外務省のアメリカン・スクールに問題があると同様にメディアのアメリカン・スクールの問題を指摘する上で、政治の、経済界の、同じような図式を勘案すれば、その表現はスクールではなく、<アメリカかぶれ>程度なのが見えてくる。
基盤が歴史の短い移民国家であり、その国内の民俗・人種間の軋轢・状況を正確に認識できないバカがその類なのが明らか。
何につけアメリカを親方とみなす<親方星条旗>であっても右向く親方日の丸のバカと同様になるのは必然。移民・多民族国家での法治の徹底と拳銃容認の自衛感覚の併存から人間の脆弱性と性悪性に気付けない程度ではそうなる。
<右を向く>にしても、協働・協調と上が上がの小役人的依存の違いがそんなところに出ているように感じる。
ある意味、日本は戦後70年の帰結として、アメリカを感覚的・価値規範的にも相対化できなくなっているのが実情。
自己言及の限界がそこに顕れる。
言っちゃなんだが、純一郎 平蔵そして明の系譜のママが地上げ屋のバカ娘真紀子にあっことを重くみれば、その実情がそれそのものだったことが分かりやすいと思う。
横浜市民意識調査 | 若い世代ほど「ネットの差別仕方ない」 - 毎日新聞 mainichi.jp/articles/20151…
「差別のあることは仕方がない」
如何なる事由に於いても刑罪の対象の認識意外あり得ないことすら分からん輩が2割とのデータに驚き。<仕方ない>はあり得ない。
或は、差別と批判・批評等との判別もつかん程度が2割もいるのだとすれば嘆かわしい。
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