手渡して帰ろうと付図、エントランスを見ると数人のご老人と一緒にオリンピックを見ていた。
直接側には行けないので、声掛けだけをしようと担当の介護士さんに頼んで此方に顔を向けて貰った。
吾は婆さんに手を振った。
マスクだと解らぬと思いマスクを外して手を振った。
其の距離約5m弱。
婆さんは吾の方に顔を向け見詰めていたが、「ん?誰?」と云う様な表情だった。
忘れてしまったのかも知れない。
其れとも一時的な現象なのだろうか...。
其の時の婆さんの顔が眼が印象的だった。
吾が今迄に見た事の無い、何とも清々しく穏やかな顔だった。
介護士さんとのやり取りを見て、吾は婆さんの何とも穏やかな顔を見た。
とても可愛い、愛らしい、まるで幼児の様な表情だった。
此れ迄の婆さんの苦労の連続だった人生の苦労から、軛から解放された様に見えた。
例え婆さんが、吾の事を忘れたとしても、婆さんの表情を見て此れで良かったと思った。
本当に苦労の100年の人生。
寿命尽きる其の時が来る迄、苦労だった100年を忘れて穏やかに余生を過ごし寿命を全うして召されるのであれば、此れ程に幸せな事があろうか。
吾は、潜在意識下の澱が昇華した如き心が軽くなった。
又しても、婆さんによって心が救われた。
病に倒れても尚、周りを救う婆さんの偉大さに吾は育てられて来たのだ。
此れ程の幸せがあろうか。
吾は此の歳になる迄、其の事に気付かず、思いを致す事無く泣き事ばかり口走って来た。
婆さんは年々体が小さくなっていた。
だが、其の背中はとても大きく暖かだ。
身を以って其の事を気付かせてくれた婆さん...
ありがとう。