今日はばーちゃんの祥月命日。
もうあれから8年も経つのかと思うと時の流れの早さを感じる
過ぎてしまえばあっという間だね。
いつまで続くのか分からない介護の日々が突然終わり、電動ベッドが撤去された実家は
心の中と同じくガランとして寒々しかった。
当日暑かったのか寒かったのか、雨が降っていたのか晴れていたのか何も覚えていない。
亡くなったあの日のことは昨日のよに覚えているのに。
亡くなる前の一週間くらいは、嫌がってほとんど何も口にしなくなっていた。
寝たきりになってもゼリー状のカロリーメイトはダイソン並みの吸引力で平らげていたのに。
ゴクゴクと喉を鳴らしながら飲む大好きなお水もほとんど口にしなかった。
でも、前日は入浴サービスでお風呂に入れてもらったら気持ち良いとニコニコ微笑んだ。
入浴中にシーツ交換もし、全身石鹸の香りに包まれてなんだかフワフワと楽しそうだった。
あの日ママゴンから「なんだか今日は様子がおかしい。なんとなくだけど今日が峠かもと」
と言われ、私は簡単に夕食を済ませオット殿と急ぎ実家へ向かった。
家に入ると、ほんとなんとなくなんだけど空気が重くママゴンの言った意味が理解できた。
ばーちゃんの耳元でいつものよに大きな声で呼びかけても反応が今ひとつだった。
寿命が燃え尽きようとしている様子をなんとなく感じ取り、徹夜を覚悟した。
お風呂に入って着替えてくるねと一度帰宅した。
そしてばーちゃんは、私がお風呂に入っている時に天に召された。
ちょうどばーちゃんが旅立った瞬間に、私は湯船の中で一瞬身体がフワっと持ち上がる感じがして、
何かが自分から抜け出たような気がした。
バタバタとオット殿の足音が聞こえた時に「あぁ~さっきのアレだ!!」と悟ったの。
良く人は息を引き取る時に大きなため息のような呼吸をすると聞いていたけど、そんなのは
全くなくママゴンがちょっと側を離れた隙に呆気なく身罷ったそうな。
側にいたパパゴンも全く気が付かないうちに・・・。
ばーちゃんの最後の最後に側に居れられなかったことをその時は悔やんだけど、きっとまだ
帰宅途中だった妹と公平にする為に私が離れた時を選んで逝ったのだと今は思う。
それから在宅医のY医師と訪問看護ステーションへと連絡を入れ、臨終の宣告を受けた。
通常は清拭を行うらしいんだけど、前日の訪問入浴でキレイだったばーちゃんは遺言通りに
三男にプレゼントしてもらった着物に着替え旅支度を整えた。
訪問看護の人にこんなに穏やかに在宅で看取る人はとても少なく、まさに寿命をまっとうした
って感じだね、と帰るときに言われた。
病院は嫌だと言うばーちゃんの意思を尊重したいとは思っても、実際に具合が悪いければ
ついつい救急車を呼んでしまう。
そしてやっぱり家がいいと泣くばーちゃんを連れ帰るということを何度か経験し、家族にも
段々と覚悟が出来てきた。
あれがなければ動揺してやっぱり最後の最後で救急車を呼んでいただろう。
ばーちゃんはばーちゃんなりに家族に心の準備をさせていたのかもしれない。
入院して手術してあっという間に旅立ったじーちゃんとは全く違うばーちゃんらしい終焉だった。
自分の病身で年老いた姿を孫に見せたくないと、孫との面会を拒否する人もいるらしいけど、
うちのばーちゃんは命が徐々に消えていく様を身を持って私に教えてくれた。
仕事で目にする福祉用具を見るたびに「ばーちゃんに良さそう♪」とかついつい考えてしまい、
「はぁ~もういらないんだった」と一人で凹んだりして、出勤するのが億劫だった。
内心ほんとは仕事を辞めてしまいたかったの私。
そして出勤したくない、辞めてしまいたいと言うことを誰にも言わなかった。
言ってしまうと動き出してしまいそうだったから。
でもこの仕事を続けていれば義両親に介護が必要になった時に自分が役立てるのではないかと
思った。
辞めてしまうのは簡単だけど、自分で決めた道を二度も逃げ出したら永遠にこの世界には
戻れなくなると思うとそれも怖かった。
自分自身じゃない誰かの為と逃げ道を作り、必要だと言ってくれる人たちの下で働けるだけ働こうと
続けた。
あれからもう8年。
今もみんな変わらず元気で嫁は外で齷齪働いている。
今日はばーちゃんを偲び、ハイカラさんなばーちゃんの大好きだったマドレーヌを食べた
うちの母を思い出しますが…
日記にでも書こうかなぁ
なるね
はっきりと記憶のあるうちに残したくなったのだ
十人いれば十人の最期があるね