愛玩動物(ペット)の飼い主凡ては加害者である
誰も動物の声を聞いた者はいない。
数年前に、動物と会話が出来ると云う外人女性がテレビに出ていたが、あんなものはインチキである。
吾も過去に猫を飼っていた事が在った。
12年共に暮らして、其の寿命を全うした。
猫は亡くなる時期が来たら姿を消すと聞いていたが、吾が飼っていた猫はそうする事なく家で息を引き取った。
付図、そんな事を思い出した。
飼っていた猫は幸せだったのだろうか.....。
当時は、トイレを躾け、餌をやり、じゃれ合い可愛がっていた。
其の積もりだった。
吾の荒屋に飼われていた猫はどう感じていたのだろうか.....。
そんな猫の心根を知る術も無いので、
「これだけ可愛がっているのだから幸せだったろう」
と此方が勝手に思い込んでいたが.....。
坂上忍が手掛けている保護活動が面白おかしく編集されて番組で週一流れている。
まぁ好きで保護活動を好きでやっているのだから、他人がとやかく云う事でも無いが、あの犬猫達は幸せなのだろうか。
見る限りでは安心し切っている様に見える。
外敵の心配は無く、虐げられる事の無い環境下だから、身の安全と飯の心配は要らぬ。
今や野良猫は其処彼処で闊歩しているが、野良犬は皆無である。
野良犬による人間へ危害を懸念して殺処分して来た。
在来犬を除く外来種には、過去に人間による品種改良が幾度と無く行われて来た。
其の代表犬がブルドックや小型犬と呼ばれる犬達である。
人間が飼い易い様に、従順に手懐けて支配し易い様に品種改良が行われて来た。
今では、此の犬達に服を着せ、装飾品を付け、オムツまで履かせている。
犬にしてみれば、此れが本当に自然の姿なのだろうか。
飼い主の欲求を満たす為だけに犬を支配下に置いているとしか見えない。
此れはもう虐待の最たるものである。
野良犬を処分しなければ、今のクリーンな環境は得られなかっただろう。
野良猫も同じ扱いにしなければ公平性は保てない。
人間が生きて行く為には犠牲が伴う。
そう云う吾も、鶏肉や、牛、豚の肉を食している。
吾は食事の際、食肉となった鳥(鶏)、牛、豚の肉が善に並べる時は、「ありがとう。でも申し訳ない」と黙祷をしてから頂く事にしている。
今人間に飼われている凡ての動物は、人間の欲求を満たす目的で飼われている。
中にはそんな事は無いと半気違い状態で反論する者も居るかも知れぬが、愛玩動物(ペット)として、家に招き入れている事自体が、其の表れである。
其れに気付いているが、気付かぬフリをしているだけだ。
ペットとして飼われている凡ての動物が本当に気の毒である。
飼い主は加害者で、飼われている愛玩動物(ペット)は被害を被っているばかりである。