1918年8月1日(旧暦7月19日)
ロシア大使館に別れの挨拶にいく。ベール男爵が、徳川氏に電報を打って出発を伝えたほうがいいと言う。押しつけがましいことはしたくない、と答えたが、ベール男爵は、徳川氏は私の曲をたいそうほしがっていたので、出発を知らせるのはあくまで礼儀だと言う。なので電報を送る。
昼間は大森でブリッジをした。みんな私の出発を羨み、晴れがましい気持ちだった。
夜は荷づくりをした。フローシカさんが何度も私のところに来て、あれこれ世話を焼いてくれ、やたら親切だった。
ロシア大使館に別れの挨拶にいく。ベール男爵が、徳川氏に電報を打って出発を伝えたほうがいいと言う。押しつけがましいことはしたくない、と答えたが、ベール男爵は、徳川氏は私の曲をたいそうほしがっていたので、出発を知らせるのはあくまで礼儀だと言う。なので電報を送る。
昼間は大森でブリッジをした。みんな私の出発を羨み、晴れがましい気持ちだった。
夜は荷づくりをした。フローシカさんが何度も私のところに来て、あれこれ世話を焼いてくれ、やたら親切だった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます