未だ未確定で、無形な先の出来事である未来。
「未来は変える事が出来る」と誰がこんな無責任な事を云い出したのだろう。
未来は変える事が出来るとしたり顔で宣う者達。
何と無責任な連中なんだろうか。
変えるとは、確定しているものを違うものにしていく事である。
未だ未確定で何も決まっておらず形作られていない事を変える?
未来は変える事が出来るという人に問いたい。
未だ何も決まっておらず形作られていないものを、何をどう変えるのか。
そう云う人は未来予知の予知能力が在るのだろうか?
何気なく、したり顔で口を突いた儘に言葉に出しているが、気を付けた方がいい。
「運命を変える」と云う者もいる。
こう云う人は、先の未来の一体何が見えたのだろうか。
「人の人生は変えるのではなく、作って行く事だ」と云うのであれば解る。
心は日々変化している。
此れは例えであるが、其の変化に応じてレールが敷かれたり、取り外されたりしている。
どんなレールを敷くかは個人の自由である。
「将来はこうなりたい」と目標を立てても、日々の喧騒が邪魔をして目標から遠ざかって行くのが殆どである。
一流のアスリートが誕生しているが、其の人達は、吾々が思う以上に努力をして来た人達であり、そうなった今も努力を続けている。
努力はしても叶わない事が殆どなのだが、心の鍛錬には非常に有効である。
闇雲に夢や目標に向かって突き進むのは危険だ。
そこそこの歳を迎えた時、一度立ち止まって行く先の進路を見直した方がいい。
幾ら努力しても目標に届かない様であれば、其れは己に適していないからである。
最低限の実生活を送れる様に、方向転換する方に力を注ぐ。
吾は此の事をして来なかった。
こう云う考えを起こさなかった。
大変後悔している。
話が大きく逸れた.....。
未確定で無形である未来は変えようがない。
未だ形として具現化されていないものを変えると云う思想と行為は意味不明で危険である。
未だ何も見えないものに戦々恐々せずに、朝なら昼に、昼なら夕に飯が食えるにはどうすればいいかに注力した方が賢明である。