明日12月6日(月)の脇町支部は寝技(レスリング)も練習を行います。
もちろん、打撃は通常どおりありますので,勘違いしないようにお願いします
もちろん、打撃は通常どおりありますので,勘違いしないようにお願いします
全日本ジュニア空手道選手権大会
一回戦判定負けでした。
実力的に差は無かったと思います。
初の大きな大会のせいか日頃の動きが全然できてない。
その上二回の注意。(引っ掛け、顔面殴打)
結果は残念でしたが選手にとってはいい経験になったと思います。
今回の大会をきっかけに四国レベルではなく全国レベルを考えて練習していきたいものです。
一回戦判定負けでした。
実力的に差は無かったと思います。
初の大きな大会のせいか日頃の動きが全然できてない。
その上二回の注意。(引っ掛け、顔面殴打)
結果は残念でしたが選手にとってはいい経験になったと思います。
今回の大会をきっかけに四国レベルではなく全国レベルを考えて練習していきたいものです。
知人も入れて記念撮影
左から3番目の知人(長田誠治)は木口道場レスリング部コーチで少年部の育成にがんばっています。
誠治とは高校時代からの友人で高校は違うのですが
高校2年生の時、一緒に国体に行ったのが縁で仲良くなり現在まで仲良くやっています。
かれこれ20年以上の付き合いか~
俗に言う腐れ縁かな~
左から3番目の知人(長田誠治)は木口道場レスリング部コーチで少年部の育成にがんばっています。
誠治とは高校時代からの友人で高校は違うのですが
高校2年生の時、一緒に国体に行ったのが縁で仲良くなり現在まで仲良くやっています。
かれこれ20年以上の付き合いか~
俗に言う腐れ縁かな~
28日にJKJOの全日本ジュニア空手道選手権大会があったので
前日27日から東京にきていました。
東京には昼ぐらいに着きブラブラと観光し
夜に東京の知人と合流し楽しい夕食。
写真は自分が東京に来ると言う事で塚本さんが会いに来てくれました。
ここで塚本さんの紹介を
1996年夏より総合格闘技・木口道場所属。15年間のブランクをへて39才で練習を再開し、1999年全日本社会人選手権三位入賞。同年、43才天皇杯全日本レスリング選手権グレコローマン85キロ級出場。翌年44才で全日本選抜選手権兼シドニーオリンピック最終選考会6位入賞。
日本レスリング協会、総務部委員・総合格闘技委員会委員などを担当。2008年10月には、第一回アジアビーチゲームズ(インドネシア・バリ)にてビーチレスリングの競技委員とレフリーを務める。
レスリング・パンクラチオン・コンテンダーズ・サンボ・コンバットレスリング等のレフリーライセンスを持ち、日本レフリー名鑑にも載る。リングやマットを選ばず、数々の難しい試合を裁いた経験を持つ。
木口道場に所属していた五味隆典のマネージャを担当し、プロフェッショナル修斗ウェルター級チャンピオン、ROTR対BJペン戦、PRIDE初代ライト級トーナメント参加へのプロデュースを行う。
現在は、プロ格闘家プロデューサー、プロ選手への技術指導コーチ等を手がけている。
1998年3月からコンバットレスリングのレフリーを務めてきた。十年間に及ぶレフリーの孤独に耐えながら「総合格闘技の最大公約数」の理念を守り続け、コンバットの番人の役目を果たした。
今後は組織普及なども手がけ、ネクスト・ディケード「次の十年」への引継ぎを担当する。
凄い人でしょう
前日27日から東京にきていました。
東京には昼ぐらいに着きブラブラと観光し
夜に東京の知人と合流し楽しい夕食。
写真は自分が東京に来ると言う事で塚本さんが会いに来てくれました。
ここで塚本さんの紹介を
1996年夏より総合格闘技・木口道場所属。15年間のブランクをへて39才で練習を再開し、1999年全日本社会人選手権三位入賞。同年、43才天皇杯全日本レスリング選手権グレコローマン85キロ級出場。翌年44才で全日本選抜選手権兼シドニーオリンピック最終選考会6位入賞。
日本レスリング協会、総務部委員・総合格闘技委員会委員などを担当。2008年10月には、第一回アジアビーチゲームズ(インドネシア・バリ)にてビーチレスリングの競技委員とレフリーを務める。
レスリング・パンクラチオン・コンテンダーズ・サンボ・コンバットレスリング等のレフリーライセンスを持ち、日本レフリー名鑑にも載る。リングやマットを選ばず、数々の難しい試合を裁いた経験を持つ。
木口道場に所属していた五味隆典のマネージャを担当し、プロフェッショナル修斗ウェルター級チャンピオン、ROTR対BJペン戦、PRIDE初代ライト級トーナメント参加へのプロデュースを行う。
現在は、プロ格闘家プロデューサー、プロ選手への技術指導コーチ等を手がけている。
1998年3月からコンバットレスリングのレフリーを務めてきた。十年間に及ぶレフリーの孤独に耐えながら「総合格闘技の最大公約数」の理念を守り続け、コンバットの番人の役目を果たした。
今後は組織普及なども手がけ、ネクスト・ディケード「次の十年」への引継ぎを担当する。
凄い人でしょう