本日は少し心のお話を書きます。
根本裕幸お師匠のブログではもちろん
その他の心理系ブログでもとてもよく扱われるトピックですが
「他人からの愛情を受け取ること」についてです。
なにやら難しそうな言葉ですが、伝えたいことはとてもシンプルでして
「自分は他人からの愛を受け取るに相応しい」
「愛を与えてくれた相手は、自分を(広い意味で)愛してくれている」
「ありがたや〜」
・・・そう感じていれば、それはもう「相手からの愛情を受け取った」ことになります。
例えば私の場合ですが
母方のおばあちゃんがとても優しくて
私が訪ねて行くと、必ず私の好きな里芋の味噌汁を作ってくれました。
「私は里芋の味噌汁を作ってもらうに相応しい」
「私に里芋の味噌汁を作ってくれたおばあちゃんは、私を愛している」
「ありがたや〜」
1番目はほぼ無意識ですが、2番目3番目含めて、当然のようにそう感じていました。
一方、私の母親は典型的な教育ママで、めちゃくちゃ厳しい母親でした。
小さい子どもである私の「遊びたい欲求」を悉く払いのけ
「女性が社会で自立するにはいい大学をでなければいけないのよ!!」
・・・小学生の頃からこう言われ続けました。
そして、私が隠れてコソコソ遊んでいると、すごい怒られました。
時には手を出されることもありました。
私は、当然のごとく母親に愛されているという感覚は得られませんでした。
「勉強がキライな私は、母親に愛されるに相応しくない・・・」
「私を叱って時には手を出す母親は、私のことを愛していない・・・」
「私は不幸だ〜」
・・・そんなことを思って小学生から20代までを過ごしました。
・・・しかし、30代も半ばになった頃に気づいたのです。
「そういえばたくさん塾に通わせてもらったけど、あの学費はかなり高かったのでは?」
「そういえばテニススクールにも通わせてもらっていた・・・」
「そういえば中学校も高校も私立に通わせてもらっていた・・・」
・・・そう。
母は私の教育にお金を使うことで愛情を表現してくれました。
よく「お金で愛情は買えないのよ!」とか言いますが、そんなことはありません。
お金を使うのは立派な愛情表現です。
もう少し母に寄り添って書きますと
母は愛情を表現する方法を、教育にお金を使うことしか
知らなかったのかも知れません。
そういえば、中国や東南アジアの新興国がテレビで特集する時に
よく見る貧困家庭の親が必ずと言っていいほど口にする言葉があります↓
「頑張って働いて、子どもにいい教育を受けさせたい」
母は、この言葉の通り頑張って働いて私に素晴らしい教育環境を与えてくれました。
多くの親が夢見る世界を、自分の力で実現したのです。
それは本当にありがたいことだったのだ、母親の私への愛だったのだと
気がついたのは割と最近でした。
この前両親に会った時に「中学校から私立に通わせてくれてありがとう」と
初めて伝えることができました。
母親はまんざらでもなさそうに笑っていました。
「私は母親の愛を受け取るに相応しい」
「私にいい教育環境を与えてくれた母親は、私を愛してくれている」
「ありがたや〜」
・・・ようやくそう思えました。
母親が元気な間に気づくことができて、伝えることができてよかったです。
この幸運に感謝です。
最後までお読みいただきありがとうございました。
明日も素敵な1日を。