時のうてなに立ちて風を感ず。

To the happy few (Henri Beyle)

『今だけ 金だけ 自分だけ』ということの本質

2021年05月13日 | 考察メモ

お小遣いをもらった子供が、『今だけ金だけ自分だけ』のようにしてコンビニで小遣いを使い果たして菓子を買い、一緒に遊んでいる子たちに分け与えず一人で食べてしまってもさほど問題は生じない。せいぜい友達からの評価が落ちるくらいだろう。

では、政治家や企業の経営者の場合はどうだろう。 何らかの社会的なちからを持つている者がその力を行使すれば、その影響は力の及ぶ範囲にもたらされる。市長なら市民に、県知事なら県民に、そして、総理大臣ならば国民全体に影響が及ぶ。
その政策などを決定する判断基準が『今だけ金だけ自分だけ』で、市民や県民そして、国民のことは二の次なのだとしたらその民にとって良い事など無いことは明らかでしょう。

つまり、社会的な力を持つ人はその力の及ぶ範囲の人々の思いを掬い上げる事が出来て、始めてその役割を全うすることが出来るのではないでしょうか。
社会的な力の大きさと、そこに生きる人々の思いを掬い上げる範囲の広さとの間に乖離が生ずるとき、様々な問題やコンフリクトが発生するのだと思う。

『今だけ金だけ自分だけ』という価値判断基準の本質はこの乖離にある。
この乖離という視点で現今の政治家や官僚、企業の経営者などを見ると暗澹とした思いがこみ上げるのは私だけだろうか。