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前回は紫ゴルフ場に到着後運転士氏にいろいろ話かけられたところまでお話ししました。
なぜか当時の運転士さんは私に話しかけるとき必ず東武動物公園をネタにしてきました。
東武鉄道が北千住~竹ノ塚間の複々線化計画と並んで社運をかけた大プロジェクト。開園直後だったし、東武バスの車内で8トラテープでしょっちゅうPRしてましたから。「東武動物公園では団体割引がございます、詳しくはお近くの東武トラベルへお問い合わせください」という感じで。
私が乗ったその日はちょうど土曜日でテレビ朝日で正午にやってた「女の60分」という生番組で東武動物公園ロケを見てから乗りバスに出かけたということもあって「今日家でTV見てたらカバ園長出てた」などと運転士氏に喋ったような記憶があります。
現在の東武動物公園は某アニメ某『けものフレンズ』に登場する某バスに乗れるというのでまた変わった視点から大きいお友達の皆様で賑わっているようですが。
こんな話しているうちに定刻がきて紫ゴルフ場からギッシギッシと車両は動き出します。夜の帳に覆われた漆黒の闇の道を3、4分も走り抜けると俄かに目が眩んばかりにまばゆい輝きを放つアヤメハウスの照明にこうこうと照らされたバス停「アヤメハウス」。ここで「その1」でお話したようにバス待ちの女性の群れがいて、4人ばかり乗ってきました。瞬く間に車内に化粧の香りがプワーンと広がってきます。まだ野田辺りでも運転免許を持っていない女性がいても何ら不思議のない時代です。
富士重3Eボディの座席がどう並んでいたかお忘れの方もいるでしょうが、私の座っていた左側最前がタイヤBOX上の一人席、行路表とか運転士専用のちいちゃい幕式運賃表示器などなど何から何まで運転席にあるもの全てがよく見える所謂「オタク席」ですね。すぐ後ろが一人席ながらBOXに足をかけないと座れない席。そのまた後ろから2人掛け席が後扉直前まで並んでいましたね。キャディさん方は4人ほどまとまって乗ってきてよりにもよって最も前の2人掛け席に座ってきました。
正月が近いから変な客しかこなくなった、下手糞な客に『お前のせいだ』と怒られた、などといかにもキャディーさん的な井戸端会議をしていて仕舞いには誰だか「ブリッ」と放屁までしてます。
「そうかそうか、ゴルフ客じゃなくここで働く人たちの通勤のためにあるんだなこの路線は」と私の小さい頭でも悟ることができました。
やがて座敷わらしよろしく最前席に得たいの知れない子供がぽつねんと座ってるのがバレるとちらりちらりと視線を感じて背中が痛くなってきます。やがてそのうち一人が立ち上がり個包装された「かきもち」を一個持ってきて「お、食え」と私に差し出してきました。当時は大人が行きずりの子供にお菓子をあげることは極めてよくあることだったのでぺこりと頭を下げてさっそくぽりぽり食べますと「うはは、食ったよ」となぜかみな笑いだしとてつもなく恥ずかしい気持ちになります。
紫ゴルフ場入口を通過すると運賃表示の幕がジーと動いて区界停留所名の部分が「①紫ゴルフ場入口」から「②中 根」と変わります。現在の京成バスのように「ウンチンガカワリマス」という丁寧な説明アナウンスなんかありません。『紫ゴルフ場入口』は文字数が多いので「場」までと「入」からとで行が変わっていました。逆に『中根』は文字数が少ないので漢字間に一文字分ほどスペースがあり、「中」も「根」も横尺がやや大きく書かれています。こういうマニアックな記憶を書くことで読者の皆様も子供の頃乗った路線バスの思い出がじんわり脳裏に蘇ってきませんか?
さてくだんのキャディさん方は利根コカコーラ前の国道16号の長ーい信号待ちで車体が静止していたのを良いことに、俄かに他の3人まで手元の信玄袋から取り出したちっちゃいシベリアのようなお菓子やら何やら持ってきて餌をもらう犬猫のような扱いをされました。思えば日ごろ大人相手の仕事なので子供をいじり倒すことが面白くてしょうがなかったんでしょうなあ。
中根→鹿島原→畔谷→庚申塚→保健所前と次々と通過していきます。17時を過ぎての便なのに誰も乗ってきません。
東武野田線 愛宕駅(昭和58年頃)
愛宕駅に着くと5人位のバス待ちの行列が出来ていました。キャディさんは4人とも全員愛宕駅で降りました。「終点まで乗りたい」という気持ちをぐっと堪えて私もここで降りておかないと「その1」でお話したようにまたしても運転士から職務質問を受けてしまいます。運賃は紫ゴルフ場からだと100円もしなかったと思います。念のため言っときますが大人運賃じゃないですよ。
4人は全員大宮方面へ、私は梅郷へと別れ別れになりましたが下りホームへの階段を登る私の背中へ「気いつけてなあ」という大きな声を浴びせかけるので駅員さんにじろりと一睨みされてまたまた恥ずかしくなります。
大人になるとストレスの度合いは子供の比ではありません。大人対大人ほど疲れるものはありません。運転士さんにしろあのキャディさん方にしろストレスの溜まる仕事があるためにこのバスに乗っているのであり、物見遊山で乗ってるわたしとは違います。嫌でもこのバスに乗らないと、或いはこのバスを運転しないと生活できなくなる恐怖というストレス。わたしがストレス溜めず気兼ねなく相手できる子供だからこそいろいろいじってきたのです。
当時ははた迷惑にしか思いませんでしたがすっかり大人になり小児運賃では乗れなくなってしまった今、あの日あの時を省みれば「あの大人たちの気晴らしになったのであれば、あのバスに乗って良かったな」とまた改めて思い直し、昔日の東武バスの面影を今なおこうして追い求めてしまうのです。
現在紫ゴルフ場へは野田市駅からシャトルバスが出ています。
次回はもう小児運賃では乗れなくなった数年後、埼玉県のとある東武バス路線に乗った時のお話をしたいと思います。
なぜか当時の運転士さんは私に話しかけるとき必ず東武動物公園をネタにしてきました。
東武鉄道が北千住~竹ノ塚間の複々線化計画と並んで社運をかけた大プロジェクト。開園直後だったし、東武バスの車内で8トラテープでしょっちゅうPRしてましたから。「東武動物公園では団体割引がございます、詳しくはお近くの東武トラベルへお問い合わせください」という感じで。
私が乗ったその日はちょうど土曜日でテレビ朝日で正午にやってた「女の60分」という生番組で東武動物公園ロケを見てから乗りバスに出かけたということもあって「今日家でTV見てたらカバ園長出てた」などと運転士氏に喋ったような記憶があります。
現在の東武動物公園は某アニメ某『けものフレンズ』に登場する某バスに乗れるというのでまた変わった視点から大きいお友達の皆様で賑わっているようですが。
こんな話しているうちに定刻がきて紫ゴルフ場からギッシギッシと車両は動き出します。夜の帳に覆われた漆黒の闇の道を3、4分も走り抜けると俄かに目が眩んばかりにまばゆい輝きを放つアヤメハウスの照明にこうこうと照らされたバス停「アヤメハウス」。ここで「その1」でお話したようにバス待ちの女性の群れがいて、4人ばかり乗ってきました。瞬く間に車内に化粧の香りがプワーンと広がってきます。まだ野田辺りでも運転免許を持っていない女性がいても何ら不思議のない時代です。
富士重3Eボディの座席がどう並んでいたかお忘れの方もいるでしょうが、私の座っていた左側最前がタイヤBOX上の一人席、行路表とか運転士専用のちいちゃい幕式運賃表示器などなど何から何まで運転席にあるもの全てがよく見える所謂「オタク席」ですね。すぐ後ろが一人席ながらBOXに足をかけないと座れない席。そのまた後ろから2人掛け席が後扉直前まで並んでいましたね。キャディさん方は4人ほどまとまって乗ってきてよりにもよって最も前の2人掛け席に座ってきました。
正月が近いから変な客しかこなくなった、下手糞な客に『お前のせいだ』と怒られた、などといかにもキャディーさん的な井戸端会議をしていて仕舞いには誰だか「ブリッ」と放屁までしてます。
「そうかそうか、ゴルフ客じゃなくここで働く人たちの通勤のためにあるんだなこの路線は」と私の小さい頭でも悟ることができました。
やがて座敷わらしよろしく最前席に得たいの知れない子供がぽつねんと座ってるのがバレるとちらりちらりと視線を感じて背中が痛くなってきます。やがてそのうち一人が立ち上がり個包装された「かきもち」を一個持ってきて「お、食え」と私に差し出してきました。当時は大人が行きずりの子供にお菓子をあげることは極めてよくあることだったのでぺこりと頭を下げてさっそくぽりぽり食べますと「うはは、食ったよ」となぜかみな笑いだしとてつもなく恥ずかしい気持ちになります。
紫ゴルフ場入口を通過すると運賃表示の幕がジーと動いて区界停留所名の部分が「①紫ゴルフ場入口」から「②中 根」と変わります。現在の京成バスのように「ウンチンガカワリマス」という丁寧な説明アナウンスなんかありません。『紫ゴルフ場入口』は文字数が多いので「場」までと「入」からとで行が変わっていました。逆に『中根』は文字数が少ないので漢字間に一文字分ほどスペースがあり、「中」も「根」も横尺がやや大きく書かれています。こういうマニアックな記憶を書くことで読者の皆様も子供の頃乗った路線バスの思い出がじんわり脳裏に蘇ってきませんか?
さてくだんのキャディさん方は利根コカコーラ前の国道16号の長ーい信号待ちで車体が静止していたのを良いことに、俄かに他の3人まで手元の信玄袋から取り出したちっちゃいシベリアのようなお菓子やら何やら持ってきて餌をもらう犬猫のような扱いをされました。思えば日ごろ大人相手の仕事なので子供をいじり倒すことが面白くてしょうがなかったんでしょうなあ。
中根→鹿島原→畔谷→庚申塚→保健所前と次々と通過していきます。17時を過ぎての便なのに誰も乗ってきません。
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愛宕駅に着くと5人位のバス待ちの行列が出来ていました。キャディさんは4人とも全員愛宕駅で降りました。「終点まで乗りたい」という気持ちをぐっと堪えて私もここで降りておかないと「その1」でお話したようにまたしても運転士から職務質問を受けてしまいます。運賃は紫ゴルフ場からだと100円もしなかったと思います。念のため言っときますが大人運賃じゃないですよ。
4人は全員大宮方面へ、私は梅郷へと別れ別れになりましたが下りホームへの階段を登る私の背中へ「気いつけてなあ」という大きな声を浴びせかけるので駅員さんにじろりと一睨みされてまたまた恥ずかしくなります。
大人になるとストレスの度合いは子供の比ではありません。大人対大人ほど疲れるものはありません。運転士さんにしろあのキャディさん方にしろストレスの溜まる仕事があるためにこのバスに乗っているのであり、物見遊山で乗ってるわたしとは違います。嫌でもこのバスに乗らないと、或いはこのバスを運転しないと生活できなくなる恐怖というストレス。わたしがストレス溜めず気兼ねなく相手できる子供だからこそいろいろいじってきたのです。
当時ははた迷惑にしか思いませんでしたがすっかり大人になり小児運賃では乗れなくなってしまった今、あの日あの時を省みれば「あの大人たちの気晴らしになったのであれば、あのバスに乗って良かったな」とまた改めて思い直し、昔日の東武バスの面影を今なおこうして追い求めてしまうのです。
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次回はもう小児運賃では乗れなくなった数年後、埼玉県のとある東武バス路線に乗った時のお話をしたいと思います。