故郷を離れて異国の地に駐留する軍の兵士に必要なのは、十分な休養と、一定期間で故郷に帰れるという保証です。
日中戦争期における日本軍においては、兵力・国力的な余裕のなさからそれが出来ませんでした。日中戦争の初期の時点で、早くも予備兵力は底をついてしまったのです。
その上、敵の首都(南京)を陥落させても戦争終結の道筋は見えず、兵は激戦に次ぐ激戦と劣悪な環境の中、いつ故郷に帰還できるかも分からず、士気は低下し軍規は弛緩していました。
そんな状況下において、兵を故郷に帰還させて家族のもとへと帰す代わりに、主として植民地から女性を徴募して戦地に連れていき兵士にあてがうという、斜め上の発想が実行されたわけです。
20世紀の時点でそういう発想を実行に移してしまうだけでなく、さらに21世紀の現代において「当時は必要だった」などと肯定してしまう。またそのような発想をあけすけに語ってしまえることこそが強く批判されている理由でしょう。
これは「軍事的には正しいが政治的倫理的には正しくないこと」どころではなく、軍事的にも発想が近代以前でストップしているのです。
兵に必要だったのは休暇と故郷への一時帰還です。
軍事行動期間中であっても一定数の兵には帰郷を許すという、三国志の諸葛亮の時代でさえやっていたことが我々には出来なかった理由としては、まず我が国は国土が狭く、その気になれば手弁当で全国どこでも駆けつけられたことと、近代以降に経験した戦争がすべて一年未満で終わった短期決戦か、または限定的な出兵であり、「国家総力戦」は結果として帝国として初の敗北を喫することになった日中戦争~太平洋戦争(大東亜戦争)が初めての体験であったため、それまで兵站(ロジスティクス)という概念を軽視していた、あるいは考えなくてもどうにかなってしまっていたことが原因として考えられます。
「国土が狭い」「長期戦の経験が乏しい」は、そのまま我が国の「補給軽視」「兵站軽視」の文化の理由を説明しているように思います。
現代においても、これと似たような発想ははびこっており、たとえば労働時間以外の余暇が求められているのに、経営者が「家でも成長しろ」とばかりに「英会話の教材」を社員に「あてがって」いる企業の存在なども、これに近い発想からきているのでしょう。
これには、放っておいたら軍人(社員)はろくなことをしないから、これでも使っておけ、とさまざまなものを「あてがって」コントロール下に置こうとする発想が共通しているのと、またそうした軍人観・人間観が露骨に表れ出ているのが特徴的だと言えます。
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日中戦争期における日本軍においては、兵力・国力的な余裕のなさからそれが出来ませんでした。日中戦争の初期の時点で、早くも予備兵力は底をついてしまったのです。
その上、敵の首都(南京)を陥落させても戦争終結の道筋は見えず、兵は激戦に次ぐ激戦と劣悪な環境の中、いつ故郷に帰還できるかも分からず、士気は低下し軍規は弛緩していました。
そんな状況下において、兵を故郷に帰還させて家族のもとへと帰す代わりに、主として植民地から女性を徴募して戦地に連れていき兵士にあてがうという、斜め上の発想が実行されたわけです。
20世紀の時点でそういう発想を実行に移してしまうだけでなく、さらに21世紀の現代において「当時は必要だった」などと肯定してしまう。またそのような発想をあけすけに語ってしまえることこそが強く批判されている理由でしょう。
これは「軍事的には正しいが政治的倫理的には正しくないこと」どころではなく、軍事的にも発想が近代以前でストップしているのです。
兵に必要だったのは休暇と故郷への一時帰還です。
軍事行動期間中であっても一定数の兵には帰郷を許すという、三国志の諸葛亮の時代でさえやっていたことが我々には出来なかった理由としては、まず我が国は国土が狭く、その気になれば手弁当で全国どこでも駆けつけられたことと、近代以降に経験した戦争がすべて一年未満で終わった短期決戦か、または限定的な出兵であり、「国家総力戦」は結果として帝国として初の敗北を喫することになった日中戦争~太平洋戦争(大東亜戦争)が初めての体験であったため、それまで兵站(ロジスティクス)という概念を軽視していた、あるいは考えなくてもどうにかなってしまっていたことが原因として考えられます。
「国土が狭い」「長期戦の経験が乏しい」は、そのまま我が国の「補給軽視」「兵站軽視」の文化の理由を説明しているように思います。
現代においても、これと似たような発想ははびこっており、たとえば労働時間以外の余暇が求められているのに、経営者が「家でも成長しろ」とばかりに「英会話の教材」を社員に「あてがって」いる企業の存在なども、これに近い発想からきているのでしょう。
これには、放っておいたら軍人(社員)はろくなことをしないから、これでも使っておけ、とさまざまなものを「あてがって」コントロール下に置こうとする発想が共通しているのと、またそうした軍人観・人間観が露骨に表れ出ているのが特徴的だと言えます。
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