今日は楽しいクリスマスは横に置いといて、百箇日法要を自宅にて執り行いました
百箇日は卒哭忌(そっこくき)ともいいます。
「哭」は、声をあげて泣きさけぶ、「卒」は、終わる、という意味です。故人を思い、泣き悲しんで
いた親族や近親者たちも泣くことをやめる頃、それが百箇日を迎える頃だ、ということから
卒哭忌といわれるようになったのです。
が百箇日の云われだそうです。
お花は社内の生花部へお願いし、お供物はお城、果物は駅前で用意。
今日はご住職もうちの後の予定が特にないとのことで、一緒にお斎もご一緒していただいた。
自宅での会食はゆっくりと時間が流れ、ご住職と色んなお話がざっくばらんにできた
9月からのお付き合いなので、3ヵ月ちょっとだけど先代のご住職と義父が親交があったので
随分前からのお付き合いのよに親しみを感じてる。
オット殿とは年齢が近いこともあって、意外にも話が盛り上がっていた。
卒哭忌の意味から考えたら、もう泣いてちゃいけないのね
でも寒がりだったお義父さんが居ない我が家は寒さが3割増しくらいに感じる。
(お義母さんは暑さや寒さにとっても強い。 我慢強いとも言う。
私の辞書には我慢の文字が欠落しているので相容れない)
寒いと寂しさも3割増しくらいな気がするのは私だけかしら。
やっとこさ百箇日かと言う感じと、もう百箇日と言う感じが混ぜこぜになったような不思議な感覚
朝晩とお線香を上げていても、そこにいないことにまだ慣れず実感が湧かないのです。
今日は冷めた懐石弁当だけでは冷え切ってしまうので、前の晩からおでんを煮込んでおいた。
いつも我が家では新年ではなく、大晦日にお義姉さん達みんなが集まるのが恒例行事だ。
今年は喪中なので、何もしなくていいよとお義姉さん達が気を遣ってくれた
でもなんだかそれも申し訳ないのもあって、百箇日の今日おでんを煮込んだのだ。
大鍋二つに仕込まれた大量のおでんを見た姪っ子がおでん食べたかった~とポツリ。
そして帰り際には美味しかったからもっとおでん食べたかったなぁ~と
なんと嬉しいことを言ってくれるではないですか
昨日わざわざ砂町銀座までおでんの種を買いに行った甲斐があるというもの
いつもとちょいと変わった種を前に大興奮の私はあれこれと買い込み過ぎてしまい、気づけば
大鍋二つに山盛りに出来上がってしまったのだ。
色々煮込んだほうが美味しいもんね
大掃除をしたり、買い出しに行ったり、バタバタと忙しかったけどみんなが喜んでくれたので
疲れも吹っ飛んだ・・・かなっ