足の動きが思わしくない様で、杖を突きながら小刻みに歩いて傾斜を下りていた。
今にも転倒するんじゃないかと心配する位に不安定だった。
吾は車で疾走中だったので、ご老人を横目に其の場をやり過ごした。
「独り買い物に来ていたと云うのは、独り暮らしなんだろうか。家族も介添人もいないのだろうか」
等と、他人の余計な心配をしてしまった。
あの足取りだと、要支援と云うより、自立歩行出来ているとはいえ、恐らく要介護の状態だと思った。
家族がおらねば、身の回りの事は自らがせねばならない。
身寄りが無いと云うのは、高齢になる程不安になるだろう。
家族というのは面倒な存在ではある。
心の通った家族同士ならいいが、そうではない場合は生き地獄である。
一つ屋根の下に暮らして別世帯の様な扱いをされ、嫌がらせで食事も高齢の咀嚼に耐えられないものばかりが食卓に上がる。
そうなれば、昼の時間にコンビニやスーパーでパンや柔らかい惣菜を食べる。
そう云う家庭を知っている。
不自由だが、何とか身の回りの事が熟せる独り暮らしが良いか.....。
其れとも厄介者の烙印を押されてゴミの様に扱われながら家族で暮らす方がいいか.....。
吾は帰宅して暫く、そんな事を考えていた。
吾は最近、唯一の友人と絶縁となってしまった。
吾は、此の一人の友人が今では唯一と思っていたがそうではなかった様だ。
ひょっとしたきっかけで、吾から連絡を取れずにいたら、パタっと途切れてしまった。
連絡するのはいつも吾の方からだった。
なので、吾が連絡をしなければ、彼から来る事は無い。
以前もそうだった。
最近、此の事に勘づいて、一度態と連絡を入れずにおいてみて、彼からコンタクトを取って来るか試してみようと思った。
案の定、来ない。
一度、聞いてみたら事がある。
「何で、お前から連絡しないのか」
と。
すると、
お前が連絡するから応じているだけだと云う様な回答だった。
詰まり、吾が連絡せねば、特に会う必要も無いし、連絡する義理も無いと云う事である。
他人とは此の程度である。
祖母が生前に口酸っぱく吾に云い聞かせた事であった。
「家族と雖も信用するな。況してや他人はもっと信用するな。自分自身を信じて大切にしろ」
と。
多くの身内や親戚、他人から騙され続けて来た祖母の言葉は當に真理であり金言であった事が、今回改めて.....何度目の改めてだろうか身に染みた。
吾はなにゆえ此れ程迄に人脈や人望、そして人としての徳分が皆無なのだろうか。
巷の家族を見る度に、何処かの次元の違う世界の様子をブラウン管を通じて見ている様である。
まぁ中には仲睦まじく見えていても、実はは生き地獄が展開されている家庭も実際在る。
今夏の酷暑も暦通り、秋の彼岸を境に終わり、空気が入れ替わり涼しくなった。
気がつくと、今年もあと3ヶ月弱。
月日が経つのは早い。
ああだこうだと悪態をついている間に又一つ歳を取る。
此の先の生活は困窮路線まっしぐらであるが、せめて気持ちだけは困窮せぬ様に努めたい。
まぁ、此れも人生か.....。