母も父も入院し、二つの病院へお見舞いや洗濯物を届けたり持って帰ったりというようなドタバタはありつつも、
それは父も母も両方が家にいたときよりはずっと落ちついたものでした。
それぞれが適切な病院へようやく入院してくれたということもあったと思います。
ともあれ、ようやく落ちついた日々を取り戻した私は、以前から気になっていたことを調べ始めました。
母の入院先である精神病院の閉鎖病棟で聞いた複数の南無妙法 . . . 本文を読む
母が精神病院の閉鎖病棟に入院したその時期、父のほうにも限界が来たようでした。
妹が「お父さんもうダメかも……」と言ってきました。
家で何度も転倒して顔から流血したり、トイレが間に合わず垂れ流しの状態だったり、
妹が仕事から帰ってくると父の上に自分で倒したたくさんの荷物が乗っていてそれをどけることもできず「助けてくれ……」と呻いていたり……。
私もずっとお題目をあげていましたし、母も父のお酒が行きす . . . 本文を読む
母は躁鬱病の症状による度重なる迷惑行為のため脳梗塞後のリハビリをしていた病院を退院させられ、自宅療養ということになりました。
ただ、このときほとんど身体的な後遺症らしきものがなく、あるのは精神的な後遺症のみでした。
ですので、月に一度の精神科への通院以外は、特に病院に通うことなく過ごしていました。
一年ほど通院し、お薬の調整等もうまくいき、そろそろ減薬していこうというという話になったときのことでし . . . 本文を読む
学会活動を休止してから、私の生活と仕事は、かつてないほどに安定し始めました。
そんなある日のこと、母が脳梗塞で倒れました。
救急車で運ばれた病院で手術が行われ、多少後遺症は残りましたが、命に別状はありませんでした。
しばらくの入院が必要になり、創価学会の婦人部の方々が、代わる代わるお見舞いに来られました。
しかし、脳梗塞の影響で、母は躁鬱病の躁状態がかなり顕著に表れるようになり、
創価学会の人がお . . . 本文を読む
家賃滞納で都会のマンションを出なくてはいけなくなった私は、田舎にある実家近くに住まいを借りて住み始めました。
十数年ぶりに戻ってきた地元は、緑が多くて空気も良くてとても癒やされました。
以前から飼いたかった猫を飼うことも出来、猫にもたくさん癒やされました。
そして何より、こんなにゆったりとした時間を過ごすのも、久しぶりでした。
ずっとずっと、まるで芸能人みたいにスケジュール帳がいつもいっぱいで、会 . . . 本文を読む