おはようございます。
今朝の近江八幡は気温15℃。
雨模様ですが、日中は曇りとのこと。
天気も悪い予報でしたので、今日のうちに
用事を済まそうと、昨日は地元の方の
ご利用が多かったです。
🚕ドライバーとして独り立ちしてから、
昨日で1ヶ月が経ちました。
本当に・・・
「あっという間❗️」
でしたが、細かいミスはあったものの
大きなトラブルは無かったので、
そこは良かったです。
業務にも少し慣れて、これからなんとか
やれそうな自信も芽生えて来ましたが、
こんな時に事故をやりがちです。
気を引き締めて、今日からも
頑張りたいと思います。
お客様を乗せて日牟禮八幡宮鳥居前へ
行く途中、小幡町交差点で私自身、
初めて
(近江八幡観光物産協会サイトより)
太鼓が練り歩く光景を見ました。
太鼓の大きさもさることながら、
何より祭りに参加する人の多さに
驚かされました。
見た感じ「左義長まつり」以上です。
祭りの参加者を確保するのに苦労する
昨今、なおかつ今日は平日の
月曜日です😲
確かに、昔に比べて有給は取り易いと
思いますが・・・
「祭りの日に休めない会社なんか
辞めたらええねん‼️」
昔、義父から聞いた言葉がこの地には
まだ良い意味で、息づいているのかも
しれませんね。
八幡まつりの詳しいことは
こちらのサイトを見ていただくとして、
昨日の続きです。
「アンタらは、近江八幡は豊臣秀次が
作った城下町って習うやろ」
「はい、そう習いました」
「城下町ができる前から、日牟禮八幡宮は
あるんやで」
ここで、「八幡まつり」に参加する
町名を見てみます。
市井、多賀、北之庄、鷹飼、中村
宇津呂、大林(出町)、土田、船木、
小舟木、大房、南津田
次に、こちらの地図をご覧ください。
(yahooマップより)
町の区割りに違いがあるのが
分かると思います。
細かい区割りになっているところが
豊臣秀次が城を築いて以降の町です。
つまり、「八幡まつり」に参加する
昔からある集落の
「ど真ん中❗️」
に城下町が作られて、主に安土から
民衆が移り住んだということです。
諸説ありますが、安土からやってきた
人達が「八幡まつり」の壮大な様を
見て
「自分達も【祭】をやろう‼️」
となって、始まったのが
「左義長まつり」
らしいのです。
なので、近江八幡の二大祭禮は
在所によって棲み分けがされていて、
日牟禮八幡宮の正式な祭禮は
「八幡まつり」
という事だそうです。
お客様は、秀次以降に出来た町で
下車されていきました・・・
昔からこの地に住んでいる町衆に
とっては、秀次が作った城下町も
立派な
「新市街地」
だった訳です。
有力な近江商人の屋敷跡が多く
残る通り名が
「新町通り」
なのは、そういう意味が
あったのかもしれませんね。
それでは、行ってきます