山城知佳子  プカリー水辺の物語 ー

  YAMASHIRO Chikako
水面に漂う水草物語

映画『惑星ソラリス』『スモーク・シグナル』

2009年07月22日 | 映画
いま桜坂劇場でやっている『惑星ソラリス』を見た。
冒頭と最後の水草とさざ波が美しいこと。
始まりあたりにたっぷりと時間を使って表現しているところが今の映画にはちょっとない時間感覚と
タルコフスキー感覚に浸りました。前日から展覧会準備等で寝不足ともあり、ほんとに寝てしまいそうに
なりましたが、中盤から最後まで目が離せない展開。
思考をもった宇宙空間が夢の中で見たイメージを現実物質に変えていく。恐ろしいイ。


ジェームス中川さん・トモ子さんお薦めの『スモーク・シグナル』もいい映画でした。
ポストコロニアズムとジェンダー差別
父性の喪失から生まれる内側に向けられる暴力
アル中、DV、パワーによって虚勢された男の誇りの喪失感、孤独が家族に暴力になって向けられていく
その被害は女と子どもに向けられる
暴力をうけた女は、子どもは、失われた父性、民族の誇りを抱くその勝手なふるまいの男を許せるか、否か。
映画のタッチは消して重くなりすぎない形で描かれていますが、そこがリアルな気がした。
と、いうか
オキナワそのものと言えるテーマ。
インディアンが土地を奪われた時代を今の時代に語っているシーン、インディアンの子孫達、
彼らの言葉は始終英語ですすむ。

沖縄映画もこれくらいきちんと描くべきだよな、本当に。



昨日はアーティストトークでした。
思う事多し。
他者の言葉は愛もあれば、刃もある。刃言葉に愛があるとは言い難い。
刃言葉にはたいがいは言いたいから言っているだけでまともに受けてると身がもたない。作品を深く読んでくれる人もいれば、
見ないままに切りたくなる人もいる。イメージが先行して作品に辿り着かない場合も多い。
でも私はつくっているし、会っている。
表に出すということは、表現だ。黙々と密やかに創るのもよし、ぶつかって表道を歩いて転がってころんで創るのもよしと
しようじゃないですか、時間はなくなる一方だ、静かな時間を守り続ける事も大事だし、声をかけ合ってつくっていくのもいいと思う。
 ともかくまだまだ始まったばっかりであって、つくったものを懐古するつもりはない。
まだ見ぬ人に会いたいということと、まだ見ぬ作品を想い呼び出すことに躊躇するつもりはない。
そのための忠実さは失わないように、するだけは守る。
外から固められるイメージなんて壊してしまえばいいだけだ、しょう。


あいかわらず作り続けていくスタンスで行きます。
・・・・・・
(お兄ちゃんありがとう)