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TAMAの日記

【祭】によって違いが分かる、近江八幡「旧市街」の成り立ち②

4月16日(火)

おはようございます。

今朝の近江八幡は気温15℃。
雨模様ですが、日中は曇りとのこと。

天気も悪い予報でしたので、今日のうちに
用事を済まそうと、昨日は地元の方の
ご利用が多かったです。

🚕ドライバーとして独り立ちしてから、
昨日で1ヶ月が経ちました。

本当に・・・

「あっという間❗️」

でしたが、細かいミスはあったものの
大きなトラブルは無かったので、
そこは良かったです。

業務にも少し慣れて、これからなんとか
やれそうな自信も芽生えて来ましたが、
こんな時に事故をやりがちです。

気を引き締めて、今日からも
頑張りたいと思います。



お客様を乗せて日牟禮八幡宮鳥居前へ
行く途中、小幡町交差点で私自身、
初めて


(近江八幡観光物産協会サイトより)

太鼓が練り歩く光景を見ました。
 
太鼓の大きさもさることながら、
何より祭りに参加する人の多さに
驚かされました。

見た感じ「左義長まつり」以上です。

祭りの参加者を確保するのに苦労する
昨今、なおかつ今日は平日の
月曜日です😲

確かに、昔に比べて有給は取り易いと
思いますが・・・

「祭りの日に休めない会社なんか
辞めたらええねん‼️」

昔、義父から聞いた言葉がこの地には
まだ良い意味で、息づいているのかも
しれませんね。

八幡まつりの詳しいことは

こちらのサイトを見ていただくとして、
昨日の続きです。


「アンタらは、近江八幡は豊臣秀次が
作った城下町って習うやろ」

「はい、そう習いました」

「城下町ができる前から、日牟禮八幡宮は
あるんやで」

ここで、「八幡まつり」に参加する
町名を見てみます。

市井、多賀、北之庄、鷹飼、中村
宇津呂、大林(出町)、土田、船木、
小舟木、大房、南津田

次に、こちらの地図をご覧ください。


(yahooマップより)

町の区割りに違いがあるのが
分かると思います。

細かい区割りになっているところが
豊臣秀次が城を築いて以降の町です。

つまり、「八幡まつり」に参加する
昔からある集落の

「ど真ん中❗️」

に城下町が作られて、主に安土から
民衆が移り住んだということです。

諸説ありますが、安土からやってきた
人達が「八幡まつり」の壮大な様を
見て

「自分達も【祭】をやろう‼️」

となって、始まったのが

「左義長まつり」

らしいのです。

なので、近江八幡の二大祭禮は
在所によって棲み分けがされていて、
日牟禮八幡宮の正式な祭禮は

「八幡まつり」

という事だそうです。

お客様は、秀次以降に出来た町で
下車されていきました・・・


昔からこの地に住んでいる町衆に
とっては、秀次が作った城下町も
立派な

「新市街地」

だった訳です。



有力な近江商人の屋敷跡が多く
残る通り名が

「新町通り」

なのは、そういう意味が
あったのかもしれませんね。


それでは、行ってきます



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