究極のご先祖様供養を求めて三千里 ~私の旅日記~

唯一無二の本物のご先祖様供養。未熟すぎて手放してしまった私が、再開を夢見て前向きに旅する日記です。

星椎 水精 先生の本日のコラム①’

2021-06-14 22:47:02 | 日記

星椎 水精 先生の本日のコラム①からのつづき。

先生のコメントのどの部分に考えさせられたかと言うと、『先祖も大事だが、まずは自分の体の防御を考えた方が良い。生霊外しや水晶が必要かどうかは、時期が来れば自ずとわかる。』

この最後のフレーズである。

私は2月の浄霊からお断りされてしまった。
その、事の発端が、この「生霊外し」についての相談メールだからだ。

あまりにも職場で度重なった、自分にとっての辛い辛い体験。
誰かからメールが来るたび、また批判されるのではないか、怖い、怖い。
メール恐怖症、人間恐怖症に陥り、半分以上精神は病んでいたと思う。
心も体もボロボロで、よく眠れず、寝る前も起きた直後も、職場の人の顔が思い浮かんで休まらず、笑えず、涙が溢れて止まらず、思考力が完全に低下し、仕事でミスを連発。

きっとあの人たちの生霊だ。生霊外ししていただけたら、楽になるだろうか。
そう思い相談のメールをした。
すると、先生に尋ねてくださり、私の場合は該当しない、とのお答えをいただいた。
そして、ご先祖様供養を頑張ってください、と締めてあった。

超お忙しい中いただいた、スタッフからの心尽くしの返信メールに、私はすぐに返信することすらできなかった。
生霊ではないんだ・・・。私はご先祖様から嫌われているんだろうか・・・。

その時の私は、自分の置かれている環境が辛すぎて、ご先祖様供養を最優先で考えることができなかった。
むしろ、ご先祖様をご供養しているのに、どうしてこんな辛いことが度重なって起きるのだろう、などと思っていた。

とにかくご先祖様が最優先

無欲のご供養でなければならない

ちっぽけで欲張りな私。
こんな気持ち、ご先祖様、全部わかってるから。
いつでも試されている。
私は、自分の試練を乗り越えられなかった。
ただそれだけ。

私にもいつか、生霊外しや水晶が必要かどうか自ずとわかる日がくるだろうか。


星椎 水精 先生の本日のコラム①

2021-06-14 21:54:14 | 日記

私は毎日、星椎 水精 先生のコラムを拝読している。

http://www.senzokuyou.net/category/column/

本日のコラムには、5月の会報に対するお礼や、ご先祖様の浄霊以外に、ご自身の「生霊はずしとオーラを厚くする儀式」を執り行っていただけた方からの感謝のメールが紹介されていた。

その方は、浄霊の申込みメール送信後に、頭のてっぺんから何かがジワーッと蒸発するのを感じたり、仏壇の前でご先祖様に合掌したとき、「ようやくわしらの順番が来たー!!」のように、遠くから脳内で確かに聞こえたそうだ。

そして、最初のうちは「生き霊外しとオーラを厚くする儀式」の申込みを考えていたが、頑張ってご先祖様のご供養も申し込まれたとのことだった。

その内容に対する星椎先生のコメントには考えさせられた。

『長い間、成仏を待ち侘びてきた先祖にとって、どれほど嬉しい瞬間であったかがよくわかるメールである。先祖も、確実に成仏出来ることがわかっているため、このような言葉が出る。
生霊外しのことも触れているが、あくまで申し込む末裔が健康でなければ、浄霊も依頼できないことを先祖も理解している。先祖も大事だが、まずは自分の体の防御を考えた方が良い。生霊外しや水晶が必要かどうかは、時期が来れば自ずとわかる。』

星椎 水精 先生の本日のコラム①’へつづく


不思議なお話④

2021-06-14 00:25:23 | 日記

不思議なお話③のつづき

従姉妹からかかってきた電話を切った後、
私は再度母に電話をし、会話の中身を伝えた。

すると母がこう言った。
「H雄さんのこと、知っとるかもよ。聞いてみればよかったのに。」

本当だよ~汗
あまりに久々の電話すぎて、母は無事だ、ということと、
お互いの近況報告だけで終わってしまっていた。

今度は私が、従姉妹の携帯電話を鳴らしてみた。

「聞きたいことがあって。S家のお墓の墓誌に、H雄さんの名前が
刻まれてるじゃん?キヨサクさんの横に。」

「あ~、そういうの、興味あるの?キヨサクさんではなくセイサクさん
だったと思うよ。H雄さんて、戦死した人ね。」

(前に浄霊していただいたあの方は、キヨサクさんではなくセイサクさんとお読み
するんだったんだ~!お名前呼び直しの儀を執り行っていただかなくては。
こんな感じで、正しい呼び名ってわかるものなんだな~。なるほど。)

「その人の母は離婚して戻ってきて、再婚する際に、H雄さんを
置いて出て行ったんよ。」

なんとっ!
母に置き去りにされたってこと!?
そのうえに、24歳という若さで戦争で亡くなった!?
可哀想すぎるではないか。

取り寄せていた戸籍謄本を、再度よく確かめてみた。
私の父と一緒に住んでいた。
母に置き去りにされたのは9歳頃。
実際に亡くなったのは昭和20年ではなく、昭和19年の8月9日。
南西諸島方面にて死亡(戦死)。
(長崎の原爆で亡くなったのではなかった。)
その約4ヶ月前に婚姻していた・・・。奥さんも可哀想。
母は前の夫と別れてすぐに、H雄さんを捨てて再婚。
再婚した日の2日後に女の子を産んでいる・・・。
うぅっ、こ、これはどういうこと!?
離婚する前から、通じていた、ということか・・・。

母と話した。
どうやってでも、H雄さんを早くお助けしたいね と。

H雄さん。
本当に本当に本当に、不甲斐ない末裔で申し訳ございません。
大変お待たせしてしまい申し訳ありません。
浄霊を再開していただけるよう努力いたします。
本当に申し訳ございません。