久しぶりにミスターシービーと小田原へ。前から気になっていた小田原魚市場の二階にある市場食堂へ勇気をふりしぼっていく。
平日の朝にもかかわらづ観光客らしきグループが3組もいた。メニューを見て思わずうなる。・・・迷うのである。まぐろ丼、デラックス海鮮丼、3色丼、・・・・結局時間的にも無難な朝定食を注文。
これがまた良かった。まぐろとぶりの刺身大きめな切り身が2枚ずつ、まぐろの角煮、しらすおろし、焼きたてのダシ巻き卵、ご飯味噌汁、しめて730円。決して安いとはいえないが食べてみたらううっまい!安い!となった。
腹ごしらえがすんだら今日の目的地石垣山へ。秀吉が小田原北条攻めの時にベースキャンプにした城。
石垣山からみた小田原市。小田原城は目と鼻の先。この城を16万の大軍で攻めたそうな。そんな人数いらんかったと思うがこれは秀吉の天下に発する号令による天下取り確認。
山を降りて湯元早雲寺へ。ここに北条5代のは墓がある。これは北条早雲の墓。この隣に北条5代の墓が並ぶ。
今日の一冊。実はこれを読んでどうしても石垣山に行ってみたくなった。早雲の墓には俗名「伊勢新九郎」とあって実にうれしくなった。
早雲は京都足利幕府の幕閣の末裔だが、駿河今川家の家臣となり一国一城の主となるが、50代で伊豆を取り、なんと64歳で小田原大森氏を滅ぼして小田原城主となる。さらに81歳で三浦半島の三浦氏を滅ぼした後、関八州を制することになる。
話せば長くなるがこの石垣山は秀吉の北条攻めで一夜城として有名だが、北条早雲が大森氏を落としたときもこの石垣山から配下の山中小次郎が300頭の牛に松明をつけてかけおろし小田原を威嚇したのだ。
石垣山から小田原を取った北条家は秀吉に石垣山から攻められるのである。まさに歴史は繰り返す。石垣山・・つわものどもの夢の後 か
ミスターと帰宅したらキャスターが不機嫌で怒っていたので今度はキャスターと石の後ろにかくれている大磯○マをつれて再び訪問。歴史にはまったく無関心でした。