何も無い.....。
行く先々、気が付けば裸一貫で手元に何も無い繰り返しだった。
抑々の思考が貧しい為、身から出た錆ではある。
考え様によっては身軽である為、次への行動のレスポンスは良い。
今の寂れたアパートに落ち着く迄に6軒目を渡り歩いた。
吾は根無草の如く、家も仕事も彼方此方と渡り歩いて来た。
吾が知る過去の同級生等は、皆が一軒家を持ち、仕事は役付き、個人事業主、店長、社長と偉くなっている。
本当に皆は凄い。
此れが当たり前なのだと云われれば、吾は当たり前の事が出来ていない。
結婚をして、子供を授かり、家庭を築き、仕事を続ける。
子供が成人する迄手を掛けてやる。
孫が出来る。
子や孫に基盤を作って、自分の寿命が来る迄余生を過ごす。
此れが難しい。
自分が此の世に生を受け、此の世を去る迄の間の人生は何が在るか解らない。
人生設計を綿密に立て、凡ゆるリスクを想定し、病に罹るまいと健康に気を遣い、あの食事、此の飲み物.....。
適度に運動して健康維持に努める。
そして心穏やかに過ごせる様に、毎日の生活の中に祈りの時間を設ける。
皆がより良く生きる為に模索し、抗い、迷い乍ら毎日を送っている。
だが、中には錯乱して犯罪に手を染める者も居る。
皆がスムーズに人生を送る事が出来れば争いも無いが、そうは行かぬのが此の世の人生である。
悪人として、オギャーと生まれてくる者等いない。
皆が無垢の心で此の世に出て来る。
性格が確立される迄の間の環境が如何に重要な事か。
「三つ子の魂百までも」
と云う諺が在るが、其れ以降の年齢の環境によっても人は変わる。
何とかより良い生活が出来る様に努めても、一向に良くならず、深海に嵌る場合も在る。
と、こんな事を一時期考え込んだ時も過去に在ったが、考えた処で打開出来なかった。
或る時、もう幾ら考えて抗った処で何も変わらないのであれば、もうなる様になれと、心を放り出した。
放り出したと云っても、やけを起こした訳ではない。
非道な人生を送らぬ様に最低限抗い乍ら、自分の持つ器量に応じた人生を送れる様に流れに任せる。
「より良く生きる」と固執し、捉われている内は、己の応じた器量が見えなくなる。
肩の力を抜いて、近視的見方を捨てて心を解きほぐした時、己の生き方が見えて来る。
「同じ人間なんだから、彼奴に出来て俺に出来ない事は無い!」
と気張る人が居る。
中にはぐんぐん伸びて抜き返す人も居る。
其れは、其の人が奴を上回る器量が在ったからである。
だがどうしても及ばないのに気張り続ける人も居て、彼是と手を尽くすが一向に抜く事は疎か、追い付く事も出来ない事が在る。
其れは自分自身の器量が其処迄しか無いと云う事なので、此れ迄入れて来た力を抜いて心と身体を解きほぐして頂きたい。
吾も此の歳になって、己の力量が見えて来たので、あくせくせぬ様にした。
ただでさえ、凡ゆるストレスに晒されているのに、無駄なエネルギーを遣いたくないし、頑張れない。
背伸びせず、己の力量を見極めて、方向転換するが得策である。