若竹屋酒造場&巨峰ワイナリー 一献一会 (十四代目日記)

何が酒の味を決めるのか。それは、誰と飲むかだと私は思います。酌み交わす一献はたった一度の人間味との出逢いかもしれません。

手造りの価値

1999年02月14日 | 業界人進入不可
山形の全工程フルオートメーションの四季醸造蔵を見学したとき、ビン詰めされていた酒のラベルに『手造り純米酒』と書いてあったのを見てかなりショックを受けた事がある。

箱麹タイプの自動製麹機を導入した島根の蔵元で、老練の杜氏が僕に言った。「この機械は私より上手に麹を造りますねえ」

新潟の吟醸タイプを主力商品としている蔵の社長が言っていた。「55%精米までの仕込なら手造りも機械仕込みも変わりませんよ」

やはり新潟の、限定流通でブランドを伸ばしたメーカーの蔵人さんが僕に言った。「今勤めている所は蔵ではなくて工場ですから」

手造りと機械造りの違いは何なのだろう?そもそも手造りは機械造りより価値があるんだろうか。

最近の僕の考えはこうだ。
「価値」というのはお客様が決めることで、善し悪しを決めるものではない。全工程フルオートメーションを例にとれば、味の安定化は図れるし、製造コストの削減もできる。だけど、大きな資本が必要だ
多くの蔵元は小資本だから、そんな設備投資はできない。若竹屋ではする気も無い。なぜなら、自分たちが思う造りが出来なくなるから。

人間の創造力は無限であり、酒造りは常に、「これでいいのか?」と自らに問いかけながらしているものなのだ。そして、「これでよい」と言うことはない。機械化は「ここを変えよう」と思った時には、さらに多大な設備投資を強いられるのである。

だから私たちのような小資本の蔵元は、手造りである強みを活かし常に酒質の向上を図るべきだし、また遊び心のある酒を造ることにチャレンジしないといけない、と思う。

そして、杜氏の人格と蔵人たちの酒に対する愛情が高まるほどに素晴らしい酒が生まれるのだと思う。機械ではなく人が造る酒だからこそ、そこにある「物語」がまた僕たちを酔わせるのではないだろうか。

1999.2.14