忘れ物なく時間通りなんて無理

娘2人を持つアラフォー専業主婦の頭の中。凸凹有りと言われたけれど信じていません。

読書記録『私の中の自由な美術―鑑賞教育で育む力』

2020-05-28 22:24:05 | 日記
『私の中の自由な美術―鑑賞教育で育む力』という本を読みました。


本人がしがちな美術鑑賞の型と、その背後にある日本の美術教育。
子どもたちの美術鑑賞。
美術鑑賞ってどうあるべきか。
そんなことが書いてありました。

実際の子どもたちや学生さんたちの対話がたくさんあって面白かったです。



美術鑑賞って、
美しさや凄みに固まってしまって感動に浸りながらただ眺めているとか、その作者や時代についての知識を入れて何が表現されているか理解することなんだと思っていました。

この2つはこの本の中で、日本人がやりがちな本当の美術鑑賞ではない鑑賞の仕方でした。

美術鑑賞ってそういうものじゃなくて、もっと個人的なもので、自分の感性でじっくり掘り下げて、もっと自由でいいんだと、この本を読んで学びました。



一年程前に、「対話型美術鑑賞」という言葉を知り興味を持ちました。


私が子どもの頃は、正解は予め決められていて、それを記憶することが勉強だった。

だから、答えのないものに人と異なる自分なりの考えを表現することが、私にはとてもとても難しいことです。


娘には、世間様が優しくしてくれる子どものうちに、そんなことに挑戦する機会があればいいなぁと思っていて、

哲学対話の本を読んだり、対話型美術鑑賞のイベントが近くで開催されないか探したりしていました。


そんなイベントは近くではほとんどなく、あってもたまたま他の予定と重なってしまって行けなかったりでした。


そんな状況だったので、この本を読み、すぐに娘とやってみました!美術鑑賞。


母の思いを一方的に押しつけてごめんm(_ _)mと思いつつ、
昔買ったpenのピカソ特集号を片手に誘ってみました。


すると意外や意外、

絵を見て思ったことをどんどん話し始めたのです。

字も紙も汚いですが😅その時のメモ。


娘が絵につけたタイトルは『へんてこ』


子どもは素直😂

イヤイヤやってくれるのかなと思いきや割と楽しそうにペラペラ話してくれました。

でもお友だちとやった方が楽しそう。

なかなか誘いづらいけれど、私も誰かとやってみたいなぁ。




本の最後の方に、ある学生さんのレポートがありました。

美術鑑賞での対話を通して、彼女は、自分の中のイメージがはっきりしてきたり、変わったりするのを感じ、またそれを言葉にして出すことの楽しさを知ったそうです。

引用します↓
「今までの私は、漠然としたイメージを抱くことだけで満足していた。また口に出すことを恐れていた。それは「美術」には色々な見方があると知らなかったからである。」

色々な見方・考えが存在すること、存在していいのだということを知らずにいると、
自分を表現するのが恐いと感じるのは、
美術鑑賞に限った話ではないなと思いました。


同質性の高い日本社会で生きるのは安心だと思える時もあるし、息苦しく感じることもあります。


対話とは自分と相手がいかに違うかを知る手段なのだと思いますが、

相手と自分の同じところを見つけて安心するというパターンが身についてしまっている私。

対話力を身につけていきたいなぁ〜。


(子どもの頃、読書感想文を書くのを断固拒否したような人間なので、この記事を書くのにかなり勇気を振りしぼりました💦)