フォトエッセーまなざしの行方(沖縄タイムス文化面2009.2.2)
「たゆたう視線と世界観」
昨年東京近代美術館で開催された「沖縄・プリズム」展に「アーサ女」という
写真と映像作品を発表した。海藻のアーサを身体にまとい、浮きつ沈みつ沖縄の近
海を漂っている「アーサ女」の視点で沖縄を見つめ、新たな沖縄像を発見すると
いうテーマの作品だ。
「沖縄プリズム」展でも過去から現在まで沖縄に注がれてきたまなざし、「内なる
視線」「外なる視線」を乱反射させ、今まで闇だった箇所に光を当てることで立
ち上がる新しい表現というものを求めていた。
私はそれを受けて「戦争」「基地」「観光」「自然・文化・芸能・癒し」など、
これまで語られて身体化し、無意識に定着させてしまった沖縄像を自分なりに解体して
新しい目で見た表現を試みた。
「アーサ女」にはひげがついている。身体にまとわりついたアーサがいつの間に
か口元をひげのようにかたどっているのだ。自分の中で身体化してしまったあるイメー
ジを解体するため、新しい身体に変革しようと海に飛び込み、形を流動的に変え
ながら絶えず循環し息絶え絶えに不安定に死と生の間を、女から男に男から女に
性別をまたいで行ったり来たりする「アーサ女」は変身物語として読めなくもな
い。
心理学など勉強しなければとても説明できることではないけれど、「世界」を
見る為に今までにない新しい目を持とうとする事はいかに大変なことか、死の危
険も孕むような精神・身体改革が必要なんだと改めて思った。
制作途中、ある評論家とお互いの近況を話す機会があった。その人は子ども番
組で戦隊モノに出演する女性戦闘士の描き方を、ジェンダーの観点で分析している
と言った。私もある意味、戦隊モノの変身系アート作品に取り組んでいるところ
だと笑って返した。
だが展覧会が始まり、ある思想家に「アーサ女はもうすでに人間じゃない、あなた
人間じゃないのよ」と言われた。その言葉は変身説より突拍子なく、驚いた。
「アーサ女」は人間ではなく海藻そのものであり、島を「内」や「外」から「
見る」「見られる」という視点の構図を外したのかもしれない。
もしそんな視点を持てたのだとしたら、それは新しい沖縄を見るための第3の目
として「アーサ女」が生まれて来たのだろう。
「アーサ女」が生まれるまでの過程に起こった心的変化には「謎」がたくさん
ある。作った本人もすぐに解読できない「謎」があるのが芸術作品だろうと思う
し、制作後の「謎とき」が次の創作意欲をかき立て、作り続ける力になっている
気がする。(おわり)
◇写真説明:県内各地の海で撮影した映像作品「アーサ女」のワンシーン。
沖には「海上保安庁」と書かれた船がある=(2008年9月、名護市辺野古沖)
「たゆたう視線と世界観」
昨年東京近代美術館で開催された「沖縄・プリズム」展に「アーサ女」という
写真と映像作品を発表した。海藻のアーサを身体にまとい、浮きつ沈みつ沖縄の近
海を漂っている「アーサ女」の視点で沖縄を見つめ、新たな沖縄像を発見すると
いうテーマの作品だ。
「沖縄プリズム」展でも過去から現在まで沖縄に注がれてきたまなざし、「内なる
視線」「外なる視線」を乱反射させ、今まで闇だった箇所に光を当てることで立
ち上がる新しい表現というものを求めていた。
私はそれを受けて「戦争」「基地」「観光」「自然・文化・芸能・癒し」など、
これまで語られて身体化し、無意識に定着させてしまった沖縄像を自分なりに解体して
新しい目で見た表現を試みた。
「アーサ女」にはひげがついている。身体にまとわりついたアーサがいつの間に
か口元をひげのようにかたどっているのだ。自分の中で身体化してしまったあるイメー
ジを解体するため、新しい身体に変革しようと海に飛び込み、形を流動的に変え
ながら絶えず循環し息絶え絶えに不安定に死と生の間を、女から男に男から女に
性別をまたいで行ったり来たりする「アーサ女」は変身物語として読めなくもな
い。
心理学など勉強しなければとても説明できることではないけれど、「世界」を
見る為に今までにない新しい目を持とうとする事はいかに大変なことか、死の危
険も孕むような精神・身体改革が必要なんだと改めて思った。
制作途中、ある評論家とお互いの近況を話す機会があった。その人は子ども番
組で戦隊モノに出演する女性戦闘士の描き方を、ジェンダーの観点で分析している
と言った。私もある意味、戦隊モノの変身系アート作品に取り組んでいるところ
だと笑って返した。
だが展覧会が始まり、ある思想家に「アーサ女はもうすでに人間じゃない、あなた
人間じゃないのよ」と言われた。その言葉は変身説より突拍子なく、驚いた。
「アーサ女」は人間ではなく海藻そのものであり、島を「内」や「外」から「
見る」「見られる」という視点の構図を外したのかもしれない。
もしそんな視点を持てたのだとしたら、それは新しい沖縄を見るための第3の目
として「アーサ女」が生まれて来たのだろう。
「アーサ女」が生まれるまでの過程に起こった心的変化には「謎」がたくさん
ある。作った本人もすぐに解読できない「謎」があるのが芸術作品だろうと思う
し、制作後の「謎とき」が次の創作意欲をかき立て、作り続ける力になっている
気がする。(おわり)
◇写真説明:県内各地の海で撮影した映像作品「アーサ女」のワンシーン。
沖には「海上保安庁」と書かれた船がある=(2008年9月、名護市辺野古沖)