若竹屋酒造場&巨峰ワイナリー 一献一会 (十四代目日記)

何が酒の味を決めるのか。それは、誰と飲むかだと私は思います。酌み交わす一献はたった一度の人間味との出逢いかもしれません。

となり町戦争 三崎亜紀

2005年01月30日 | 読んでる十四代目
となり町戦争

集英社

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京都会議の往復した新幹線の中で読みました。

西日本新聞社の久留米総局へ新年のご挨拶に伺ったとき、隣のツタヤに車を止めた。ついでに立ち寄って新刊コーナーを眺めて手にした本。しばらく積みっ放しで忘れてたのを、京都行きで手ごろに読めそうな雰囲気だったから連れて行った。

まず設定が奇抜で引き込まれる。なにせ町の事業として、となり町と戦争が始まるのだから。事前に戦争事業計画を提出し、となり町と協議の上、共同で事業は進められる。戦闘区域と時間帯は決められているので、普段の生活にはまるで戦争のにおいがしない…。一風変わったSFなのかな、とも思ったが、読み進めるうちに主人公たちの持ついらだちや、哀しみといった感情に共感を持った。なるほど、これは文学作品だ。

著者は久留米市役所の現役職員なんだそう。第17回小説すばる新人賞を受賞した作品です。

江藤市長を囲む会

2005年01月28日 | 近ごろの十四代目
 
今日は「山苞の会」主催で江藤久留米市長を囲んで座談会を行いました。田主丸町で活発な町おこし活動をしている「山苞の会」は、この耳納山麓のすばらしい景観と文化が合併によってどう変化するのかを考えています。ここはいっちょ、江藤市長と腹を割って話そうや、というわけです。

久留米市は、この2月5日に田主丸町を含む周辺4町と合併し、新・久留米市としてスタートします。合併の目的は、30万人中核市となることでの行政機能のアップと財政変革ですが、それにともない地域資源の融合ネットワークを推進したいと江藤市長は話されました。

周辺の町はどこも、これまで50年ほど各郡で連携をとってきました。田主丸町も、吉井町・浮羽町とともに浮羽郡を形成し、文化・教育・産業と強い結びつきを持ってきたのです。市長にはぜひとも新・久留米市内だけではなく、周辺地域との連携に心砕いて欲しいと意見しました。市の経営は難しいものでしょうが、私たち住民こそ足元を見つめた町づくりを進めたいものです。

えずかったぁ…

2005年01月27日 | 近ごろの十四代目
 
今日、同友会の打合せで福岡に向かう途中のこと。田主丸から大分自動車道甘木ICへ向かい、筑後川にかかる両筑橋を渡っていたら、端の中央付近で「福岡県警」のロゴジャンパーを着た捜査員が15人くらい、橋の上から下を覗き込んでいる…。何があったの?

そのまま甘木ICから高速に乗って、大宰府ICの手前3キロ付近を走行中のこと。僕が3車線の右端(追越車線)を120キロくらいで走っていると、5台くらい前の車が蛇行しはじめた。内側から追い抜きしようとしているのかな、危ないな、と思っていた。

その蛇行がどんどん大きくなっていく。ついには左端車線を走行中のトラックに接触!そのままスピンして右端ガードレールに激突!急ブレーキ…。えずかぁ~(筑後弁で、怖~い)。巻き込まれた車はなく、みんな徐行で脇をソロリと抜けていっている。

運転者はすぐに車外へ出て携帯をかけている。よかった、無事みたい。というわけで、僕も横を抜けながらデジカメのシャッターを切ったのでした…。その日の帰り道は、超安全運転だったことは言うまでもありません。

たのしまる春まつり2005 実行委員会(1)

2005年01月26日 | 近ごろの十四代目

今日は田主丸町観光協会の会議室で「たのしまる春まつり2005」の実行委員会がありました。

この春まつりは、2003年から始まったものです。田主丸中央商店街がもともと行なっていた春祭りと時期を同じくして若竹屋が酒蔵開放をしていました。そこで、日程を合わせて開催しませんか、という話を山先輩に相談したのでした。その後、林田武先輩にもご相談し、町を巻き込む大きな春まつりへと成長してきました。

今では、商店街をメイン会場とし、若竹醤油・巨峰ワイン・紅乙女・若竹屋酒造場の4つの蔵が同時に蔵開きをし、3000人以上のお客さまが訪れるイベントになりました。今年は更に多くの町づくり団体と連携して行なおうと、実行委員会に団体代表をお招きしての会議を開催しました。

うちの杜氏(製造部長)の横尾が口癖のようにいうことがあります。
「まちに蔵がある風景というのは素晴らしいですよね」と。
僕もそう思います。そう考える社員がいることが、とても嬉しく思います。

京都会議 青年会議所

2005年01月24日 | 青年会議所の十四代目
 
毎年1月は青年会議所の全国会議が京都にて行われます。今年は理事長をしているので、浮羽JCのメンバー12名とともに参加してきました。

全国727青年会議所の理事長たちと新年会式典から総会まで出席。基調講演は北川正恭氏(前三重県知事)による「ローカルマニュフェストの推進」。「地盤・看板・カバン」型の選挙から、本当の民主主義が生まれると思いますか?という問いかけは分かりやすく心に迫った。

夜に浮羽JCメンバーと合流し、懇親会。2次会のクラブではすぐに眠ってしまいましたが、楽しい一日でした。

蔵見学 福岡国税局様

2005年01月21日 | 近ごろの十四代目
今日は福岡国税局の課税第2部長が蔵見学にお越しになりました。

酒は農産物加工品なのですが、酒税がかかるために国税局の管轄なのです。せっかくの機会なので幾つか進言申し上げました。曰く、税収先としてではなく産業育成の視点で業界とともに取り組んで欲しいこと。輸出に関する規制緩和や指導をして欲しいこと、などなど。生意気な若造と思われたかなぁ。

お酒の学校 2期生新年会

2005年01月20日 | お酒の学校の十四代目
 
今日は「お酒の学校」2期生の新年会でした。会場は春吉の「つる瑠」。

福岡県中小企業家同友会でリーダーを務める「経営指針推進プロジェクト」の今年最初の会議をして、軽く新年会をした後に遅れて「つる瑠」に向かいましたが…もう、例によって例のごとく…としか表現のしようがない盛り上がり方で、一升瓶があっというまに次から次へと無くなっていく…すさまじい(失礼)一夜でした。料理も美味しかったですね。松本幹事、お疲れさまでした♪

知的興奮たっぷりの一日

2005年01月19日 | 近ごろの十四代目
 
今日は沢山の出会いがあった一日でした。午前中は“筑後の情報誌”「くるめすたいる」さんが呼びかけた座談会に出席しました。ご一緒したのは、「杜の蔵」の森永君、ドリームスFMのパーソナリティ・松田さん、会場となった素敵な料理屋「季の花」のオーナー・橋本さん、くるめすたいる編集部の筒井さん。これから酒が来る!と盛り上がった座談会でした。詳細は今月末の新聞に折り込まれる「くるめすたいる」に掲載されます。

夜は、おなじみのアヴァンティ村山編集長のご紹介で、西日本新聞社・社会部デスクの傍示(かたみ)さんと、九州大学大学院の坂口先生とご一緒しました。お店は大名にできたばかりの「旬彩・播磨」。

傍示デスクとは何度も「飲もう!」と企画しては流れていたので、ようやくお会いできてとても嬉しかったです。坂口先生はお名前は知っていたのですが、お会いしてその感性の鋭さに驚き!それもそのはず(?)「技術と感性の融合を学問する」という「ユーザーサイエンス機構」なるものを、九州大学で運営されるのだそう。

村山編集長に永石副編集長・スタッフ田中君らと共に、話題はジェットコースターのように縦横無尽。美味しい料理と知的興奮を味わった夜はあっというまに過ぎていったのでした。「旬彩・播磨」で5時間(!)もお喋りしたにも関わらず、まだまだ!と最後は大名のバー倉吉に行って、終わったのは午前3時…みなさん、お疲れ様でした。

画像は「旬彩・播磨」にて

蔵見学 剣菱酒造様

2005年01月18日 | 近ごろの十四代目
 
今日は「剣菱酒造(株)」様が来社されました。技術顧問の高須先生と品質管理室長の奥山先生、そして社長のご子息である白樫経営企画室長の3名でお越しになりました。

なんでも、創業500年を迎えるにあたって、江戸時代の酒を再現したいとのこと。技術指導に広島にある醸造試験場(独立行政法人酒類総合研究所)を訪ねたところ、若竹屋の林田伝兵衛が元禄時代の酒を復活させ製造しているから聞きに行ってはどうかとすすめられたそうです。

偶然にも、高須先生と伝兵衛蔵元は大阪大学の同じ研究室にて学んだ同門でした。ということで、僕も同席させてもらい、様々なお話を聴かせて頂きました。

阪神淡路大震災で剣菱も大打撃を受けたこと。復興にかけた思いや苦労はリアルで、震災のひどさを改めて感じました。日本に冠たるブランド「剣菱」も、若竹屋と同様に酒造りに並々ならぬ情熱を持っていると、心強く、また刺激を受けた一日でした。

そして、父・林田伝兵衛の学生時代の昔語りも実に楽しく、彼の技術と功績を誇らしく思う14代めなのでした。

蔵見学 京美屋様

2005年01月16日 | 近ごろの十四代目
 
今日は、大牟田から呉服「京美屋」様が蔵見学にお越しになりました。社長の福島さんとは同友会で一緒に活動していますが、とても素敵な若旦那です。

蔵見学の後、若竹屋の母屋を開放した食事処「和くら野」で昼食をとりました。デザートまで終わったので顔を出したら、「林田さん、ちょっと机を動かしてもいいですか?」と福島さん。一体、何事?「これから、ちょっとした発表会をしたいので」とのこと。

いきなり長襦袢姿の女性が着付けを始められ、またまたびっくり。ほんの15分ほどで素敵な帯を締められたのです。この京美屋がすすめているのが、特許も取っているという「とても簡単な着付け」なのだそう。クリップとプラスティックの帯板を使って、いとも簡単に着付けていきます。

「僕たちの業界は伝統産業のように言われますが、着物は今でも新しいし、進化もしているのです。私の仕事は呉服の販売ですが、こうやってお客様とご一緒に年5回、色いろな所へ出かけ、着物を着る機会も提供しているんですよ」と福島さん。

なるほど、さすがです。あまりに簡単(そうに見える)な着付けに、僕も和服が欲しくなりました。

厄除け祈願祭

2005年01月15日 | 青年会議所の十四代目
 
今日は朝から、メンバーの厄払いと浮羽JCの一年の祈願祭を行ないました。午前8時の若宮八幡宮は寒かったデス。

神事は厳かに執り行なわれました。前厄・本厄・後厄のメンバー以外にも、大勢のメンバーが集まってくれたのは嬉しい事でした。神官が祝詞の後にカセットのスイッチを押して雅楽を流したのには驚きましたが(笑)。

サーカスのライオン 絵本

2005年01月09日 | 読んでる十四代目
サーカスのライオン

ポプラ社

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僕は絵本も大好きです。
今考えると、僕の活字好きは幼い頃に母が読み聴かせてくれた絵本に端を発しているのでしょう。その時代にせがんで読んでもらった絵本たちが今、手元にあったらとても幸せなのに。そう思って最近少しづつ、記憶を辿りながら題名を忘れた絵本を探し買い集めています。

「サーカスのライオン」は僕が幼い頃に読んだものではありません。僕の子供たちが町の図書館から借りてきたものでした。読み進めるうちに涙が溢れ、何度も言葉に詰まってしまい、そんな僕に何か不安でも感じたのか子供たちまで泣き出してしまいました。

 サーカスのライオン「じんざ」は老いて少し疲れています。
 ある日じんざは、
 サーカスが好き、なかでもライオンが好きなんだ、という少年と出会います。
 じんざは少年の言葉に励まされます。それから毎日ステージ裏を訪ねてくる少年。
 おこづかいが貯まったから明日はライオンの火の輪くぐりを見に来るよ、と少年。
 じんざの身体に力が沸いてきます。
 ようし、明日は若い時のように火の輪を五つにしてくぐってやろう。
 その夜更け、消防車のサイレンの音が、少年の家のほうから聞こえて来ます。
 じんざは檻を破り少年のアパートへ駆けて行く。
 ごうごうと燃えるアパート。
 アパートに取り残された少年。
 火の輪をくぐる勢いでアパートへ飛び込むじんざ。
 じんざの力で少年は助け出されます。しかし、じんざは…。
 次の日、サーカスでライオンの曲芸は寂しかった。
 五つの火の輪は燃えていたけれど、くぐりぬけるライオンがいないから。
 それでもお客は一生懸命に手を叩いた。
 ライオンのじんざがどうして帰って来なかったかを、
 みんな知っていたから。

人はなぜ涙を流すのか。自分が色んな意味の涙を流すようになって分るようになる。成長した子供たちがいつかまたこの絵本を読んだときに、ほろほろと涙を流してくれたらいいなあと思うのです。

野鴨と稲穂(林田事業グループ章)

2005年01月06日 | ものおもう十四代目
 
このマークは野鴨と稲穂をデザインしたもので、林田企業グループのフィロソフィー(経営哲学)をあらわそうと、平成15年に創られました。


【野鴨の哲学】

デンマークにあるジーランドと言う土地にある湖がありました。この湖には毎年、野生の鴨たちが翔んできます。その湖のそばに、ある善良な老人が住んでいて、毎年大変な距離を渡って来る野鴨たちに餌を与えるようになりました。野鴨たちはおいしい餌があるし、景色がいいから、この湖ですごす季節は毎日が豊かで、楽しくて、健康的で、大変恵まれていました。
野生の鴨たちは渡り鳥なのでひとつの湖に住み着くことはなく、ある季節を過ごしたあとは餌を求めて次の湖に翔び立つ習性をもっています。ところがある年から野鴨たちは、こんなに景色がいい、こんなにおいしい餌がたくさんあるのだから、何も大変な苦労をして餌を求めて次の湖に翔びたつことはないじゃないか、とその湖に住み着いてしまいます。

なるほど、毎日が楽しくて、健康的で、恵まれて豊かでしたが、ある日野鴨たちに不幸が訪れます。毎日おいしい餌をたくさん用意してくれていた老人が死んでしまい、明日から食べる餌がなくなってしまったのです。
そこでしかたなく鴨たちは餌を求めて次の湖へ翔びたとうとすると、どうしたことかかつて何千キロも翔べる力をもっていたのに、まったく力がなくなっていて翔ぶこともできなければ、駆けることもできないのです。
そのとき鴨たちに更なる不幸が訪れます。近くにあった高い山から雪解け水が激流となって湖に流れ込んできたのでした。ほかの鳥は丘に駆け上がったり、翔びたったりしてその激流を避けますが、醜く太ってしまったかつての野鴨たちはなすすべもなく激流に押し流されてしまったのでした。

この実際にあった話からキルケゴールは実存主義哲学を生み出しました。またトーマス・ワトソン・Jrはこの「野鴨の哲学」によってIBMを創始したといわれています。現代日本における最も偉大な精神的指導者である行徳哲男先生は私たちにこの「野鴨の哲学」を教え説いてくださいました。「馴らされることなき野鴨たれ」と。

わたしたち林田企業グループは、創業306年をむかえる合資会社若竹屋酒造場をはじめ、株式会社巨峰ワイン、有限会社桝屋、さらには同族企業に株式会社紅乙女酒造、株式会社エイリン酒造、医療法人栄寿会真珠園療養所、林田商店、トリムパーク、と多岐に渡る事業展開を進めてきました。
それはわずか数キロしか「飛」べない鳥ではなく、何千キロもの距離を「翔」ぶ野鴨のように、自ら求めるもの、「そのために生き、そのために死すことのできる生きることの原理」を求めてきた証であるのです。
そしてわたし達、林田企業グループのすべてのスタッフは、野生の羽ばたきをもった鴨たらん、という人間の集まりなのです。


【稲穂の教え】

みのるほど こうべをたれる いなほかな

古来より日本は「瑞穂の国」とよばれてきたように稲とは切っても切れぬ密接なる関係をもっています。日本文化は稲作によって生まれ育ち今日があるといえるでしょう。
私たち林田企業グループの始まりである若竹屋はその生業を米による酒造りとしてきました。酒はその国の文化を表すといいます。つまり、その国土風土より生まれる穀物果実より醸される酒が、人間の営みの基本である飲食に影響を与え、その供しかた、飲みかた、作法や道具、立ち居振る舞いにおよび「文化」をつくっていったのです。そしてこの日本においての国酒は米より醸される酒であり、酒は日本の文化であるといえるでしょう。

ですから私たちはこの素晴らしい日本文化を深く尊ぶとともに、あの稲穂の姿から、これまで事業を継続できたことは私たちを支えてくださった総てのお客様であり、お取引先さまであり、仕入れ先さまであり、地域の皆さまであり、職員の皆さまであること、そのことを忘れてはならない、謙虚さを失ってはならない、という稲穂の教えを心に刻まなければならないのです。

「野鴨の哲学」と「稲穂の教え」は一見、相反するように見えるかもしれません。しかし、そういったバランスをもって、変わるべきことは革新し、変えてはならないものは大切に受け継いでゆくことをこのグループ章では表現しているのです。

酉年でもある年頭に当たり、あらためて「野鴨と稲穂の教え」にそった経営を行なっていきたいと思います。みなさん、本年もどうぞ宜しくお願い致します。


謹賀新年

2005年01月01日 | 近ごろの十四代目
 
明けましておめでとうございます。みなさま健やかに新春をお迎えのこととお慶び申し上げます。

2005年の若竹屋酒造場は、
元禄12年の創業より306年目を迎えることが出来ました。
蔵の中では正月も休むことなく、美味し酒が醸されています。
今年の干支「酉」は酒を入れる壺を象ったものと言われます。
 そこで、若竹屋の今年のテーマは「絶対品質の追求」です。
舌先で感じる美味さだけでなく、心で感じる「味わい」をも、
若竹屋らしさを追求すること。お客様の喉を通るまで、品質に
責任を持つこと。製造過程のみならず、流通から販売・提供の
段階まで、安全と安心と味わいを保障することを目指します。

2005年の創風工房・桝屋は、
平成14年の創業以来、みのう北麓の素晴らしい物産と文化を
多くの方に知って頂きたいと、通信販売を行なってきました。
皆さまのご愛顧のお陰でこれまで社業を伸ばすことができまし
た。2005年度は、私たちの愛するこの地域を更にご紹介でき
るよう、「みのう自慢」の復刊や、地域イベントへの積極的な
参加など、これまで以上に楽しい事業を行なってまいります♪


2005年の(社)浮羽青年会議所では、
第26代理事長として、「不易流行其基一也(ふえきりゅうこう
そのもといちなり)~不変の真理をみつめ、変革の情熱を燃やし
、己の存在意義をしる~」をスローガンにメンバー一丸となって
活動してまいります。耳納北麓の歴史と文化をつなぐ唯一の青年団
体として、これからの地域を担う青年経済人として、頑張ります!

2005年の筑後川流域観光ネットワークでは、
 副会長として栗木会長をバックアップし、筑後川流域の素晴らし
い景観と、おもてなしの心を、日本全国のひとに伝えてゆきます!

2005年度の中小企業家同友会では、
5月から経営指針委員会の委員長を任命されています。日本経営品質
賞の中小企業家への導入を目指した「同友会経営革新プログラム」を
いよいよ4月よりスタートさせます。経営者として学びつづけます!

昨年は本当に多くの方に支えられた一年であったと感謝しています。
若竹屋と桝屋のお客さまから頂いた、暖かい励ましのお手紙に、どれ
だけ勇気づけられたか分りません。また未熟な私をサポートし、共に
懸命に働いてくれた同志であるスタッフの皆さんには、感謝の気持ち
を言葉で言い表せません。「お酒の学校」や、勉強会で出逢った仲間
たちとは、これからも気の置けない付き合いになることと思います。
 JC、ネットワーク、同友会を通して出逢った友は一生の付き合い
になるものばかりでした。すべての出逢いに心から感謝しています。

どうぞ本年も、よろしくお願い致します。

平成17年元旦

ちなみに画像は、林田事業グループのグループ章です。このデザインに込めた理念は…、長くなるので別のページで解説します。