何処に行くでもなく、圏内を彷徨いてばかりいた。
年末は風呂と台所を掃除し、此れ迄溜めていた小型破砕ゴミ等の分別をしたくらいである。
自治体によって、ゴミの分別の仕方が違う。
年始はと云うと、小さな皿盛りを1つ買い、陰膳として祖父母と兄貴の分の小皿に取り分けて、肉体は無いが魂が来ていると思って皆で形ばかりの正月をした。
生前の祖母から聞いた話だが、実は吾には兄貴がいた。
吾が此の世に出る以前に、馬鹿な母親に堕胎されていたのである。
母親に手をかけられなければ此の世に出て、良し悪しは兎も角、人生を歩んでいた筈であった。
そして吾も孤独にはならなかったのではと思う時が在る。
そんな兄の気持ちは図れないが、残念だったに違いない。
祖母から兄の件を聞いて、とても悲しくなった。
辛い人生だったとしても、此の世に出て己の足で歩む事はとても重要で意味が在ると思う。
其の途上に於いて、色々な出会いや別離を経験出来る事が幸せなのではなかろうか。
とは云っても、とても筆舌では表せない程の不遇の人生も在る。
世に出て順調に人生を歩んでいる半ばで誰かの手にかけられる人もいる。
又、自然災害や事故等で落命する事も在る。
いや待てよ。
此れ等の災難に出会す事に、生きる事のどんな意味が在るか、其れを言葉で言い表わす事が自分には出来るのだろうか.....。
暫く考えてみたが言葉が見つからなかった。
あ、また話が脱線してしまった。
そんな兄の事を思えば、吾は祖父母に守られて今日迄来れた事に感謝したい。
兄は誰にも守ってもらえず、本来ならば守ってもらえる筈の母親によって故意に堕胎された。
吾は兄の分まで命在る限り生きねばならない。
来年もそして再来年もずっと此の先、盆暮れには祖父母と兄を招いて語らいたい。
此の世に出ていれば、吾より三歳上である。
己の人生に対して途方に暮れる事なく、日々を過ごして行く事が兄への供養になる。
吾が口を開けば場の雰囲気を乱すと云う事らしいので、明日からは貝の如く殻を閉じて表に突出する事なく淡々と日々の生活を送って行こうと決めた。
吾は、人間関係とか人脈とか人望が如何なるものかサッパリ理解出来ない。
人の人生は努力して切り拓いて行くものだと云うが、吾の様に晩年は貝の如く殻を閉じて生きる人生も在る。
此れを吾の今年の抱負にしたい。