時のうてなに立ちて風を感ず。

To the happy few (Henri Beyle)

お金には力があるが 人を腐敗と堕落に誘う力もある

2023年08月16日 | 民主主義



◆ 大きなお金には大きな力がある



ツイート主の言うように、千の言葉を費やすよりも……。
ちなみに、王様は左側です。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


◆ グローバリズムや新自由主義

新自由主義の政策と云えば、規制緩和 小さな政府 民営化 などが思い浮かびます。これらに共通するのは、経済政策であることです。つまり、新自由主義とは自由な経済活動を志向していると言えるでしょう。
小さな政府、自由な経済活動、そのような社会で有利になるのはどのような人たちでしょうか。
それは、大きな資金を所有しているか、
あるいは、資金を調達して自分の為に運用できる人達が思い浮かびます。
つまり、自分の為にお金を動かせる者が、有利となる社会です。
お金が有ればあるほど有利になる、そんな社会です。
小さな政府は国民に対するサービスも小さくなり、
自己責任と云う名目で国の役割を放り投げるでしょう。
まあ、今の日本社会はそこまで行ってはいないようですが。

今の日本は、中間層が削られて富裕層と貧困層に分断されつつあります。
この状態は日本全体の経済構造にとって好ましいはずは有りません。
貧困層は消費を抑えざるを得ないし、
富裕層がその富を全部商品経済に費やすわけではない。
富裕層に富が移るほど、全体の経済は縮小してしまうのです。
人口の減少やエネルギーコストの高騰でインフレ圧力もあり、
マーケットは縮小しているのでしょう。
産業界も、内部留保を貯め込んでいる一部の大企業を除いて、
この状況を歓迎してはいないと思います。

では、なぜ今のような社会に成っているのでしょうか。
おそらく、グローバリスト(ネオコン)や、
ジャパンハンドラーと言われる人々
日米合同委員会など、
それから、表に出ない暴力や恫喝などの非合法な行為。
もちろん、利益誘導や贈収賄なども在るでしょう。
様々なチャンネルを使って、
日本はコントロールされてきたのだと思います。
それらの詳細を詳らかにするのは、
今の私には手に余ります。
ここでは、概略的な流れの説明になります。

1990年台初頭の日本の状況は、
経済大国としてアメリカに追いつく勢いでした。
ソ連崩壊後のロシアは、混乱の最中でしたし。
中国はまだ経済力も大きくはなく、
新しい産業も立ち上がりつつあると云った状況で、
どちらの国も、米国が急いで対処しなければならないほどの、
ライバルではまだありませんでした。
つまり、アメリカにとって唯一の脅威となっていたのは、
当時の日本の経済力だったのです。
今にして思えば、アメリカは様々な手段を講じて、
日本経済の弱体化を企図実行したのだと分かります。
世界の中で大きなシェアを誇っていた半導体産業は、
日米半導体協定の締結で、大きなダメージを受けました。
30余年に亘る日本経済の低迷には、
米国支配層の意図が強く反映しているのではないでしょうか。


◆ リビア
  




アメリカを中心とするNATO 諸国は、
『リビア軍が国民に暴力を働いている』と云うデマを理由にして、
空爆を実行しました。
無差別の空爆はインフラを破壊し、
リビアの国民(民間人)を多数死傷させました。
国の中枢を破壊し、ムアンマル・カダフィ最高指導者を
アルカイダに惨殺させています。
国としての機能を破壊されたリビアは、破綻国家となりました。
多くの国民が難民となり、
地中海を渡ってヨーロッパに逃れています。
その渡航の途上で、事故や劣悪な環境の為多数の死者が出ています。
それから十年以上たった今も、
以前の豊かな国と生活は戻っていないのです。 

リビアの国民の為と云う理由で介入した筈ですが、
国を破壊し、国家元首であるカダフィ氏を殺害した後、
関心を失ったのか、リビアに対する有効な手だても講じずに放置している。
『リビア国民の為』と云う介入の為の理由との整合性が全く取れていません。
これらの事を考えてみれば、リビアを破壊すること自体が目的だったのだと、
そう推測するのが自然ではないでしょうか。

当時のオバマ政権の国務長官だったヒラリー氏の、
カダフィ氏の死を聞いて喜んでいる映像があります。
リビア国民の為に喜んだのではないことは確かだと思います。


* google翻訳で 『Gaddafi』 を訳すとなぜか 『カダフィー大佐』となってしまう?

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 



本当の民主主義はとても脆弱

2023年03月31日 | 民主主義

『霧のロンドン』というちょっと幻想的な絵画をイメージさせる言葉が在ります。石炭の煙と霧の混じったスモッグが滞留したものと知るまでは、少し憬れていたものです。産業革命の頃の工場では、子供でも立派な労働力だったようです。安価ですぐ替えの利く労働者としてですが。勿論、労働基準法なんて影も形も無い時代です。病気や怪我で働け無くなれば、お払い箱になってしまいます。保障などは有りません。仲間が居て助け合うことが出来なければ……、命の安い時代だったのです。

チャールズ・ディケンズの小説には、そんな情景がユーモアを交えながらも鋭いまなざしを持って描かれています。『オリバー・ツイスト 』は月刊誌の連載として執筆された為なのか、読者を飽きさせる事も無く読み進められます。ディケンズは新聞記者だったので、当時の社会の様々な物事を見聞きしたのだろうと思う。弱者や虐げられている人々に寄り添う暖かなものが感じられるのです。

カール・マルクスも、産業革命の頃の工場労働者の状況に心を痛めた事が『資本論』を執筆する動機になったと、何かで読んだ記憶が在ります。昔の事なので確信はあまり有りません。その辺は広い心でお願いします…😓

弱者や虐げられている人々に寄り添うその心、人としてとても大切なその心が、今の社会を動かしている人々に感じられないのは私だけなのでしょうか。

民主主義を人の体に例えると、神経のようなものと考える事ができると思う。今、苦しんでいる人、困っている人は、痛みを訴えている神経細胞なのです。何らかの手当てが必要なのだと脳細胞に伝える事で解決を求めるのです。自分や周囲の人々だけでは解決出来ない困難に見舞われて困っている時、何らかの形で地方や中央の行政に伝わる仕組みを持つのが、民主主義の一つの基本的な形なのではないだろうか。

民主主義は、国民全てに主権が在るのです。赤子から老人まで一人も欠ける事無く主権者なのです。これに例外はありません。選挙権という政治行為こそ18歳に成るまで持てませんが、主権者としての権利は等しく持っているのです。



最近の日本では、大きなデモやストライキなど、主権者である国民の正当な権利の行使がほとんど見られなくなってしまったように思う。民主主義における国民の政治行為は、投票だけでは無いのです。デモにより自分の意見を多くの人に伝える事もまた主権者の大切な役割なのです。
今日のように、世の中がおかしくなっていると感じている時に、長いものに巻かれても抗わなければそのまま丸呑みされてしまいます。







吉村妃鞠さんは、。現在進行形で成長している姿を見せてくれている。
今でも素晴らしい演奏を聴かせてくださっていますが、将来がさらに楽しみです。
激動の時代ですが、健やかなる成長を祈ります。


民主主義の裏の顔

2022年10月28日 | 民主主義
民主主義の反対は?
民主主義の反対は共産主義でも社会主義でもありません。それは、民主主義の仕組みや制度ではなく、民主主義の本質を考えれば自ずと正解に辿りつくはずです。そう、民主主義の本質とは主権在民です。主権者である国民の自由で正しい意志が国の運営に正しく反映する事です。
そうは言っても、抽象的過ぎて、現実の社会とどう結びつくのか分かりませんね。少し具体的に考えてみましょう。ここで中心となる柱は主権者としての国民です。民主主義は、良い主権者が求められます。愚かな主権者ばかりでは衆愚政治に堕する事になります。
良い主権者とは、民主主義社会に生きる一人の人間として、主権者の役割を果たすことのできる人のことです。主権者の意志が国の舵取りをするのであるならば、主権者にはそれなりの良識と能力とを具えている事が必要です。選挙権が18歳になるまで得られ無いのはこの為でしょう。
民主主義は、国民の意志が国の舵取りをするという本質から、これこそが民主主義の形であると云う定まった正解を持ちません。それは、時代の流れによって変化してゆく社会の舵取りをするのに適している原理であると云う一面も在りましょう。しかし、時代や社会の変化に対応することが容易にできると云う事は、悪しき変化もまた容易になるのです。民主主義それ自体には、善し悪しの価値基準も判断基準もありません。それは国民自身が決める事なのです。
さて、民主主義には決まった形の正解が無いとは言っても、必要なものはあります。良い主権者を培い育てる為の公教育制度。世の中の出来事や変化を、主権者である国民に正しく伝える為のメディア。この二つが民主主義を支える柱なのです。これらが 民主主義が要請する役割から外れてしまえば、民主主義は機能しなくなり形骸化してしまいます。

民主主義と共産主義との関係について上記を踏まえて考察してみます。民主主義には様々なものが在ります。議会制民主主義、社会民主主義、自由民主主義、等々。これらは民主主義と云う基本の原則を、実際の社会に制度として組み上げる為に、加えられる理念や手法と合わさった考え方です。ここでは、民主主義と云う基本理念のみに焦点を当てます。
まず、民主主義は、国の主権と云う権利構造を規定するものです。そして、共産主義は、財の所有関係を規定すると考えられます。つまり、これら二つの主義は、それぞれ異なった分野を規定しており、互いに排他的な関係では無いのです。共産主義であり、民主主義でもある事が理論としては可能なのです。共産主義は民主主義の対極の概念では無いことが分かります。
それでは、民主主義社会の民主主義が機能しなくなるとどうなるのでしょうか。それは、民主主義を支える柱である教育或いはメディアのいずれか、もしくはその両方が、民主主義の要請する役割を果たさなくなった時でありましょう。クーデターなどで社会を強制的に改変する事も挙げられますが、ここでは言及しません。
さて、民主主義を支える柱の一つである教育に求められる役割はたくさん在ります。基本的には、この社会で生きていく上で必要な知識と良識とを学び、一人前の社会人として生活できる能力を獲得する為に教え学ぶ場所であり、同時に、良識ある主権者を育てる場でも在りましょう。
教育は、即時性ではなく その果実が実るのは何年も先になります。今何か変更しても、その結果が出るのは変えた事を忘れた頃かも知れません。この意味で、文科省をはじめ教育に携わる人々は、今現在と同時に何年も先の未来を見据えていなくてはなりますまい。
1970年頃、日本は学生運動が大変盛んだったのです。これを嫌った政府与党は、大学の自治を弱体化させて文部省(当時)の管理を強め、さらに、学生が政治に関心を持たないように様々な施策を講じたのです。その結果が今日の社会ではありますまいか。貧困化が進み子供食堂が全国で6000箇所もある(必要だから)のに、政府から聞こえてくるのは防衛費の増額や、敵基地攻撃能力のような話ばかりです。それでも大きなデモなどの社会運動は見受けられないようです。つまり、1970年頃からほぼ半世紀を経て、政府と文科省の目論見は見事に達成されているのです。今日、主権者教育は形骸化しており、民主主義を担う為の主権者教育は本来のあるべき姿からは程遠いと言えるのでは無いでしょうか。
もう一つの民主主義を支える柱のメディアについては、日本だけでなく、欧米のメディアもほとんど完全に一部権力者の道具となっており、主権者である国民を操作する為のツールに成っています。主権者国民は正しい認識が出来ず、結果として正しい判断をする事が出来ないのです。しかも、人々は自分が間違った判断をしているとはその時は分からないのです。思いもかけない結果が押し寄せて来て初めて気が付くのです。現在、国民の主権はずいぶんと封じられてしまっているようです。
民主主義を支える柱である教育とメディアが正しく機能しない時、専制政治、扇動政治が現れ、その行きつくところはファシズムかも知れません。多くの国民がネオナチの支配するウクライナを知らずに応援しているのですから。もちろん、国は知っていますが。

Natalia Lafourcade - Alma Mía

国民の主権は幾重にも封じられている

2022年07月12日 | 民主主義

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◆ 主流メディアは社会状況を正しく国民に伝えていない

WWⅡの後アメリカで、モッキンバード作戦(Operation Mockingbird)というものが秘かに実行されたそうです。これは、メディアを使って一般の人々を思うようにコントロールしようとした試みです。公的機関が一般の人々の思考を誘導すると云う事は、民主主義の国であるならば、主権者である国民の主権者としての正常な判断を阻害する行為であり、民主主義を破壊するものであると言えましょう。

モッキンバード作戦はアメリカで実行されたのですが、アメリカのコントロールの下にあった日本でも同様な事が行われたのではないかと推測しても、あながち間違いではないように思えるのです。WWⅡの後、占領軍であるGHQは対日政策として、『3R』という基本原則を掲げ、『5D』という重点政策を決め、その補助政策として『3S政策』を実行したとされているようです。この『3S政策』は愚民化政策とも言われ、大衆に娯楽を提供して政治への関心や不満を持たないようにコントロールする為の政策とされているようです。『5D』の内の一つにに -Democratization- (民主化) と云う政策が在りますが、『3S政策』と云う民主主義を破壊する政策とは相容れません。これは、形は民主化であっても本音は操作し易い愚民化であったと考えることができるのではないでしょうか。

そして、今日の社会状況を見れば、特別に政策として実行しなくても日常的に 愚民化文化 とでも言うべき社会状況が現出していると強く感じています。主流メディアは、少し調べればバレるような嘘を臆面もなく発信する様になってしまったようです。これは、主権者である国民の主権者としての正常な判断を阻害する行為であり、民主主義を破壊するものです。

◆ 主権者である国民が正しく判断し行動する為の能力を培う教育は?

今でも学校では『前へ倣え、気を付け、休め』の号令があるそうです。集団生活を送る為に必要なのだ、とされているようです。しかし、その根拠は薄弱であるように思います。この、号令で動く訓練には、教師(権威者)の指示で何も考えずに従って動くことであり、意味を考えたり疑問を持ったりすることを排除し、権威に盲従することを求められているという側面もあります。

石田ゆたか氏のツイートのように、細かな規則を作ってそれを盲従させることは、管理の為には有用でありましょう。管理は楽になりますが、それを教育とは言えないのではないでしょうか。文科省は、主体的に考える教育を掲げているようですが、実態は権威に従順な子供を作り出しているのです。これは、主権者の正常な批判力を損ない、正当な主張を奪うことになると考えます。

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G.F. Händel - Ombra mai fu

Patricia Janečková - Sopran


メディアのケーススタディー

2022年05月24日 | 民主主義

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メディアは、社会の姿を主権者である国民に正しく伝えるということが、民主主義の社会を成り立たせるための重要な要件になっているはずです。

しかし、民主主義社会と自認している日本を含めた西側と言われている国々の主流メディアは、あたかも戦時中であるかのような(まあ、ウクライナは正に戦時中なのですが)記事があふれている状況になっています。

そこで、特にこれから社会に出て行く方にお勧めしたいのが、メディアの事例研究なのです。今、フェイクも誤誘導などの記事はいくらでも見つけられます。

記事の内容の真偽を追求することも大切ですが、メディアそのものを知ることが今特に必要なことなのではないかと考えます。メディアをブラックボックスとして、なぜフェイク記事を創るのか、なぜ実際の現実とは逆のことを記事にするのか。そして、そこにどのような力が働いているのか推測することは今の西側のメディアがどのようなもので、どのような役割を果たしているのかを知る手掛かりとなるでしょう。もちろん、すべてが解るというような事は無いでしょうが。

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Vika Starikova – Три желания


民主主義の2つの柱

2022年05月05日 | 民主主義

https://twitter.com/queeralamode

左側はイラク侵攻の時のブッシュ大統領

右側はウクライナ侵攻の時のプーチン大統領

『エコノミスト誌』の2つの画像を比べれば

エコノミスト誌の編集者が読者に

どのような印象を持ってほしいのか

一目瞭然ですね。

 

メディアは視聴者や読者にアピールするために、感覚や感情に働きかけることがよくあります。

しかし、私たち視聴者や読者にとっては注意する必要があります。上記の画像もその一例ですが、論理的に思考して分析したり価値判断したりする前に、同情や嫌悪感などの感情的な反応を惹起して思考を特定の方向に誘導されてしまうかもしれないのです。

全体の中での位置付けや背景を語らずに、感情に訴えるだけの記事は特に注意深く受け止めることが必要だと思います。

 

さて、今回もまたしつこく民主主義の話をします。民主主義は法や制度などの仕組みやかたちだけでは不十分で、運用がとても大切であることは以前のエントリーで書きましたが、民主主義の運用の二つの柱について考えてみましょう。

二つの柱と云うより車の両輪と表現した方が分かりやすいかも知れませんね。民主主義の本質は、主権者である国民の意思が政治に正しくフィードバックされることにあります。そのために必要なものが、主権者である国民が正しく判断するための能力を培う教育と、世の中の情報を正しく主権者である国民に伝えるための正常なメディアなのです。この二つのどちらが欠けてもまともな民主主義は成り立ちません。

現実の社会に目を向けると、今のメディアの在り様は上記の理想に照らしてみれば、その役割を果たしているとはとても言えない現状が目の前にころがっているのです。

正しい情報を入手できることはとても大切で、民主主義ということだけではなく自分や家族や友人の命を守ることにもなるのです。行政が国民の命を守る役割をしっかり果たしているとは、とても言えない今の日本社会の状況では特に重要になっているのではないでしょうか。コロナ然り、ワクチン然り。ウクライナの紛争でもロシアに対する制裁措置一つとっても、非友好国と認定された日本は光熱費などの値上げが予想されます。また、ロシアやウクライナは小麦の輸出国であり、ロシアは肥料の輸出国でもあります。混乱の状況によっては食糧不足になる可能性もあり得ます。食料の多くを輸入に頼っている日本にとっては好ましくない状況になるかもしれません。

世界の状況を冷静に分析し、日本の国民の国益を守るために行動するまともな政治家が出てくることを願うばかりです。

 

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民主主義の崩壊

2022年04月21日 | 民主主義

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民主主義はそのしくみ建付けとしての議会制度や普通選挙、三権分立、立憲主義などが在り、主権在民という民主主義の要を実現する為の仕組みとされているようです。

しかし、それだけでは綱渡りのように不安定で、国民の主権は十分には担保、実現されず、簡単に扇動政治や衆愚政治に陥って一部の勢力による寡頭政治などになってしまうでしょう。主権者としての国民が自分で考え、物事を判断する力を失えば民主主義など成り立つはずもなく、形だけの張りぼて民主主義になるのは誰にでもわかることでしょう。ハーメルンの笛吹きにぞろぞろと付いて行けば、そこに待っているのは利用されて捨てられ顧みられることのない苦難の道か破滅への下り坂くらいです。そして、高みから見物している人たちから贈られるのは『自己責任』と言う支配層に都合の良い言葉くらいではないでしょうか。

今主流メディアは見事なまでに一致協力してハーメルンの笛を高らかに鳴らしており、そのあとを判断力や思考力批判力を封印された人々がぞろぞろ付いて行ってるのが今の社会の現状でしょう。今のうちならまだ止まれるかもしれません。しかし、能力も力もないので、はがゆく見守ることしかできません。

 


主流メディアや言論界界隈!!

2022年03月21日 | 民主主義
音楽は心の癒しですね。
 
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某 ”Y”ポータルサイトを閲覧(チラ見)すると、ウクライナ関連のニュースや論評の見出しがたくさんあります。
そのほとんどがロシアに対して否定的な立場に立っているように見受けられます。
それでも、ありのままの真実を誠実に伝えているのならば良いのですが、見る人が見ればあからさまな嘘をまぜて、現実とは逆の印象になるように操作の手を加えているように見えます。
 
(ロシアのプーチン大統領の写真)
下の写真はあからさまな印象操作の意図を感じますね。
 
2014年から続いているドンバスでの虐殺は無いと主張する専門家もいるようです。
 
 
 
ドンバス (ドネツク人民共和国、ルガンスク人民共和国)での市民の犠牲者は8年間で14000人以上になるそうです。
これをないと言ってしまう専門家って?
2014年当時に、UPされたドンバスの映像を見た者としては、上の画像は真実を物語っていると考えます。
 
◆ 何でウクライナだけがメディアにあふれている?
 
 
郵政民営化が話題だった時や、鳩山‐小沢民主党が政権を取った時にも、古くはロッキード事件の時の田中角栄氏に対しても、メディアはたいへん騒がしかった。
いずれも、日本の支配層やその上の思惑が成った時には静かになった。
メディアや言論空間のコントロールがここまでだとは思わなかった。
背筋が寒くなるのは私だけなのだろうか。
 
ウクライナについて大筋の流れがわかります。
馬渕睦夫氏は元外交官で駐ウクライナ大使をされたこともあるようです。
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上記の動画は分かりやすく要点をまとめていたのですが、残念ながら削除されてしまったようです。理由は不明ですが、何らかのちからがはたらいたと考えてしまいますよね。まあ、妄想であるならば良いのですが……。
(2022/04/30日追記)

主権者は誰でもなれるが良い主権者に成るには努力が要る

2022年02月17日 | 民主主義

素敵な演奏に感謝を、そして健やかなる成長を祈る。

世の中には素晴らしい才能を持った子供がたくさんいます。

そんな子供たちの未来に少しでもより良い世界を残したいものです。

 

ちょっと原理原則的な話をします。

民主主義の社会は主権者の総意によって政治を執り行う事になっています。

つまり、主権者である国民の意思が政治のかじ取りをするということです。

ここで、主権者である国民の質(レベル)が問われることになります。

この国民の質(レベル)とは個々の人々のことではなく、マスとしての国民全体の質(レベル)のことです。

民主主義は衆愚政治にも扇動政治、専制政治などにもなり得ます。

まともな民主主義を成り立たせるため、主権者である国民には民主主義を担うに足るだけの能力と質が求められます。

では、国民の能力と質はどのようにして担保されるのでしょうか。それは、公教育制度を主とする広い意味での教育によって担保されるのではないでしょうか。

民主主義を維持運用するには教育により国民の能力と質とを維持しより高めてゆかなければなりません。

残念ながら現在の教育環境の状況は、民主主義を担う国民を育てるという意味に於いては不十分すぎるし、悪化すらしているように見えます。


民主主義は生もの ーケアしないとすぐに腐るー

2021年07月28日 | 民主主義

憎悪、欲望、虚偽、責任ロンダリングで知らんぷり等々が溢れかえる世の中ですが、そんな時には心に響く歌を聴いて、心の滓を流してしまおう。

え、どこの世界のこと?…と思った幸せな人もどうぞ聴いてください。

さて、心がちょっぴり洗われたところで基本的な原則の話をします。

民主主義とは主権在民、つまり、国民一人ひとりが主権者であるという考え方です。

でも、それだけでは原則的な理念にすぎません。

具体的な国としての社会のしくみは『議会制民主主義』と『普通選挙制』が挙げられているようです。

つまり、選挙で選ばれた代表が政治を担うというたてつけで、選挙権のある国民が主権者だから主権在民の民主主義国なのです。

どうもしっくりしませんね、何か言いくるめられてしまったような気分です。

どこぞの副総理が「手口を学べ」と大変参考になさったナチスは、民主的体制から合法的な手続きを経て誕生したそうです。

実は、民主主義はそのたてつけやかたちだけではなく、運用がとても重要であり疎かにすれば簡単にひっくり返ってしまいます。

 

‐次回のエントリーでは民主主義の運用について考えてみます‐