ついに流山市の崙書房出版が廃業と相成りました。
小林社長は胸をはって「地域の記憶を文字によって記録化してきた歴史」と述べておられます。
崙書房が精力的に記録化してきた流山の書物を読むと
しばしば「諏訪道」とか「すわ道」というワードと出会うことが多ございます。
そして崙書房はその古道を詳らかに記録化しようと努力した形跡がうかがえます。
(『かしわの歴史 柏市史研究第2号』)
この図をじっと見て考える。
利根川の向こうはこの前ブラタモリでやってたチバラギもといチバラキですね。
で、そこいらの人は水戸納豆とか乾燥芋なんかを需要の乏しい地元ではなく高利潤の江戸で売りたいわけです。
10kg20kgなどという小ロットでちまちま持ってってもアマゾンじゃあるまいし到底コストをペイできない、
それで何百kgとかトンとか大ロットを一度機に持ってくために船にどっさり積む。
利根川っぺりに住んでる山っ気のある人が「船」で東京に物売りにいきたいと思ったらどうするか。
それは一目瞭然、産卵期のサケみたいに利根川を関宿までぐいぐい遡上して関宿から江戸川に回り込めば
流れに逆らわずどざえもんみたいに適当にぷかぷか浮いてるだけで勝手に東京のどっかの河岸につくであろう。
ところがそんな悠長に運んでたら東京に着いた頃には傷んで本物のどざえもんになってしまう商品や
関宿以北から利根川の自然流にスイスイ乗って江戸に入る競合品に負ける商品が出てくるでしょう。
それで関宿のうんと手前の利根川っぺりで船から馬に代えて陸路を一目散に駆け走り
江戸川っぺりに着いたら馬から船に急いで乗せ換えてスピーディーに江戸に行きたい、
という短絡陸運路の欲求がでてきた。
陸路馬の小ロット輸送によるコスト増分とリードタイム短縮のコスト減分とを差し引きして
ずーと船のまま行く関宿廻路とのグロスの利潤差が最大になりそうな短絡路が
この図の柏布施と流山加村間にスッと引かれている線「諏訪道(すわ道)」だというのです。そして利根川商人たちはこれをフル活用した。
(崙書房『利根川木下河岸と鮮魚街道』『流山研究におどり№4』『房総地域史点描』他参照)
小児運賃でモノコックのバスに乗っていた昭和の御世、
柏駅には『第二常磐線早期開通』ののぼり旗で署名活動している大人たちがいました。
「常磐新線」とはまだ言われていませんでした。
3つしかないバスのりばを往来する東武バスは皆クリーム色と青のツートンで、
大型方向幕仕様が大分増えてはいましたが、ツーマン時代と変わらぬ小さい方向幕のものもありました。
流山・柏間にはその「第二常磐線」やら流山免許センターやらバス路線に影響を与える事物は
まだ何物も存在していません。
柏の葉公園とやらもまだ米軍から返還されたばかりで公園の態をなしておらず
外から見ると鬱蒼たる木々に囲まれた放棄地のようでバスどころか
人の気配すらなく、流山飛血山の何倍も不気味なところでした。
武蔵野線は開通していましたが南流山駅を発着するバス路線は一つもなく
わずかに京成バスの「南流山」というバス停が駅から何キロも離れた県道に立っていただけでした。
流山と柏を結ぶ路線には系統数字こそ今日と同じ柏06と柏07の2ルートがありましたが、
どちらも野田にも劣る田舎の一本道の経路で現在のそれとは全く別物のように異なっておりました。
昇べきの順で番号が続く柏08が以前お話しした初石駅行きでした。
また柏06には「八木中学校」(方向幕に『前』の文字はなかった)止まりの
区間運行が結構な頻度でありましたが、小学生時分のわたくしは
中学生という生き物が苦手だったので乗ったことはありません。
今わたくしが、文字によって記録化しようとしている昭和56、7年頃の柏07は途中経路において
かの「諏訪道」と同じところを走っていました。
以前野田を7時台に出る流山行きで流山駅前から流山駅東口で歩いてくるとちょうど8時台発の
柏07豊四季経由柏駅西口行きに乗り継ぐことができた、と申しました。
今回は逆で柏→流山→野田と帰ったときの記憶を文字化したいと思います。
その頃柏07の柏駅西口発終バスはなんと17時30分前後に出ててまともな勤め人はまず乗れませんが、
これが流山駅前を18時20分頃に出る野田市駅行き終バスにはしっかり間に合うので
余りに遅く帰ると昼間どこで何をしてたのか親に詮索されかねない恐れを抱いてバスに乗っていた
小学生には満足のいくダイヤでした。
この交差点から流山へ向かうのは今と同じでした。
現在の「東葛高校前」という停留所名はただの「高校前」でした。
柏にバス路線が整いはじめたころ千葉県の東武バスエリアで高等学校というと
東葛飾高校ただひとつしかなかったからでしょう。
柏中学校入口はただの「中学校入口」と言われておりました。
理由は高校前と同じなんでしょうか、恐らく。
芝崎経由の柏06はここを越えるとすぐ左折して「大椚」とか「富士見橋」とか後年名前が
消えてしまったバス停を経由し
最後の最後、流山駅手前で再び豊四季経由の柏07と同じルートになるのです。
柏07はまだまだずーっと道なり直進を続けました。
次が柏01豊四季団地循環と同じ「住宅入口」というバス停でしたが、団地へ曲がってしまう柏01とは
異なるポジションに柏07専用のバス停があり、この耳鼻科の後方にあった「マルエツ」の前にありました。
耳鼻科医院も当時は「ノモト医院」と言っていたはずですが名前が変わっています。
次からいよいよ柏07独自の停留所がぞろぞろ出てくるのですが、次は「旭町」と言いました。
見覚えのある建物や看板が一つ残らず失われていて思い出すのが困難ですが、
「佐久間歯科」の後方2軒くらいのところにLARKだかラッキーストライクだか洋モクの
看板を掲げた個人商店があってバス停はお店の前に立っていました。
従前から何度も申し上げてきたように、昭和時代バス停というものは
個人商店とか酒屋とか住人の集いやすいところに置かれるのが定番だったのです。
もしそうでない真っ暗闇に設けるならば中に由美かおると水原弘とか聖書の看板が
うじゃうじゃ付いてるいわゆる「小屋」があることが多かったのです。
当時の柏の小青田、流山の南丁字路がそういうバス停の好例でした。
次の「旭町八丁目」もどこだったかわからなくなりました。
サンワなんとかという工務店のそばにありましたが、
英会話だのマミーマートなんか昔はないし、
ともかくこの画像のどこかにありました。まいった。
旭町八丁目を過ぎると長い勾配を下っていきましたが、道の左右ともに
長ネギか葉物か野菜の畑とそのただ中の祠や小さい森しか見えなくなり、
「柏の町もここいらへんでおしまいなんだな」と思ったものです。
こんな派手な店など想像することすらできません。
勾配が上りに変わると左側に「東邦タクシー」がありその建屋の前に「三合」という
バス停がありました。
そのさらに先のガソリンスタンドは確か当時は「昭和石油」だったように
思います。タクシーとGSくらいで他にめぼしい建物は見えませんでした。
人の気配がとぼしい土地に見えましたが柏行きに乗る人、流山行きから降りる人、
そこそこ乗降客が多かったように記憶しています。
常南通運なぞ当時はなく、そのかわり隣の中華料理「赤門」は当時からここにありました。
ここにバス停があったわけではありませんが
その個性的な名前を流山行きのバスからしげしげと眺めたのを鮮やかに覚えています。
ということは40年以上変わらぬ場所で商売してるわけで、
相当手練れの料理人がいるものと思われます。常南通運の創立75周年の比ではない。
はぁ、担々麺でも食べてくればよかった。
ややごちゃついた感じの豊四季駅入口バス停跡地。
かつてはバーやらパン屋やら不動産屋やら小規模店舗がごちゃごちゃしていて今よりも
ずっとうるさい感じの街並みでした。
バス停は「米国屋食堂」というこれまたはなはだ個性的な名前の飯屋さんの前にありましたが
店もろとも無くなっています。
この路線の核である「諏訪神社前」に到着しました。
名前には「前」が付いていました。
流山の人々が「おすわさま」と親しみを込めて呼ぶ神社。
市村酒店の素朴で懐かしい佇まいにも目を奪われます。
ここは柏流山の市境が入り組んでいて道路のこちらは柏市ですが。
向こうは流山市駒木です。
市村酒店と神社の間の水色の子供が自転車で出てきたうす暗い小道、
これこそが遠く柏の布施弁天のもっと奥、柏の地名の元になった
「河岸場」のあった利根川まで通じている「諏訪道」なのです。
流山行きのバス停は変哲のない個人宅のブロック塀に沿って置かれて
いましたが、柏行きのは派手な赤い柵と鳥居の間ほどに置かれていて
橙色したダルマ型のささやかな風采にも関わらず
神社に負けない強い存在感がありました。
源義家が献納した馬の青銅製像。ディープインパクトのような逞しさがあります。
小学生のころは「おすわさま」という石もなく小難しい漢字が刻まれた石が記憶に残っています。
大人になった平成13年流山からこの路線に乗って来たとき、すでに馬の像がありました。
鳥居を見ますとなんとわたくしが初めてこのバスに乗って来た年と同じ
昭和56年秋建立とあります。
崙書房の「流山研究におどり №7」では「諏訪道は市村酒店から先、
柏市高田の辺りでもう道筋が無くなっている」と記されています。
「地域の記憶を文字によって記録化」ということは大事なのだなあと思います。
ここから諏訪道の流山側はすでにわかっています。
それはかつてわたくしの乗った柏07のバスが通ったそして今では通っていない道そのものだからです。
諏訪神社はもう間もなく、8月22日、年に一度の祭礼を迎えます。
次回は諏訪神社から終点流山駅まで記憶を文字によって記録化したいと思います。