母も父も入院し、二つの病院へお見舞いや洗濯物を届けたり持って帰ったりというようなドタバタはありつつも、
それは父も母も両方が家にいたときよりはずっと落ちついたものでした。
それぞれが適切な病院へようやく入院してくれたということもあったと思います。
ともあれ、ようやく落ちついた日々を取り戻した私は、以前から気になっていたことを調べ始めました。
母の入院先である精神病院の閉鎖病棟で聞いた複数の南無妙法蓮華経。
それから父の入院先であるアルコール依存症の専門病院で見た人間革命や聖教新聞を持った人たち。
もしかして、創価学会には精神疾患を患っている人が多いのかなという素朴な疑問でした。
「創価学会」「精神病」で調べると、眉唾なものもありますが、かなり信憑性のありそうな情報もあり、
また精神科医の先生の話などもあり創価学会員に精神疾患が多い理由も、納得できる理由が書かれてあるものもありました。
精神科の初めての受診では宗教を聞かれるんですが「母の宗教は創価学会です」と私が言ったとき、先生が、
「え?創価学会?」ではなく「ああ……(なるほど、創価学会ね)」と納得するように言ったことを思い出しました。
精神疾患を患った元創価学会員の方のブログも見ました。
創価学会を脱会したいけどできなくて困っている人たちのサイトも見つけました。
その中に「対話を求めて」というサイトがありました。
これはブログの形式ですが、管理人さんが書かれた問題提起する親記事に、
創価学会員や元創価学会員の方々がコメントという形でご自分の体験などを書かれるスタイルを取っているサイトです。
ここは多くの創価学会員や元会員の人たちの生々しい証言が集められています。
自分も心当たりのあることばかりですから、夢中になって読んでしまいました。
読み進めていくうちに、財務のことについて皆さんがコメントしている記事がありました。
財務はなぜ一万円からなのか。真心の寄付なら一円でも十円でもいいのに、なぜ一万円からなのか。
200円の財務をした人の話も読みました(財務は一万円以上でないとできないと思い込んでいました)。
今までずっと財務を続けて来たけれども、考えたことがありませんでした。
そして、一人一万円だとしても、それが100万人なら100億円になる。
公称800万世帯の信者がいる創価学会なら、最低800億円が毎年入ってくる。
だけど、実際にはそれ以上だというのは、創価学会員ならすぐに分かります。
創価学会は公称800万世帯ですが、一人暮らしの場合以外はだいたい一世帯の中に何人かの家族がいます。
たとえ家族が活動をしていなくても、親が代わりに申し込み、子どもたちの福運のために代わりに財務を振り込むということが行われています。
たとえば成人四人の家族ならば一世帯につき最低四万円です。
また、幹部があおり立てるので、ほとんどの人が最低金額の一万円で済ませることがありません。
座談会などで「今年も三桁」とか誰かが言っているのを活動家の方なら聞いたことがあると思います。
三桁とは、100万円以上の寄付のことです。
その三桁をする人が、毎年支部に何人かいるのです(支部というのは創価学会の最小単位のブロックの次が地区でその次が支部といえばそんなに大きくない単位だとお分かり頂けるでしょうか)。
創価学会に集まるお金が800億円どころじゃないことは、容易にご想像いだけるのではないでしょうか?
財務の時の幹部指導たるや、すさまじいです。
「一円たりとも手元に残さないぐらいの気概で、すべてを絞り出してこそ本物の功徳を得ることが出来る!悩みもすべて解決する!」とあおり立てます。
また「ここでけちれば、将来的にお金で苦労するようになる!」と具体的に苦労した人の事例(出所不明)などもあげ、絞り出さなかった場合の罰についても言及します。
女子部の会合にも婦人部のけっこう上のほうの幹部が来て「女子部のうちにしっかりと財務をすれば幸せな結婚が出来る!」などと言います。
私は結婚には興味はありませんでしたが、功徳は欲しかったし、罰も当たりたくなかったので、
「私は自営業ですべて絞り出してすることは可能ですが、次の収入がいつ入ってくるか分かりません。なので全部絞り出せば来月から家賃が払えません。
でも、必ず返ってくるというのなら振り絞りますけど、どうすればいいですか?」と相談してみたんですが(今考えると何というあほ……)、
「ちょっとこっちきなさい」と言われてなぜか別の部屋に連れて行かれ「生活できる分はとっておきなさい!」と言われました。
「気持ちは振り絞る感じで、生活できる分はとっておかないとそれはそれで地に足がついていなから違うのよ!」というのです。
よく分かりませんでしたが、絞り出さなくていいみたいなのでほっとしたのを覚えています。
ともあれ、こうして、学会員たちが絞り出した財務が総額どれぐらいなのかは本当に想像も付きません。
そして、それらが創価学会が宗教法人であることを理由に一切の収支報告が出されていないことも知りました。
「対話を求めて」を読み進めるうちに、どうしてこれまでそうしたことを考えてこなかったのだろうというぐらい、目からうろこな状態が続きました。
ずっと財務のお金は会館の建設や電気代などに使われていると説明されていたし、きっとそうなのだろうと思っていました。
でも、改めて創価学会に入るお金が毎年800億以上と考えてみると、そんな雑費のためだけではあまりにも多すぎると思いました。
収支報告が出されていないというのも、今まで考えたことがなかったのですが、
やましいことに使っていないのなら、寄付をしてくれた人への配慮として、一円単位まで使い道を示すのが正しいのではないでしょうか?
通常は寄付を受けた団体は、その使い道をちゃんと公表していますよね。
私が生まれたときから「絶対唯一の正しい宗教」と思っていた創価学会が、違う顔に見えてきました。
「対話を求めて」には、実際に創価学会員だった人や現役の人たちの叫び声のようなものが多く集まっています。
それらには、創価学会員でしか頷けないこともたくさんあり、ここに集った声は本物だと私は思いました。
特に婦人部の地区婦人部長さんなどの元活動家の方々の切実な声は、かなり身に迫るものがありました。
このサイトでは「創価学会は宗教ではなく詐欺」だと断じておられました。
私はずっと鎌倉時代から続く仏教を信仰してきたのだと思っていたのだけど、違うのかも知れないと不安になりました。
でも、まだ認めるのが怖い気持ちもありました。
何しろ、生まれてからずっと40年近くも信じ続けてきたものです。
私はさらにネットで今度は創価学会について調べました。
ウィキペディアの創価学会の項目を見ると、第三者視点で創価学会のことが書かれてあるのですが、
創価学会が負けた裁判のことなども書かれていました。
創価学会は裁判で勝ち続けていて、一度も負けていないと思っていましたし、
聖教新聞には創価学会が負けた裁判のことは一度も書かれていなかったと思います。
本幹同中でも、あの裁判に勝った、万歳万歳、これでまた学会の正義が証明された!とやっていたのに、負けた裁判があったなんて……。
有名なシアトル事件も事実上学会の敗訴になっているし(日本での判決ではシアトル事件を出して聖教新聞などでニッケンさんを罵倒してはならないということになったそうです)、
芸者との写真がどうのこうのと婦人部の方々が口汚く罵倒していたあの写真も創価学会のねつ造だと裁判で断罪されていたり。
あとは公明党の元委員長の矢野さんの裁判でも創価学会側は敗訴しています。
裁判ですべてを明らかに、が学会の方針だったはずなのに、けっこう負けてます……。
それなのに聖教新聞ではまったく報じられていない。
絶対に正しいと思っていたものが、実は絶対に正しくはなかったと、私はこのとき知りました。
創価学会は間違っているのかもしれない……それはほぼ確信になりました。
でも、池田先生は?お題目は?
私の中のマインドコントロールが最後の悪あがきをしています。
私は公明党元委員長の矢野さんの本を読んでみることにしました。
アマゾンのレビューでも、信者やアンチだけでなく、けっこうまともなレビューが多く、評価も高かったことが理由です。
「黒い手帳」「私が愛した池田大作」この二冊を読み終えた時、あぁ……見事に騙されてた……と思いました。
どちらの本も読まれた方は分かると思いますが、矢野さんがかなり正直にお書きになっておられると伝わってきます。
最初から創価学会や池田さんを批判するために書いたものではなく、あくまでもご自身が経験し、見聞きしたものを綴っておられる本でした。
具体的な日にち、数字等を出しながらの回顧録は、私にとっては信じるに値するものでした。
そして、もしこれらの本に創価学会側が事実無根だと思うのなら、訴えるなり何なりするでしょうが、
聖教新聞での罵詈雑言はあっても、そのようなことはないようです。
つまり、これはすべて事実だと思われても、仕方のないことだということではないでしょうか。
私の中では「池田先生」が生まれて初めて「池田さん」になりました。
道理で、文化祭の時に初めてお目にかかったときも何も感じなかったわけだ……電流も走らなかったし、涙も無理に出さないと出なかった。
本幹同中でも、いつもお話は退屈で、眠りそうになったりして「これは私の信心が足りないからだ」と反省したりしていましたが、
それらはすべて私が悪いというわけではなかったのだと思いました。
では、お題目と勤行はどうなんだろう……と思いましたが、これまでそれを使ってさんざん騙されてきたという事実を突きつけられた私は、
もう頑張ろうという気にはなれませんでした。
「対話を求めて」のサイトでは「勤行やお題目をやめても何の罰もない」「ご本尊を返却しても大丈夫だった」というコメントがいくつもあり、
それも私の背中を押してくれました。
やはり実際に経験された方の言葉というのは、本当に重みがあります。
勤行とお題目は長年の習慣になっていることもあり、少し勇気は必要でしたが、私は思い切って勤行とお題目をやめてみることにしました。
ちょっと長くなってしまいそうなので、いったん区切ります。
それは父も母も両方が家にいたときよりはずっと落ちついたものでした。
それぞれが適切な病院へようやく入院してくれたということもあったと思います。
ともあれ、ようやく落ちついた日々を取り戻した私は、以前から気になっていたことを調べ始めました。
母の入院先である精神病院の閉鎖病棟で聞いた複数の南無妙法蓮華経。
それから父の入院先であるアルコール依存症の専門病院で見た人間革命や聖教新聞を持った人たち。
もしかして、創価学会には精神疾患を患っている人が多いのかなという素朴な疑問でした。
「創価学会」「精神病」で調べると、眉唾なものもありますが、かなり信憑性のありそうな情報もあり、
また精神科医の先生の話などもあり創価学会員に精神疾患が多い理由も、納得できる理由が書かれてあるものもありました。
精神科の初めての受診では宗教を聞かれるんですが「母の宗教は創価学会です」と私が言ったとき、先生が、
「え?創価学会?」ではなく「ああ……(なるほど、創価学会ね)」と納得するように言ったことを思い出しました。
精神疾患を患った元創価学会員の方のブログも見ました。
創価学会を脱会したいけどできなくて困っている人たちのサイトも見つけました。
その中に「対話を求めて」というサイトがありました。
これはブログの形式ですが、管理人さんが書かれた問題提起する親記事に、
創価学会員や元創価学会員の方々がコメントという形でご自分の体験などを書かれるスタイルを取っているサイトです。
ここは多くの創価学会員や元会員の人たちの生々しい証言が集められています。
自分も心当たりのあることばかりですから、夢中になって読んでしまいました。
読み進めていくうちに、財務のことについて皆さんがコメントしている記事がありました。
財務はなぜ一万円からなのか。真心の寄付なら一円でも十円でもいいのに、なぜ一万円からなのか。
200円の財務をした人の話も読みました(財務は一万円以上でないとできないと思い込んでいました)。
今までずっと財務を続けて来たけれども、考えたことがありませんでした。
そして、一人一万円だとしても、それが100万人なら100億円になる。
公称800万世帯の信者がいる創価学会なら、最低800億円が毎年入ってくる。
だけど、実際にはそれ以上だというのは、創価学会員ならすぐに分かります。
創価学会は公称800万世帯ですが、一人暮らしの場合以外はだいたい一世帯の中に何人かの家族がいます。
たとえ家族が活動をしていなくても、親が代わりに申し込み、子どもたちの福運のために代わりに財務を振り込むということが行われています。
たとえば成人四人の家族ならば一世帯につき最低四万円です。
また、幹部があおり立てるので、ほとんどの人が最低金額の一万円で済ませることがありません。
座談会などで「今年も三桁」とか誰かが言っているのを活動家の方なら聞いたことがあると思います。
三桁とは、100万円以上の寄付のことです。
その三桁をする人が、毎年支部に何人かいるのです(支部というのは創価学会の最小単位のブロックの次が地区でその次が支部といえばそんなに大きくない単位だとお分かり頂けるでしょうか)。
創価学会に集まるお金が800億円どころじゃないことは、容易にご想像いだけるのではないでしょうか?
財務の時の幹部指導たるや、すさまじいです。
「一円たりとも手元に残さないぐらいの気概で、すべてを絞り出してこそ本物の功徳を得ることが出来る!悩みもすべて解決する!」とあおり立てます。
また「ここでけちれば、将来的にお金で苦労するようになる!」と具体的に苦労した人の事例(出所不明)などもあげ、絞り出さなかった場合の罰についても言及します。
女子部の会合にも婦人部のけっこう上のほうの幹部が来て「女子部のうちにしっかりと財務をすれば幸せな結婚が出来る!」などと言います。
私は結婚には興味はありませんでしたが、功徳は欲しかったし、罰も当たりたくなかったので、
「私は自営業ですべて絞り出してすることは可能ですが、次の収入がいつ入ってくるか分かりません。なので全部絞り出せば来月から家賃が払えません。
でも、必ず返ってくるというのなら振り絞りますけど、どうすればいいですか?」と相談してみたんですが(今考えると何というあほ……)、
「ちょっとこっちきなさい」と言われてなぜか別の部屋に連れて行かれ「生活できる分はとっておきなさい!」と言われました。
「気持ちは振り絞る感じで、生活できる分はとっておかないとそれはそれで地に足がついていなから違うのよ!」というのです。
よく分かりませんでしたが、絞り出さなくていいみたいなのでほっとしたのを覚えています。
ともあれ、こうして、学会員たちが絞り出した財務が総額どれぐらいなのかは本当に想像も付きません。
そして、それらが創価学会が宗教法人であることを理由に一切の収支報告が出されていないことも知りました。
「対話を求めて」を読み進めるうちに、どうしてこれまでそうしたことを考えてこなかったのだろうというぐらい、目からうろこな状態が続きました。
ずっと財務のお金は会館の建設や電気代などに使われていると説明されていたし、きっとそうなのだろうと思っていました。
でも、改めて創価学会に入るお金が毎年800億以上と考えてみると、そんな雑費のためだけではあまりにも多すぎると思いました。
収支報告が出されていないというのも、今まで考えたことがなかったのですが、
やましいことに使っていないのなら、寄付をしてくれた人への配慮として、一円単位まで使い道を示すのが正しいのではないでしょうか?
通常は寄付を受けた団体は、その使い道をちゃんと公表していますよね。
私が生まれたときから「絶対唯一の正しい宗教」と思っていた創価学会が、違う顔に見えてきました。
「対話を求めて」には、実際に創価学会員だった人や現役の人たちの叫び声のようなものが多く集まっています。
それらには、創価学会員でしか頷けないこともたくさんあり、ここに集った声は本物だと私は思いました。
特に婦人部の地区婦人部長さんなどの元活動家の方々の切実な声は、かなり身に迫るものがありました。
このサイトでは「創価学会は宗教ではなく詐欺」だと断じておられました。
私はずっと鎌倉時代から続く仏教を信仰してきたのだと思っていたのだけど、違うのかも知れないと不安になりました。
でも、まだ認めるのが怖い気持ちもありました。
何しろ、生まれてからずっと40年近くも信じ続けてきたものです。
私はさらにネットで今度は創価学会について調べました。
ウィキペディアの創価学会の項目を見ると、第三者視点で創価学会のことが書かれてあるのですが、
創価学会が負けた裁判のことなども書かれていました。
創価学会は裁判で勝ち続けていて、一度も負けていないと思っていましたし、
聖教新聞には創価学会が負けた裁判のことは一度も書かれていなかったと思います。
本幹同中でも、あの裁判に勝った、万歳万歳、これでまた学会の正義が証明された!とやっていたのに、負けた裁判があったなんて……。
有名なシアトル事件も事実上学会の敗訴になっているし(日本での判決ではシアトル事件を出して聖教新聞などでニッケンさんを罵倒してはならないということになったそうです)、
芸者との写真がどうのこうのと婦人部の方々が口汚く罵倒していたあの写真も創価学会のねつ造だと裁判で断罪されていたり。
あとは公明党の元委員長の矢野さんの裁判でも創価学会側は敗訴しています。
裁判ですべてを明らかに、が学会の方針だったはずなのに、けっこう負けてます……。
それなのに聖教新聞ではまったく報じられていない。
絶対に正しいと思っていたものが、実は絶対に正しくはなかったと、私はこのとき知りました。
創価学会は間違っているのかもしれない……それはほぼ確信になりました。
でも、池田先生は?お題目は?
私の中のマインドコントロールが最後の悪あがきをしています。
私は公明党元委員長の矢野さんの本を読んでみることにしました。
アマゾンのレビューでも、信者やアンチだけでなく、けっこうまともなレビューが多く、評価も高かったことが理由です。
「黒い手帳」「私が愛した池田大作」この二冊を読み終えた時、あぁ……見事に騙されてた……と思いました。
どちらの本も読まれた方は分かると思いますが、矢野さんがかなり正直にお書きになっておられると伝わってきます。
最初から創価学会や池田さんを批判するために書いたものではなく、あくまでもご自身が経験し、見聞きしたものを綴っておられる本でした。
具体的な日にち、数字等を出しながらの回顧録は、私にとっては信じるに値するものでした。
そして、もしこれらの本に創価学会側が事実無根だと思うのなら、訴えるなり何なりするでしょうが、
聖教新聞での罵詈雑言はあっても、そのようなことはないようです。
つまり、これはすべて事実だと思われても、仕方のないことだということではないでしょうか。
私の中では「池田先生」が生まれて初めて「池田さん」になりました。
道理で、文化祭の時に初めてお目にかかったときも何も感じなかったわけだ……電流も走らなかったし、涙も無理に出さないと出なかった。
本幹同中でも、いつもお話は退屈で、眠りそうになったりして「これは私の信心が足りないからだ」と反省したりしていましたが、
それらはすべて私が悪いというわけではなかったのだと思いました。
では、お題目と勤行はどうなんだろう……と思いましたが、これまでそれを使ってさんざん騙されてきたという事実を突きつけられた私は、
もう頑張ろうという気にはなれませんでした。
「対話を求めて」のサイトでは「勤行やお題目をやめても何の罰もない」「ご本尊を返却しても大丈夫だった」というコメントがいくつもあり、
それも私の背中を押してくれました。
やはり実際に経験された方の言葉というのは、本当に重みがあります。
勤行とお題目は長年の習慣になっていることもあり、少し勇気は必要でしたが、私は思い切って勤行とお題目をやめてみることにしました。
ちょっと長くなってしまいそうなので、いったん区切ります。
私は脱会しましたが、両親はここぞとばかりに熱心に信仰しています。
宗教は本人次第なので、お互い話はしても意見はしない事にしているのですが、
祈っても私が戻ってこない事に対して両親の浮き沈みが気になってきたところです。
にゃんこ丸さんのご両親のお話をとても興味深く読ませていただきました。
これからの更新も応援しております!
クロさんの「真実と幻想と創価学会」から訪問させて頂きました。
私もブログを書いて、自分の気持ちを整理しました。
創価に対して疑問を感じたら、立ち止まってみるのって、大事だなぁと思います。
少し離れた所から見ると、なんと滑稽なことか…なんですよね。でもその中にいると気づきにくい。
おっしゃる通り、創価を離れる本音を語ったブログが増えていくことを、私も願っています。
朝起きたらアクセス数がいつもと違ったので驚いたのですが、ご紹介くださったサイトさんがあったのですね(ありがとうございます!)。
ご両親のこと、何も言えず放っておくしかないというのは、けっこう辛くもどかしいものですよね。
きっとご両親も「おかしいな、こんなはずでは……」と思ったり、残りの人生を考えて焦ってしまったりと、いろんな思いがあるのではないかなと思います。
うちは両親の年齢が年齢だし、二人とも精神科のお世話になっているので、創価学会の真実を知るよりも(知ったらたぶん本気で発狂してしまいそうなので……)、とりあえず自分の人生を最後まで生ききって欲しいなと思っています。
まだしあと少しは更新を頑張ると思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。
アズラさんもブログでお気持ちの整理をされたのですね。
アズラさんの体験も、ぜひ読ませて頂きたいと思います!
私もブログでこうして気持ちの整理をしていくと、今まで思い出しもしなかったようなことまで思い出したりして、随分と自分の気持ちが整理できたような気がします。
立ち止まることは本当に大事ですよね。
だからこそ、創価学会は立ち止まる暇を与えないことで創価学会員のマインドコントロールが解けるのを阻止しているのだと思います(真っ黒だったスケジュール帳……)。
本当にこうした創価学会での体験を書いた脱会者や元活動家のブログが当たり前のように、たくさん、たくさん増えていくと良いなと、改めて思います。