熊本の震災テレビ報道の中でL字型に配置された2棟のマンションを渡り廊下で繋いだその渡り廊下の破断状態を「緩衝部として破断してよい部分」とテレビで説明している人がいたが、
人が立ち入る部分を破断含みの緩衝部とすることは2棟各棟を各守ることが人に対する安全性の確保よりもプライオリティが高い設計思想となっていることを意味する。L字に配置されていることから各棟揺れにギャツプが生じ易いことは容易に理解できる。
しかし、そうであるならば渡り廊下のフレキシビリティが充分確保されていなければならない。破断前提のバンパー的緩衝部として配設されているならば、破断時確実にそこに人が居てはならない。
地震は普通突発的に起きることを考えれば、その突発性に備え常時人の立ち入りを禁じる渡り廊下でなければならないが、普通そんな渡り廊下などわざわざ付設しない。フレキンビリティが不充分だったことを誤魔化そうとしての説明か、或いは設計思想的に稚拙極まりないかのどちらかなのだろう。
軒下(各棟)を借して母屋(人)を盗られる。
国民の生命(第一義)と財産(第二義)を守ることにその端を発すると考えれば設計思想的に稚拙。
得てして潰れることにより緩衝機能を得んと配設される車のバンバーは中空。
少なくともバンパーの中に精密機器を配設することは、まず無いはない。
みんなの党都議として政治活動後広島出身とのことで国政では広島からの出馬を勘案中なのだろうが、どこ(選挙区)から出馬するかの選び方が見識的に理解できない。
<みんな>の支持の下都議として活動てしいたのなら政治的基盤・支持者は当然東京都民なのだろうから国政でも都から出馬するのではないかと思いきや、タレント・知名度優先議員としてはどこから出馬してもよいと
それが
「みんなが感心してついてくる<見識>」
だとすれば、
みんなが感心してついてくる見識とやらが、
疑わしい。
それに恐らくこの場合、<感心>しているのではなく<関心>があるということで、
その対象はマネーであり、タレント芸能ゴシップであり、テレビワイドショーや週刊誌などの内容はそういったものが一番多く読まれているのが現実だろう。