明日 8月9日
長崎は原爆忌
その日 長崎の街は快晴
街路樹の真っ赤な夾竹桃が
満開だったという
4歳の時
何もわからないで
遠くに見た微かな光と 音の記憶
忘れてはいけない
コメント利用規約に同意する
フォロー中フォローするフォローする
わずか4歳だと、何かがあったのだろうということは朧げにわかっても
何が起きたのかを認識するには幼すぎますね。
あれから長い歳月が経つと、当時のことを知る人も少なくなり
人々の記憶から消し去られようとしています。同じことを繰り返えさせてはいけませんね。
小高い丘の上で遊んでいるときのことでした
子供なりに何かを感じたんでしょうね
原爆を知る人がどんどん少なくなり
グランマぐらいの年齢が最後
忘れてはいけないと思いながら
この時期だけの思いになってしまったような気がします
私のおふくろも長崎の原爆の日になるとよく話していました。
当時、小学校の高学年で、夏休みにクラスで松ヤ二の採取に行ってたそうです。
その時間になった時、ピカッと光が届き、遅れてドドドーンという音が聞こえてきたそうです。
その後、長崎方面からきのこ雲が立ち昇り、風に流されて一面が曇り空のようになったとか。
先生の指示で直ぐ学校へ戻り家に帰ったとか。
アメリカ軍が落下傘で大勢下りてきているという噂も流れていたとか。
私でさえ生まれる10年前のことで全く知りませんが、
そういう体験談が出来る人も少ないんでしょうね。
原爆を知る人はグランマの年代でおしまい
語り継がなければいけないとも思いますが
悲しいことに普段忘れて過ごしている自分がいます
年に一回でも書いていくことにしています