仏教を学ぶ者は多いが、彼岸へと解脱して仏陀に至る者は極めて少なく、多くは生死の此岸の岸辺に沿って、只々空しく走り回るだけである。
そこに私の研究成果の出番もあろうか。原始仏典から密教経典までを消化した仏教のエキスを、忙しい現代人向けに、易しく簡素化したものが出来上がったからである。
しかし、この新しい仏道の修法を、何時、どこで、どのような方法で、欲する人の手元に届けたらよいのだろうか。公開が有効に役立つ適切な場を見付けることが難しい。
そこに私の研究成果の出番もあろうか。原始仏典から密教経典までを消化した仏教のエキスを、忙しい現代人向けに、易しく簡素化したものが出来上がったからである。
しかし、この新しい仏道の修法を、何時、どこで、どのような方法で、欲する人の手元に届けたらよいのだろうか。公開が有効に役立つ適切な場を見付けることが難しい。
心の中に魔の声らしきものあり、「止めておけ、通じる相手なんか居やしない」と。この声が、余りにもリアルに心に響く。
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