時のうてなに立ちて風を感ず。

To the happy few (Henri Beyle)

目を背ける事無く見続ける

2024年05月28日 | 考察メモ

 

昔はあった

子供の体内がどうなっているのか知らなかった時代があったなんて信じられない。

赤ちゃんが死んだとき、手足がどのようにぐにゃぐにゃになるのかも知らなかった、

体の一部を失ったとき

頭がない、

親がカメラの前で抱きかかえるとき、手足は命もなくぶら下がる、

泣き叫び、懇願し、絶望する。

生きたまま焼かれながら "パレスチナ解放 "と叫ぶ男の気持ちを、私は知らなかった、

叫ぶものがなくなり、永遠に声を失うまで、

しかし、声が出なくなった後も、何かの力によってずっと立っていた。

私はかつて、人がどれほどサディスティックになれるか知らなかった、

どれほど憎悪に満ちているのか、

人間の苦しみに無関心でいられるのか、

あるいは、他人がどれほど困っているときに英雄的になれるか。

昔は知らなかった。今は分かる。
 そして今、私はここに座り、頭は鉛のように重く、舌は赤ん坊の死体のようにぐったりしている、

手は星よりも古く感じる、

どうしたらいいのかわからない。

何を言っても無駄だ。

この状況を納得させるために私が言えることは何もない。

これが私たちが生まれた文明なのだ。

これが支配者層が決めた普通のことなのだ、

飛行士が燃える前に言ったように。

私は古ぼけた手を痛む心臓にあてる。

大いなるものに祈りを捧げる

より良い世界のために

より良い世界のために。



◇ これは、ケイトリン・ジョンストン氏の傷ついた心の叫びのように聞こえる。
この世界の現実の理不尽さ、残虐さ、社会的な力を持った者達の狡猾さと無責任さ、そして、大衆の愚かさ、でもそれだけではなく無私の献身的行為や、絶望的な環境にあっても希望の灯をともし続ける人々の力強さもまた見たことでしょう。
だからこそ、彼女の論説がより本質に迫り、読者の心に響くのだろうと思う。

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