「おかあさん もう あるけない」
木藤亜也さんも、ある日こんなふうに歩けなくなってしまったのでしょうか?
やがて症状は体の内部までおよび、食事を喉に詰まらせてしまう亜也。
みんなの泣き顔が涙でぼやけた。
きっと私はこんな些細な事で死ぬのだろう。
今までも”どうして生きているのだろう”とか”何も出来ない”とかはあったのですが、あからさまに”死”と言う言葉が出てきたのには少なからずショックを受けました。
”死”を身近なものとして感じはじめる亜也。
その一方で亜也の書いた文章は人々の間に広がりはじめ、同じ病気の人達の”励まし”となっていく。
自宅に戻り、家族と1日を過ごした亜也。私にはとても微笑ましい光景に感じました。
けれども次のシーンでは言葉を失っている亜也がいました。
そして遥斗との面会のシーンを経て、5年後、亜也は帰らぬ人となります。
原作が木藤亜也さんの残した日記なので、日記を残せなくなった20歳から亡くなる25歳までの間は必然として語られませんでしたね。
ただ、亜也さんにとって一番辛い5年間だったのではないのでしょうか?
昭和63年5月23日 午前0時55分
木藤亜也さん 25歳で永眠
花に囲まれて 彼女は逝った
そして亜也の亡くなった1年後から再び話は語られます。
母、潮香の言葉として・・・。
亜也のお墓の前で、亜也の両親と水野先生が話しています。
亜也さんは常に前向きで最後迄諦めず凄い人でしたと言う水野先生に、両親は亜也は普通の女の子でしたと返します。
そしてその場を去ろうとした水野先生は振り返り、こう言います。
「池内さん。やっぱり亜也さんは凄い人でした!」
広い野原に亜也の日記に共感した大勢の人がお墓参りにやってきます。
亜也の日記の反響をどう表現するのかは難しかったと思います。
スタッフ一同悩んだでしょうね。
私は”うっ”
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でもね亜也。
あなたのおかげでたくさんの人が生きる事を考えてくれたのよ。
普通に過ごす毎日が嬉しくて暖かいもんなんだって思ってくれたのよ。
近くにいる誰かの優しさに気付いてくれたのよ。
同じ病気に苦しむ人達が一人じゃないって思ってくれたのよ。
あなたがいっぱいいっぱい涙を流した事は、そこから生まれたあなたの言葉は、たくさんの人の心に届いたよ。
ねぇ亜也、そっちではもう泣いたりしてないよね。
お母さん笑顔の亜也にもう一度会いたい。
亜也さんの残した「1リットルの涙」が、他の誰よりも今現在も、ご両親の生甲斐となっているのがうれしいです。
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体育館でシュート練習をする亜也。それを優しい表情で見守る遥斗。
このシーンはドラマのスタッフから潮香さんへのプレゼントのような気がしました。
もう病気に悩まされる事の無い元気な亜也と潮香さんが願った同年代の男の子との恋物語。
お墓参りのシーンで遥斗が登場しなかったのは、彼が架空の人物だから。
当然ながら現在の近況など有る筈も無い。
けれど潮香さんの望んだ”遥斗”は、どこかの世界で亜也と一緒にいるかも知れないと・・・。
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追記:ドラマを観終わって思います、この日記を残した木藤亜也さんは本当はどんな方だったのでしょうか?凄い方だったのでしょうか?普通の女の子だったのでしょうか?お亡くなりになる前に是非一度、会って話をしてみたかったなと。