スポイチ編集長日誌

最近はGTAオンラインの攻略ばっかりです。
日付そのままで修正・追記したりします。

戦争は変わった

2014年08月15日 | 社会
戦争は変わった。

国家や思想のためではない。利益や民族のためでもない。
AKとRPGとIEDで武装した民兵と、先進国のハイテク兵器が、果てしない非対称戦を繰り返す。
互いに非戦闘員の命を消費する戦争は、合理的な成果のない世論操作ゲームへと変貌した。

戦争は変わった。

武装勢力の民兵たちは、先進国から供与された武器を持ち、敵対勢力の非戦闘員を殺戮する。
途上国でも安く手に入るドラレコが彼らの行動を記録し、管理する。
情報の制御、戦闘の制御、損害の制御、戦場の制御。
全ては衛星で監視され、統制されている。

戦争は変わった。

時代は抑止から制御へと移行し、大量破壊兵器による先進国間のカタストロフは回避された。
そして戦場の制御は、国際世論のコントロールをも可能にした。

戦争は変わった。

戦場が制御管理された時、紛争は普遍のものとなった。


現代においても、「徴兵制で戦場に送られる」とか「パパは帰ってこなかった」などという表現に見られる通り、まるで戦争が「軍隊(正規軍)」のみによって、「戦場(ここではないどこか)」だけで行われると考えているかのような物言いを目にする機会は多い。
それは当然だ。軍人に限らず、多くの人は「前回の戦争」からしか次の戦争の姿を予測しないからだ。

沖縄以外の日本人にとっての前回の戦争とは、多くの兵が海外で死に、多くの国民が都市空襲と原爆で死んだ、あの記憶である。
その記憶が、多くの人にとって「戦争=まず軍人が海外に送られて死ぬ」という固定概念となって表れる。

だが、20世紀後半以降の国際紛争では、大国の正規軍同士が戦場で衝突するようなWW2型の戦争は、もはや過去のものとなった。

朝鮮戦争、ベトナム戦争のような「非正規戦」「非対称戦」を経て、その後の国際紛争の姿は、先進国のハイテク航空兵器が、敵対する武装勢力によって「人間の盾」にされた民間人を「誤爆」し、その一方、民兵やあるいは「テロリスト」のような「武装した者」が、敵対勢力側の民間人すなわち「武装せざる者」を一方的に殺戮する、というものへと変貌した。

そして、現代の地域紛争とは、対立する両派が、ともに自勢力の非戦闘員の犠牲者数を賭け金・燃料として、国際世論を自派の有利になるように動かすためのゲームと化している。

それはつまり、自派の民間人の犠牲を国際社会に訴えてその同情を買い、またはその犠牲を敵対勢力の非道な行為によるものとして喧伝し、敵対勢力に対する国際世論の心象を悪化させ、自派が政治的優位に立つことを狙うために、あえて自勢力の民間人を犠牲にすることさえも手段としてあり得る、ということを意味する。

現に、ガザにおいてはハマスは「人間の盾」として非戦闘員の避難を禁止し、結果イスラエルによる学校等への砲撃を誘発し、それまで傍観していた国際世論は一気にイスラエル批判へと傾いている。
あるいはウクライナは、紛争当事国にもかかわらず自領土上空の民間機の飛行を禁止せず、その結果として発生した民間機撃墜事件により、敵対する親露派は窮地に立たされている。

このように、現代の国際紛争においては「どれだけの民間人を、敵に殺させるように仕向けることに成功したか?」は、国際世論を味方につけるための重要なファクターとなった。


いや、これらは何も、既に始まっている紛争においてだけの話ではない。

「敵対国の非道」を、作り話や誤報も含めて国際社会に対し繰り返し喧伝し、敵対国の国際社会での信用失墜を狙う「戦術」は既に半世紀以上も昔から実行されている。

そして、なぜ「彼ら」はあのような「報道」を繰り返してきたのか。その理由の一つがここにあるのだ。



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