病

2020-05-22 14:17:47 | 日記
今般のコロナ禍に因んで、宗教が治病に関わる事柄についても、経典の言葉などを参照しつつ考察してみたいと思います。というのも、ふと聖書にある、イエスによって為された奇跡的治病の話を思い出したからです。


記憶を頼りに仏典を開いていると、法句譬喩経の中から、重病で床に就いた一般庶民の一人を、お釈迦様が見舞ったときの話が目に留まりました。その時お釈迦様は、「身体の悪寒や熱気は医薬を用いて治し、心の治癒は仏の教えや戒めを保って善処しなければならない」と諭しています。これは私たち現代人にとっても、ほぼ違和感のない言い分に聞こえるのではないでしょうか。


しかし「悪寒や熱気は医薬を用い」と云っても、お釈迦様の時代には、この度のコロナ禍のような疾病に効力のある医薬の調達はできなかっただろうし、大勢の感染者や死者が出たりして、大変な騒ぎになったかもしれません。このように適切な医薬が無かった疾病と云えば、例えば眼病で失明した人に視力を取り戻させる治病だとか、難聴の人に聴力を取り戻させる治病等々と、イエスによって為された奇跡的治病に類似した問題に対しても同様ですが、こういう難病に対しても、我が国では宗教的対応策の足跡も見付かります。


一つには密教でお馴染みの加持祈祷に類するもの。或いは神社でも発行されている「無病息災」や「当病平癒」などの御札による心の癒し。或いは寺院の境内などで見掛ける「なで地蔵」のような尊像にまつわる霊験の類。このようなものもまた、やはり生薬類での治癒が望み難い難病や不具合の治癒を願った対処法であったと云えるでしょう。


ここでよく問題になるのは、このような対処法が、願いを叶える効力のない、単なる迷信事に過ぎないのではないかという指摘ですが、これは身体と心の相互作用のことを考えると、一概に迷信事として片付けられない問題のようにも思われます。


ことわざにも「病は気から」と云いますが、「自分の病気は重い」と思っていると、ますます気力も萎えて食欲も落ち、体力も衰える一方ですが、何らかの信頼できる助言を得るなどして、「自分の病気は軽くて、すぐ治る」と思ったときには、途端に気分が良くなったというような経験は、一度と云わず二度三度と、誰にでもあるのではないでしょうか。


この「病は気から」に類する心理作用を有効に生かす目的で、加持祈祷、或いは無病息災を祈願した御札、或いは「なで地蔵」などを発案し、信者の心の不安を取り除いて安心や希望を与え、延いては身体の免疫力を高めることにも貢献していたのだと考えると、宗教と治病の結びつきの中には、「信仰の力」というものが深く関わっていることも、明らかになってくるのではないかとさえ思われるのです。



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