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TAMAの日記

【祭】によって違いが分かる、近江八幡「旧市街」の成り立ち①

4月15日(月)

おはようございます。

今朝の近江八幡は気温11℃。
今日も雨の心配は無さそうです。


昨日は、予想に反して超「暇😪」な
一日でした。

ビジネスのお客様も通院のお客様も
日曜日は見込めませんので、観光の
お客様だけが頼りでしたが、昨日は
明らかに少なかったです。

一昨日が良過ぎた反動でしょうか・・・

期待した「八幡まつり」は、昨日が


「松明まつり」で夜が本番でしたので、
今日の日中に行われる


「太鼓まつり」に、あらためて
期待したいところです。
(写真はいずれも近江八幡観光物産協会の
公式サイトより引用)

ところで・・・

以前このブログで、お客様から

3月の「左義長まつり」
4月の「八幡まつり」

近江八幡の春を彩る二つの祭には、明確な
「棲み分け」が存在すると教えてもらった
話を書きました。

近江八幡に長く住みながら、私にとって
「目から鱗」だった事を、これから
書こうと思います。


私がそれまで思っていた近江八幡は、
滋賀県道2号線大津能登川長浜線より

北側が旧市街
南側が新市街

こんな風に捉えていました。

それは、こちらの古地図を見ていただくと
分かるように


(インターネットから拾いました)

近江八幡の旧市街は、八幡山と
朝鮮通信使が通ったことから
名づけられた「朝鮮人街道」
(現 県道2号線)との間に
形成されており、近江八幡駅との
間には、田畑しかありません。

これは、俗に言う「鉄道忌避」の
滋賀県代表とも言える事例です。

当初、鉄道省は町の中心部に現在の
東海道本線を通し、駅を設置する
計画でした。

しかし

鉄道の開通で町の風紀が乱れる等、
町人の反対が激しく、中心部から
約2キロ離れた今の場所へ
近江八幡駅が作られることに・・・

その後、近江八幡駅と旧市街地との
間にある田畑が区画整理されて
官庁街や新しい住宅、店舗が次々と
建ち初め、新市街地が形成されて
いきました。

鉄道の開通によって近江八幡は
近代化の波から取り残され、
衰退の一途を辿っていくわけですが・・・

その事が、逆に古い街並みが残る
要因になり、今や観光地として
見直される訳ですから、何が
功を奏するのか分かりません。


ある日

近江八幡駅から、旧市街にお住まいの
お客様をお乗せした時のこと。

お客様との会話の過程で、八幡まつりも
近かったので

「左義長まつりが終わったと思ったら
次は八幡まつりですから、準備が
大変ですね」

と話を向けると、私には意外な答えが
返ってきました。

「私らには関係あらへんねん」

「関係ないんですか?」

「八幡まつりは北之床(ラコリーナの辺り)
とかの祭りやねん」

「そうなんですか?」

お話好きなお客様は、旧市街の歴史を
私に語り始めました。


=つづく=


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