百握りとも云われているそうな。
いつだったか忘れたが、テレビで手相占いの特集をやっていて、付図、自分の手のひらを眺めると、何と両手のひらに在るではないか。
片方でも珍しいとの事だが、吾は両手のひらに其れが在る。
此の相を有するものは、最強の運を持つと云う。
そうかなぁ.....。
結構しんどい人生送ってるけどなぁ。
自分也に懸命にやっているのだが、一向に強運の恩恵に預かっていない気がする。
人には、其の人のキャパと徳分が備わっている。
其の度量、器量は違う。
最強の相を有している者凡てが強運の恩恵に預かれる筈も無い。
姓名判断も同様で、同姓同名の同じ字画数だからと云って同じ人生を歩む訳でも無い。
其処には、生まれ落ちた時の背景や人間関係が大きく作用する。
其れと自身の心の持ち方。
だが、思い返してみると、吾は3歳の時に喘息発作で心肺停止に陥った事が在ると聞かされている。
当時の医師の懸命な蘇生措置のお陰で命を救われたのである。
医師によれば、心肺が停止していた時間が長かったらしく、脳き機能が損傷している恐れが在るので、何処かに麻痺が残るのを覚悟して欲しいと、祖父母が宣告を受けたと云う。
だが、今こうして悪態を吐けていると云う事は、其の後遺症は残らなかったと云う事である。
そして、し其の二年後の5歳の時、小型トラックに跳ね飛ばされたのである。
其の時の状況はハッキリと憶えている。
横断歩道を歩いていたら、左方向からトラックが勢い良く突っ込んで来て、吾は跳ね飛ばされた。
だが、怪我は左脚の軽打撲程度で、1ヶ月の入院で済んだ。
命の危険に遭ったのは此の時だった。
此れを思えば、二度も命の危機から脱したのである。
此れ程の強運はあろうか!
そう、吾は強運の恩恵に預かっていたのである。
其の後は、揉み揉み状態の人生ではあるが、無一文に数回陥るも、其の度に起き上がって今こうして、祖母の医療費が払えている。
此れも強運の為せる業ではないだろうか。
決して困らない様に実生活を送れている。
有難い事である。
華々し生活が強運の具現化では無い。
地味ではあっても、実生活を送れている事が実は大事である。