清水寺が選んだ
2022の漢字は「戦」だそうです
本当に悲しいけれど
ウクライナからの
胸が潰れそうな
酷いニュースを見聞きした1年だった
2012年から
ずっと自分の今年の漢字を
考えている
2012年 独
2013年 籠
2014年 曲
2015年 変
2016年 霞
2017年 活
2013年 籠
2014年 曲
2015年 変
2016年 霞
2017年 活
2018年 満
2019年 米
2020年 疫
2021年 読
今年は
「失」です
今年の心象を表すなら
「喪失」が一番ぴったりくる
でも一文字だけ選ぶなら
「失」かなあ
「僕を探して」の絵本のように
ポッカリと欠けた部分が
とても痛く寂しいと思う
100歳以上は長生きするだろうと
思っていた父が
母の死後1年3ヶ月後に
突然亡くなって
(「後を追うように」と
言う人もいた)
この世から私の親はいなくなった
子どもの頃から
両親は末っ子の弟を
とても大切にしているのがわかって
ずっと弟に嫉妬してて
成績のいい姉に比べて
「あんたはダメだ」と
叱られてばかりだった記憶しか
残ってない
ティーンエイジ以降は
両親のことは大嫌いで
憎いとさえ思っていたから
こんな私が両親の死に
こんなに喪失感を感じるとは
予想していなかった
大好きだろうと
大嫌いだろうと
憎かろうと
私の両親は
私のアイデンティティの
基盤を形成しているんだと思った
その基盤が無くなって
グラグラするような
歳をとっても
子どものことを1番に思い
守ってくれていた親が
いなくなって
心細く思うような
この喪失感は
こんなにも重大なものだとは
自分の身に起きてみて
初めて知ったから
今までゴーンさんのお母さんが
亡くなった時とか
友達のお父さんが
亡くなられた時とか
その悲しみを
全然理解していなかったなと思う
今年大きく穴があいて
ポッカリしている隙間に
来年からまた
いろいろな思い出を
少しずつ詰めて
しっかりしていけたらいいな
と思う
ちなみに
父が亡くなって
1ヶ月くらい経った頃に
その時の心情を
記事にしてたのだけど
その時はアップしてなかった
当時の不安定な気持ちは
今、だいぶ和らいできた
削除してしまうと
この時の気持ちを
忘れてしまうと思うので
ここに記録しようと思います
「父とのこと」
2022, 4/17
父が亡くなって
自分がこんなに
ダメージを受けるとは
想像していなかった
考えると涙が出るから
考えないようにしてる
仕事の関係で
お休みをもらった時
父が亡くなったことを伝えた人は
知っているが
それ以外の人には
こちらからは伝えていない
久しぶりに会った人に
「久しぶり!
どうしてました?」
と言う話になっても
2年ぶりに金沢旅行に行ったり
花見に行った話はするけれど
父が亡くなったことは言わない
話すと泣きそうになるから
やはり
父が弱ってきたのを見ていて
「ああ、これは長くないかも」
と、漠然と覚悟できていたら
納得できていたのかも知れない
でも本当に元気で
まだまだあと10年は
元気に過ごしそうに
思っていたから
100はゆうに超えるだろうと
思っていたから
今度の12月は
父の卒寿だな…と
その日が来ることを
全く疑っていなかったから
まだ納得できていないのだ
買い物していると
高齢の人達に目がいく
杖を2本両手に持って
恐ろしくゆっくりゆっくり
歩いておられる方や
介助者が押す車椅子に
乗っておられる方もいる
父は杖なしで闊歩し
正座だって楽々できていた
快活で朗らかで
趣味や畑仕事にエネルギッシュに
しっかりと自立した生活を
送っていたのに
なんでなんで
父の方が先に死んでしまったのだと
人として最低なことを考える
あの時の電話が最後になると
これっぽっちも
予想していなかった
同じようなこと
大切な人を事故や事件で
突然亡くされた方も
感じていると思う
未だに突然の死を
受け入れられないのもあるが
これから三回忌までは
親戚の多い山口の実家で
執り行うだろうけど
それ以降は弟の住む
香川の方でやっていくことになる
お墓もそっちにある
両親の家は取り壊して
土地は売りに出すことになる
そうなるともう
実家に帰省することもない
子どもの頃から住んでいた
あの家も
故郷とのつながりも
無くなってしまうような
喪失感に圧倒されるのだ
私が住んでいた頃から
すごく不便な所だったけど
今は更に過疎化が進んでいる
それでも
自然に囲まれた場所で
海で遊び
山で遊んだ私の子ども時代は
かけがえのないものだったと思う
もう帰ることもないのかな
と、思うと
とても寂しい
今、映画を見たいという
気持ちに全くならないし
本も読みたくない
ピアノも弾きたくない
食欲はあるし
眠れているし
ちゃんと仕事に行って
毎日を楽しんでいるけれど
ちょっと
心のエネルギーが
弱くなっているなーと感じる
東日本大震災の後も
こんな感じだった
まあ、当然でしょうと思うけど
気をつけないと
ちょっと良くないな
とも思う
そう客観的に思えるだけ
まだ大丈夫だとも思う
突然の別れを
未だに受け入れられないのと
同じように突然に
故郷とのつながりが切れてしまう
喪失感を
未だに処理できないのだ
もう少しすると
落ち着くのかな…
きっと数年経って
読み返したら
「ああ、そんな風に
思ってたのか」
と、意外に思いそうな気がする
時間というのは優しい
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