肉用の豚を生むための機械として使われているお母さん豚たちは、半年が過ぎたころから殺されるまで、妊娠ストールと分娩ストールに拘束され続ける。この飼育をする農場が日本では未だに90%だ。拘束された挙げ句、そして3度4度と我が子を奪われ続けた挙げ句、される。
どのように?
肥育豚と呼ばれる肉用豚は180日以内に殺されるためされるときの体重は110kg程度。一方で完全に大人になっている母豚は200kg以上になる。一般のレーンには入らない大きさ。ある場では、この動画のようにされている。
母豚は機械ではなく、人が1頭づつスタニングのための電気ショックを打つ。そのため失敗も多い。
血の海のスペースに追い込まれた母豚は抵抗し逃げるため、格闘技のようになることもあるという。
この動画のように1頭づつしか殺せないにもかかわらず、2頭同時に入れられることもある。またまだ前の母豚が血を流して横たわっているのに、次の豚が入れられることもある。この動画の豚は、前の豚が殺されるのを約1分30秒見続けた。
食肉センターはすべてが流れ作業で進む。そのため自分の持ち場で遅れが出てしまうことはプレッシャーになっている。流れを乱さず、決められた時間内に自分の作業お終わらせることが重視されている。
だからこそ、このような豚の心情になんの配慮もないことが度々起きるのだ。
お母さん豚はずっと苦しみ続けてきたのに・・・
以前、ある養豚場の従業員はされる予定の母豚の様子をこう描写した。
「やがて生産効率が落ち経済的価値がなくなれば廃用母豚となり、まるで刑務所努めを終える日のように分娩ストールの扉が開く。
はしゃぐように、飛び跳ねるように、当たり前の喜びを感じるように通路を歩く廃用母豚。その希望に満ちたその背中の先にあるのは、眩しい太陽ではなく、真っ赤な最期である。
歩けることが嬉しくてたまらない様子の母豚だが、屠畜場では前には進みたくない衝動に駆られるのだろう。
彼女たちが最後に目にするのは自分を殺す人間の顔だろうか、それとも床に溜まった大量の自分の血だろうか。それとも分娩ストールで21日間授乳した、自分の子供の幻だろうか。
私は、廃用が決まって農場の通路を嬉しそうに歩く母豚の後ろ姿が忘れられない。
もしも彼女たちが言葉がわかって、君たちはこれから殺されるんだよと教えられたら、彼女たちはどんな後ろ姿で歩いただろうか。
どんな涙を流すだろうか。
それとも、拘束からの解放は死を上回るものだろうか」
養豚場の従業員も経営者も、自分たちが飼育した母豚が殺される現場を見ることはないだろう。2年、3年、4年と飼育した豚が、最期は極限の恐怖の中で逃げ惑い、血の海の中で殺されるのを知ったら、どんな気持ちを抱くのだろうか。改善したいと考えたりはしないだろうか。
豚肉を食べる消費者も見ることがない。豚肉を購入する企業も見ることはない。
場関係者は自らこの現場を改善すべきであるが、しかし、物申さない養豚場、企業、消費者、そしてこのシステムを容認する社会に暮らすすべての人々に、同じくらいの責任がある。
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