お天道様は見てござる

元創価学会員。現在は公明党が熱烈に推進し、ビルゲイツから感謝状をもらったコロナワクチンの問題について綴っています。

五人全員ダメだった……創価学会婦人部のマインドコントロールの深刻さ

2016-10-14 05:46:17 | 日記
学会活動を休止してから、私の生活と仕事は、かつてないほどに安定し始めました。
そんなある日のこと、母が脳梗塞で倒れました。
救急車で運ばれた病院で手術が行われ、多少後遺症は残りましたが、命に別状はありませんでした。
しばらくの入院が必要になり、創価学会の婦人部の方々が、代わる代わるお見舞いに来られました。
しかし、脳梗塞の影響で、母は躁鬱病の躁状態がかなり顕著に表れるようになり、
創価学会の人がお見舞いに来るたびにハイテンションになったりして看護師さんを困らせたりしました。
このときに入院していた大学病院で精神科の先生の診断を受けることができ、
かつて創価学会系精神病院で鬱病と診断された母が、実は躁鬱病であることが判明しました(これまでにも何度も書いてますが、これはヒドイ誤診で、鬱病と躁鬱病は薬も治療法も全く違います)。
私は創価学会の婦人部の方々に、何度もお願いをしました。
「母は気分が激しく上下する病気ですので、励ましたり、褒め称えたり、気分を高揚させるようなことはあまりしないでください。
看護師さんたちに迷惑をかけてしまいますので、くれぐれもお願いします」と。
しかし、創価学会の婦人部の方々は、脳梗塞から生還した母を褒め称えることをやめませんでした。
また、闘病する母を励ますことをやめませんでした。
創価学会婦人部の方々の精神病に対する認識があまりにもなさすぎるためなのか、私のお願いはあまり深刻にとらえてもらえませんでした。
それとも、褒め称えると功徳があるからでしょうか?励ますと功徳があるからでしょうか?
母が迷惑行為をしてしまうと訴えているのに、母に迷惑行為をさせたかったのでしょうか?
大学病院では看護師さんたちが大人な対応をしてくれたので何とかなりましたが、
そこからリハビリのための病院に移ると、看護師さんたちの苦情が私と妹に来るようになりました。
創価学会の婦人部の方々がお見舞いに来るたびに、母の「自分は正しい」という気持ちが増幅し、
リハビリで厳しいことを言ったりする先生や、忙しくて手が回らない看護師さんたちに非常に高慢な態度を取ってしまうのです。
時には自分の意見が通らないからと病室で叫び、他の患者さんにも迷惑をかけることがありました。
看護師さんの指にかみついたり、ペットボトルを他の患者さんに向けて投げつけたりもしました。
私は「池田大作さんって、そんなことしていいって言ってるの?」といやみをいいましたが、
母は「正しいことだったら何をしてもいいって言ってる!」と叫びました。
精神状態が大変な時の会話ではありましたが、母は普段からそう思っていたんじゃないだろうかとも思いました。
母の看護師さんや他の患者さんへの迷惑行為はさらに続き、母はリハビリの途上で病院を退院させられることになりました。
看護師さんたちには白い目で見られ、苦情の電話が一日に何度もかかってきたり、
他の患者さんからは「あの人頭おかしいから……」と聞こえよがしに言われ、家族にとっては本当に辛い辛い入院でした。
家族の側からすると、何度も注意したにもかかわらずまったく聞いてくれなかった創価学会の方々の対応が母の躁状態を増幅させていることは明らかでしたが、
看護師さんや他の患者さんたちにそんな言い訳は通用しません。
全部、家族の責任にされます。家族が責められます。私はともかく妹が本当に可哀想でした。
このときのことを創価学会婦人部の方々が謝罪したことは一度もありません。
きっと「自分たちはとてもいいことをした!」とでも思っていたのでしょう。
「功徳いつ返ってくるかな」とか楽しみにしていたのかもしれません。
でも、このときの入院で不幸中の幸いだったのは、躁状態と鬱状態を交互に発症し続けた母が、
ようやく精神科への通院の必要性を感じてくれたことです。
躁状態は母にとってのみ良い状態なので、他人にとっては深刻でも母にとっては深刻ではありませんでした。
しかし、鬱状態は周りの人間からしたらやっと落ちついてくれたという状態なのですが、本人は相当にしんどいようでした。
私は月に一度の大学病院の精神科への母の通院に一年間付き添い続けました。
脳梗塞による精神の不安定さは、一年もたつと随分と落ちついてきましたが、
時折現れる躁状態の時の迷惑行為に、家族は不安を感じていました。
母が躁状態になるきっかけをできる限り減らさなければなりません。
そのうちの一つが、私が学会活動をする、ということでした。
母は私がずっと学会活動をしていないことを気に病んでいました。ものすごく祈られていたと思います。
私が学会活動をしたり、学会の人が私と会ったという話をどこかで聞き及んだだけで、テンションが驚くほどあがります。
私は創価学会の方々に「以後は選挙の報告等、母を喜ばせる報告は一切出来ません」と伝えました。
さらに家庭訪問され、会えたという報告も母を喜ばせてしまっているようでしたので、家庭訪問もお断りしました。
以前から、婦人部の方が母を喜ばせようとしているのか、私に会ったとか、私が選挙に行ったとか財務したとか、
そういう細かい情報を母にいちいち報告しているのも知っていました。
母にとっては私が学会活動を再開することが、一番の願いなのです。
その願いが叶っていると思うと、母は躁状態になってしまうのです。
私は婦人部の方々に、母の病気の特徴、さらには入院中に何度も看護師さんや病室の方々に迷惑をかけたことなどを踏まえ、
母は躁状態になると周りに迷惑をかけてしまうので、ご協力をお願いしますと伝えました。
1.家庭訪問はしないでほしい(訪問して会えたという報告だけでも興奮してしまう可能性がある)
2.各種報告は一切できないし、聞かないで欲しい(その過程を母が知るだけでも興奮させてしまう可能性がある)
3.道で会っても声をかけないで欲しい(学会員と話をしたと知れば母が興奮するし、母がどこで見ているか分からないので)
主にこの三点を、婦人部のさまざまなレベルの幹部に、しっかりと母の病状等を踏まえて話し、お願いました。
これを伝えたのは、グループ長さん、地区婦人部長さん、支部婦人部長さん、支部副婦人部長さん、地元に住む圏幹部の五名でした。
それぞれ「分かりました」という返事をもらっています。
これだけ幅広い幹部に、これだけ細かに伝えていれば大丈夫だろうと私はたかをくくっていました。
創価学会のマインドコントロールを甘く見ていたのです。
やがて、選挙の時期がやって来ました。嫌な予感はあたりました。
グループ長さんがのうのうと私のところへやって来たのです。選挙のお知らせでした。
私は「母の病気のこと、ちゃんと言いましたよね?報告とか出来ません、家庭訪問もしないでくださいって私言いましたよね?」
と詰め寄ったところ、「ごめんなさい、すみません……」と泣きそうな声で言って帰って行きました。
謝ると言うことは、私の言ったこともちゃんと覚えていたのでしょう。でも、来てしまったのでしょう。
悪いことをしているという意識もあったのでしょう。それでも来ちゃうんですね。マインドコントロールの恐ろしさです。
でも、これで終わりではありませんでした。
選挙の一週間ほど前、支部副婦人部長さんが道を歩いている私を大声で呼びました。
母に見られたら困るので一切の接触をしないで欲しいと言ったにもかかわらず、です。
私はその大声を無視して歩き続けましたが、しばらく大声で呼ぶ声は私の背中に聞こえていました。
そしてさらに選挙の3日前、事情を説明し、この人なら分かってくれているだろうと思っていた圏幹部から電話がかかってきました。
「一切の報告はできない」と言っているのに、どうして選挙の三日前に電話がかかってくるんだろう。
私は電話には出ず、そのまま圏幹部の電話番号を着信拒否に設定しました。
さらにその翌日、支部婦人部長から「本日夜に訪問したい」というメールが。
「訪問しないでくれと言ったはずですが?」とメールを返すと、
なぜか「すみません、では訪問は遠慮させていただきます」との返事。
この支部婦人部長の電話番号も即着信拒否にしました。
そして選挙当日、地区婦人部長が家にやって来ました。
インターホン越しに「何の用ですか?」と聞くと「選挙いったかなと思って」と。
「報告は一切出来ないとお伝えしたはずですが?」というと「行ったかどうかだけ教えてください」と。
「そういう報告も出来ません」というと、「大事なことなんでお願いします」と食い下がってきました。
私は「お帰りください」といい、インターホンを切りました。
五人全員駄目だった……あれだけ丁寧に母の病気のこと、私が少しでも学会活動すると躁状態になってしまう恐れがあることを説明したのに。
誰一人として聞いてくれなかった。
そんなにあの婦人部の方々は功徳が欲しかったんだろうか?罰が怖かったんだろうか?
母がまた他の人たちに迷惑をかけてしまう恐れ以上の何を思って、あの人たちは約束をあっさり破ってしまったんだろう。
五人全員……五人全員??と、頭の中がそのことでぐるぐるしました。
五人全員……私にとってこれは衝撃でした。
私は母の躁状態の対策として自分なりに悩んで考えて完璧な対策を立てたと思っていたのに。
あっさりと……あまりにもあっさりと裏切られてしまった。
創価学会婦人部の人からしてみれば、選挙を前にして私の母の病気のことなどティッシュペーパー1枚分程度の障りだったのでしょう。
あの時は本当にショックでした。久しぶりに立ち直れないほどにショックを受けました。
でも、今ならこう思います。
あの時もし、五人のうち一人でも約束を守っていてくれたなら、ひょっとするとまだ私はマインドコントロール下にあったかもしれないと。
この五分の五という事実は、私が創価学会のマインドコントロールから覚醒する大きなきっかけになりました。
でもまだこのときの私は「幹部でも間違えることがある。だからこそ、創価学会と池田先生に呼吸を合わせて行こう」と考え(最強呪文発動)何とか不信に陥ることはやめようと思いました。
でも同時に「五人全員?これってもし、幹部全員が間違ってたらどうするの?」という恐ろしい疑問も頭にわいてきました。
もし創価学会の幹部のほとんどが間違っていたとして、私一人でそんな中で戦っていけるのか?
いや、さすがにそれはないだろう……と打ち消してみたり。
でも、これまで間違っている幹部はけっこう多いと思っていたけれど、
その私の想像を遙かに超えるほどいるんじゃないかと……いう気がしました。

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4 コメント

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本当にお気の毒です。 (BAMBO)
2016-10-14 15:38:08
 始めてお邪魔しました。 コメントお許しくださいませ。

 創価でのみ通用する価値観(価値)を創ってきたのが、創価学会です。  そして彼・彼女らは、それは世間法も国法をも包摂し凌駕すると信じ込みます。当然、国法なぞ平気で犯しても成果と確信の結果だと信じてやみません。  

 なんせ平和の戦士きどりの人たちですからね。

 あと、自分の発想・言葉は持ちませんから、いつもガッカイ用語でしか会話できません。(だからまともに会話がなりたちません)

 これらは社会的にみれば一種の病理ですが、彼らは価値観の違いだと思って済ませています。

 お母さまはある意味「典型的」なガッカイ被害者ですね。  我が家も同じです。 多分、全国的に、現場では精神異常(病理)、つまり躁鬱、ウツ、パニック障害、ひきこもり、 そしてなんといってもガンが頻発していると思えます。  少なくとも地区に1~2割の方がそういう状態で、得てして熱狂的な池田信奉者です。

 私の場合も非・活宣言をして、聖教をやめ、ザイムもやめてから、誰も来なくなりました。 あの切迫感や義務感もなくなり、特に妻は安心して生活できるようになりました。 もちろん、ノコノコやってきたら徹底的に無視しますし、それでも食い下がれば、徹底的に破砕しますけどね。 実はめんどくさいだけですが。。(苦笑)

 キーワードは「キッパリ辞める、断る」ということでしょうね、

 お母さまがお気の毒なのは、「そういう創価」をまだ信じてらっしゃるという点でしょうね。  

 池田が創価に引き入れた悪鬼や魔民の類が、「あの御本尊に祈れば祈るほど」おかしくなる原因なんです。

 私はまだ法華講員ではありませんが、一大事の血脈からすれば、それを一昨年11月7日に創価、自ら切ってしまった大謗法の罰が上から下まで拡がっているという結論に達しています。  ここを絶たないと現況は変わらないと考えています。  子供たちもおおむねようやく理解してきました。  正式な退会も近いです。

 一凶を禁じることなしに、あれこれ策を講じて、悩んでおられるお姿をみて、(読んで)つい、いらぬことまで書いてしまいました。 

「親しみより破るべし 」です。ソウカの偽の人間関係なぞ意に介するのは、かえって謗法与同です。 切らないうちは同じ罪を積んでることになるのですから。

失礼をお許しくださいませ。
返信する
BAMBOさんへ (にゃんこ丸)
2016-10-14 16:48:33
コメントありがとうございます。
私の目標は創価学会を本当の意味で卒業することで、そのためにこのブログを書いています。
本当の意味での卒業は、創価学会が私にとって「道ばたの小石」になることです。
あってもなくても、どうでもいいもの。自分から拾ったり近寄ったりしない限り、私の人生に何ら影響を与えることのないもの。私の中での創価学会の存在がそんなふうに「道ばたの小石」になれば、卒業だなぁと。
このブログを書き終える頃には、創価学会を卒業できればいいなぁと思っています。
返信する
いろんな人がいる (ココ)
2016-10-14 21:28:25
こんばんは。またオジャマします。

5人の非常識を通り越した行為に怒りが沸いてきます。にゃんこ丸さんご家族ははらわた煮え変える思いだったでしょう。

「創価学会にも良い人もそうでない人もいろんな人がいる。」
外部の人間が創価学会員の迷惑行為を指摘した時に言う決まり文句ですね。

どんな組織にも様々な人がいることくらいは普通の人も解っているんですけど...
問題にしているのは、学会員共通の特有の異常さなんですが、「いろんな人がいるから。」と一般化して話をすり替えるんですよね。

このような論理の矛盾をマニュアルのように語る学会員達の姿こそが(変)なんですよ。
返信する
ココさんへ (にゃんこ丸)
2016-10-15 06:06:26
コメントありがとうございます。
「創価学会にも良い人もそうでない人もいろんな人がいる。」
これ、確かに幹部に指導受けるときよく言われました。笑
ずっとそれでごまかされてきたんですけど、もうこの頃になると、そんな魔法の言葉でもカバーできない状態になってきたんですよね。
ただ、私自身も「ああ、功徳のためかな」「罰当たるの怖いのかな」とすぐに創価学会員の思考が読めてしまうのは、自分自身も同じ行動をしてしまう可能性のある心理があったからだと思います。
やっちゃう人と、これはやめといたほうがいいかなと思える人と、両方いると思います。
マインドコントロールの覚醒への道を考えると、どちらが幸いかよく分からないんですよね。
やっちゃいまくって、気がついたらひとりぼっちになって何も残らなくて覚醒できる人、上手くやってはいけないことを回避して、なかなか覚醒できない人。
私は後者のちょっと小ずるいところもあるタイプだったので、なかなか覚醒できず、最後にエライ目にあって初めて覚醒できたのかなと考えたりもしました。
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