特別なRB10

昭和の東武バス野田の思い出や東京北東部周辺の乗りバスの記録等。小学生時代に野田市内バス全線走破。東武系・京成系を特に好む

北花崎と船戸木戸の阪東バス~船戸木戸の思い出~

2017年07月01日 23時23分16秒 | 旅行

阪東バスを思い出すと必ず当時の柏駅前を思い出すということで前回は長い前置きのまま終ってしまい申し訳ありませんでした。
ふんどしを締めなおして昭和時代の阪東バスの記憶をお話したいと思います。

昭和56、7年当時ですと野田でよく見かける茨急バスの車体カラーは7:3で青が優勢な昔懐かしいままでしたが
柏駅西口で見かけた阪東バスの塗装はすでに青色の比率の低い、しかしながら東武とは違う、現行の横浜市営バス的なものに進化しておりました。

 すでに現在駅西口から阪東バスは撤退しているようですが、当時は柏03系と同じコース県道関宿我孫子線をひたすら北上する柏駅西口~船戸木戸線がありました。
3番のりばの壁掛け時刻表に東武とごっちゃに表記され確か片仮名で『フ』と添字し『フ  船戸木戸止』と凡例注記されていたと思います。行きでも止まりでもなく止で終わっていました。
 道中の各停留所をつぶさに観察しても阪東バスだけのバス停ポールは一つもなく時刻表板も一枚しか取付けられていなかったのでやはり東武とごたまぜになっていたと思います。

 柏には小学校が休みとなる日祝を利用して行ってたので休日ダイヤしか記憶にありませんが確か2時間に一本の割合じゃなかったかと思います。

 3番のりばでこのバスが来ると野田まで行かないのでスルーしてましたが柏03で野田に帰る車中から船戸木戸で折返し待ちの阪東バスをちょいちょい見かけました。雨が降っていないと阪東の運転士さんは道路際まで出てきて一服していたり犬の散歩をする土地の人とお喋りしていたりしていました。
脳内のイメージを汚く再現するとこんな感じです。
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今日の船戸木戸停留所は屋根シェルターが付いていて自販機があったり粗大ゴミ置き場から転がしてきたような椅子数脚が置いてありますが、私の小学生時代の記憶に遡ればここも東・西宝珠花あるいは関鉄の岩井車庫のごとく全くの野ざらし雨ざらしで転回する車両の軌道円中心はタイヤに踏み潰されないので背の低い雑草が小じんまりと茂っていました。現在のように看板があった記憶もないです。





転回場の奥は現在野球場などあるようですが当時はただの崖としか見えず、崖下から生え出る木々が大山のように形作っており森の緑が季節を問わず美しくよく見えました。


船戸木戸で撮影されたという中扉4枚折戸の阪東バス(平成10年『いばらきのバス路線』)。
昭和の船戸木戸の阪東バスはこんなきっちりした停め方しませんしスペース的に無理です。転回場に舗装部分などなくいつも道路にお尻を向けて後部広告の『柏玉姫殿』を車道に見せ付けるように停まっていました。



ほんのわずか野田方向へ歩けばソメダナ酒店があります。私の母が幼い頃東武バスに乗ったときもあった、という歴史あるお店で私の小学生時分は全日食チェーンの『Z』のマークが付いてました。
野田の大利根温泉からここまで水堰橋停留所にも六軒町停留所にも店らしい店が全く見当たらずここでやっと商店に出くわして人の気配を感じ不思議な安堵感を覚えたものです。
同世代らしき地元の小学生が半袖体操着で店先のガチャガチャにたむろしていた車窓の光景が今も私の脳裏に残っています。

 

道路左側に「富久寶 染店」の酒販看板がある昭和41年のソメダナ酒店。(『広報かしわ』)
染店を訓読みするとそめだなとなるのです。
この先の大きな樹木の辺りが恐らくは当時の船戸木戸であろうと思われます。
この頃高校生であった母はこの店のどなたかと面識があったようで
「バスに乗っていたら染店の人が途中から乗って来たので二言三言挨拶したことがある」
と話しております。

次回は時を経て1986年、昭和61年に阪東バス・柏駅西口~北花崎線に乗った時の記憶をお話したいと思います。


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