特別なRB10

昭和の東武バス野田の思い出や東京北東部周辺の乗りバスの記録等。小学生時代に野田市内バス全線走破。東武系・京成系を特に好む

柏03と北柏の古い信号機

2018年12月29日 18時45分14秒 | 旅行

柏03の終点柏駅の一つ隣に北柏駅があります。
元は何にもない所だったそうですが私が生まれるかどうかという頃に貨物駅が出来、
昭和48年に最も面倒で厄介な貨物、すなわち「ヒト」を扱うようになったという駅です。

柏辺りで見かける千代田線の、というか常磐緩行線のと言ったほうがいいのでしょうか、
車両といえば小学生の頃なら角ばっていてあまり個性の感じられなかった5000系がまだ残存しており、
高校生頃になれば先日引退し葬式鉄が大騒動を起こした6000系の全盛期でした。
現ダイヤのように成城やら向ヶ丘遊園やら小田急側の奥地まで直通するものは全く記憶になく、
みんな代々木上原までだったように覚えています。




鈍行しか停まらないこの駅には今も昔も改札が一つしかなく改札を出ると「←北口 南口→」と案内があります。
案内を見ると南口にバスタクシーのりばがあるのと対照的に北口にはめぼしいものが何もないような書かれ方がされています。
あけぼの山だの布施弁財天だのとありますが気が遠くなるほど遠い所です。





長い通路を歩いてやっと北口に着きました。
エスカレータはほんの最近設けられたようで高校生の頃は階段しかありませんでした。




北口の「とんちゃん」は古い店でわたくしが小学生のときすでにここにありました。とんちゃんから豚をイメージさせますがなぜか焼き鳥の店です。
平成最後の年でもまだあるのだから大したものです。
「酒場放浪記」の吉田類の来訪が待たれます。





北柏駅入口のバス停。
北口にあっても北口ではなく入口。
現在、バス停は駅北口の道挟んですぐにあります。
わたくしは平成13年野田出張所最後の日にこの路線に乗った際「なんでこんなところにバス停があるのか?!」と驚いたほど、
小学生あるいは高校生の頃は全然違う所にありました。





信号越えた坂のてっぺん、この「ひまわり」という店屋はかつて名代ナントカと染め抜いた紺の暖簾が架けられた『むさし』という蕎麦屋でした。
居抜きかなにかしりませんが佇まいが当時の蕎麦屋のままのように見えます。
その蕎麦屋の真向かいが野田、北花崎、あるいは船戸木戸や東急柏ビレジに行くバスの停留所が立っていたところなのです。
ひまわりの向こう側は妙に丸っこいマンションのようなものが建ってますがそこはかつて高校時代に借りていた個人経営の自転車預り所があり、
体調不良や時間の心配がない時はここから自転車通学しておりました。







旧蕎麦屋の向かいには柏市の老人施設のバス停が残っていますがこれとほぼ同じポジションであったろうと思います。
風邪ひいてマフラー2本も首にまいてここからバスに乗って通学したのを思い出します。





柏駅西口ゆきは昔からこちらのバス停でした。
昭和の御世は車道にバスカットなどありません。
ただの狭い道の路端の下水溝の蓋の上にポンとダルマ型のポールがひょろっと立っていただけです。
北柏から柏へは鉄道ならばたったの一駅ですが昭和の昔からなぜか
ここから柏駅行きのバスに乗ってくる人がいました。
現在は贅沢なことに東武のものと我孫子から来る阪東バスのと別々に標柱がありますが昔はただ一本だけで
柏駅~北花崎・船戸木戸間を行き来していた阪東バスの時刻表もオレンジ色した東武のバス停柱に同居していました。

「しちりん」のところはわたくしの小学生時分・そして高校時分は店看板に「食料品・生活用品」と書かれた個人商店が一軒あったきりでした。
バス停のそばには必ずと言っていいほどホーロー看板のついた個人商店とか酒屋があるのが昭和のバス路線の基本スタイルなのです。
高校生のとき見知った顔の同級生がここで買い食いしていたのを覚えています。
しちりんと駅の入口の階段の間に斉田工務店という事務所があってつい最近まであったように記憶してますが、今ではぽっかり無くなっています。





その個人商店の先は月極駐車場、その駐車場のそのまた先のカーブがきゅっときつくなる手前、今造成工事の土建屋の白トラックが止まっている辺りに
建物は小さいくせに大きい赤ちょうちんがあって「ねとっこ」という店名のグレー色した縄のれんの個性的な佇まいの一杯呑み屋がぽつりとありました。
これら店の並びはまことに蕭条の感にあふれ、その前を轟音を上げて走り去るバスが野田からやって来た東武バスであること、
バスの向こうには国道6号に向かって海自の旭日旗か朝日新聞のようなロゴマーク看板が大きく聳え立つアサヒビールの大工場、
眼前にひろがる北柏駅の光景の全ては回数券を握りしめてバスに乗っていた小学生当時と変わらぬものでした。
高校生になったわたくしにはその光景が、天に日があり地に人があるのと同じくらい未来永劫永久不滅なもののように見えました。




バス路線は柏と我孫子の市境を錯綜するのですが、小学生時代はここは全てが柏市なのだと思っていました。




根戸の交差点にはラテン美容室という個性的な名前の店が今も昔もあります。
「ラテン美容室」の文字はラテン語ではなく昔から日本語で書いてありましたが
子供の頃バスから眺めた記憶では黒文字だったと思いますが、退色したか見間違いだったのかも知れません。
クリーニングとある白い建物の角地には新聞販売店があって夕方野田へ帰るバスから
夕刊配達に出るバイクの群れが見えたものですが今はもうありません。
この十字路が根戸十字路ですが、わたくしが生まれる前は右への道は無く、
直進か左折しかないT字路で二股に分かれるので根戸追分といっていてバス停もそういう名前だったそうです。
小学生時代はすでに十字路になっていてバス停は今と同じ「根戸十字路」という名称でした。






根戸十字路停留所のバススペースは当時からありました。
バス停先の1500円カットのある場所にはかつてセブンイレブンがありバスが信号にひっかかると店内がよく見えました。
小学生当時はコンビニエンスストアなるものが大変珍しい存在で初石駅で初めてヤマザキデイリーストアを見ましたが
山崎パンの看板のついている個人商店に毛の生えたようなものという認識であまりコンビニ感というか新しい商業形態という感じがしませんでした。
ところがセブンイレブンは朝7時から深夜11時までぶっ通し営業であることをPRするTVCMが当時ガンガン流れており、
夕方6時くらいになると看板の電気を消してさっさと雨戸をガタガタ閉めてしまう既存の小売商とは明らかに違う何やら新しい商売が登場した、
ということが子供にも理解できて妙に心躍ったものなのです。
 高校くらいになるとローソンやファミマも柏あたりまで進出していてさすがにコンビニは驚く存在ではなくなりました。
ドミナント出店などという言葉はまだ耳にしない時代でした。
当該のセブンは野田出張所廃止直前に柏03に乗った平成13年でもまだ存在していて
「あぁ、子供の頃珍しがってバスから眺めた店だ」と少年時代を懐かしんだものですが、他業種と同様コンビニも曲がり角にきているようです。




このバス停ほどなくにあるトリショウという店屋さんも小5のときはじめてバスで来た時すでにありました。息の長いお店です。




電線が大いに邪魔しておりますがこの我孫子生コンも昭和時代すでに当地にありました。
この高いプラントが小学生にはまるでノイシュバンシュタイン城のような一大城郭のように見えました。
「我孫子」と大書きされているにも関わらず小学生のわたくしはここも「柏市」だと思っていました。







根戸十字路を過ぎると富勢商店街のお店がバスの両サイドに広がってきたものです。
以前も触れたように当時はアイドルブームの絶頂期ですから河合奈保子やら新井薫子やら聖子ちゃんやら
アイドルがニコニコしてる商業ポスターがあっちゃこっちゃにありました。
そうした数々のお店の中で印象深く残っている光景として、
フジカラーとあるあたりに「ロンツモ」と小さく、「一発」と大きく書かれた妙に子供の目を惹く看板の雀荘がありました。
後年麻雀を覚え学生時代に仲間とやるたびに幼い頃の原風景としていつも胸の内に蘇ってきた味のある看板でした。





この筑波銀行は小学生~高校時代、「茨城相互銀行」という
ローカルで牧歌的な名前で今と同じこの地にありました。
看板が深い緑色をなしていて、小学生のころ「農協かな」と思ったことがあります。




布施入口に着きました。
北柏駅入口も布施入口も当時から区界停留所になっていてジィィィと運賃表示器のフィルム幕を回すモーター音が脳裏に蘇ってくるような気がいたします。
昭和時代には車道にバスカットなんか設けられていません、
路端にぽつんとバス停が立っているだけです。
わたくしがバスに目覚めた頃から北柏駅入口・根戸十字路・布施入口はその名が変わらずあります。
子供の頃のわたくしは顔と頭が悪い分目と鼻が人一倍よくて金属加工場の独特の匂いというのも感ずることができました。
金属加工では油をかけながらすることが多いのですがかぎつけた臭いは油の匂いで、
以前野田~北越谷駅間にあった紡績工場前というバス停で金属加工の匂いがしたとお話ししたことがあったと思いますが
それと同じようなにおいが布施入口でも感じられました。






今マミーマートとやらに変わってしまったこの広い土地には、野田行きのバスから見た記憶によれば「東京鋲」という銘板を壁に取り付けた
それはそれはたいそう大きい工場があって、その名の通り「鋲」を製造していたと思われます。
バス停が突っ立っている場所は工場囲いのただのコンクリ壁しかなく工場の門はこの後方にあって警備員のような人がいました。

以前お話ししたこの路線の先の北花崎にあった「エスレン化工」という怪しい化学実験のような匂いをさせていた工場も今ではもうありません。
そのまた先の小青田というバス停ではバスの中から工業団地の煙突から吐き出される煙が幾本も見えたものです。
昭和時代の柏03の沿道には工場が多く見受けられ、大人たちが世界第2位の経済大国と豪語していた古き日本のたくましい経済力が
光となり音となり風となって路線バスの窓から子供めがけて流れ込んできたのです。








北柏駅の北口には手押しの信号機があります。小学生のときもありました。
この信号機はとても古いもののように見えます。
歩行者用信号機の銘板にはなんと昭和56年製とあります。

小学生のわたくしがあの日バスから見た信号機が今もある!
この信号を見ているだけでもう二度と戻らないあの日の力強い日本の思い出が蘇ってくる気がするのです。

では皆様どうぞよいお年をお迎えくださいませ。


2 コメント

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良いお年を(^^)/ (うさぎ)
2018-12-29 22:37:16
更新が楽しみでした(^^)/
密度の濃い素晴らしいブログに感謝です
(^^)/
来年も楽しみにしております(^^)/
良いお年を(^^)/
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今年もお世話になりました。 (surrender90)
2018-12-30 18:30:27
コメントありがとうございます。
このような他人様には存在意義をご理解いただけなかろうブログに着目いだたいてたとは恐悦至極でございます。
中身の乏しいブログですが
お忙しいさなかひょんなことで空き時間でもございましたら
来年もお目通しいただければ幸いです。
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