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015:本当に幸せになれるこの信心(体験発表)

2015-09-07 11:35:17 | 日記
今までの記事の「001:幸せの定義」から順に読んでいただくことをお勧めします。
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本当に幸せになれるこの信心

法霑寺支部 福岡地区第三班  植田 聡

皆さんこんばんわ
福岡地区植田聡と申します
よろしくお願いいたしまします

私は三重県鈴鹿市に住んでおります。
本日お昼に飛行機に乗ってやってまいりました。
今回、この壮年部会の体験発表のお話をいただいたのは前回の支部総登山の時でした。

上津役(こうじゃく)の中村地区長から
「白蓮ちゃんが生まれてこれからの意気込みを体験発表してみませんか?」
と声をかけていただきまして、折伏があまり進んでないので尻込みしていましたら、
冨岡副地区長から「ここでご本尊さまに決意を示して今年の折伏を頑張ってください」と激励されました次第です。

ご存知の方もあると思いますが
このたび、七月十七日に長女である白蓮が生まれました。

母親は福岡地区の松岡結子です。

そして、七月二十四日白蓮はわずか生後七日でご授戒を受けさせていただき
八月二五,二十六日には生後一か月で御開扉を二回も受けさせていただきました。

おかげさまで順調に育っております。

私の人生はこの信心によって本当に幸せの方向に変化しました
この信心を一生懸命すれば、誰でも幸せになれる
それをみなさんにお伝えしたいと思い、はるばる鈴鹿からやってまいりました.

私の実家の宗教は浄土真宗でした。
ご多分に漏れず、葬式や法事の時以外はお寺に行くこともなく、信心をしているような環境ではなく
影響も受けていないと思っていました。

何事も、一瞬うまくいったように見え、駄目になっていくそれの繰り返しでした。

人生なんてそんなもの。
死ぬまで楽しく生きていけばいいや

そんな風に考えていました。

自分の身近でも、ニュースを見ていても正しいことなんか何一つない
「今人殺しをしたら、悪い奴だけど 戦争中はたくさん殺せば殺すほど英雄になる」
「車を運転していて、日本では踏切の手前で一時停止しなければならないけれどアメリカのある州では一気に通り抜けないと捕まる」
「時間や場所が変われば正しさというものは変わる」
「正しいものがないのならば、法律や習慣にとらわれることなく、自分が正しいと思えばそれをやればいいんだ」

そう考え、人としては悪いことだったとしても、その場で正当化できればそれが正しいと言い聞かせて生きていました。

そういういう考えで仕事をしていると うまく回り、多少のお金が得られるようになりました。

そんなタイミングで、十五年前に居酒屋の店長をしていた冨岡副地区長と出会いました。
仕事終わりに飲みに行ったり、ライブを見に行ったり
最終的にはお互いの親を連れて鹿児島に旅行に行ったりする仲となりました。

鹿児島への旅行の時に、「これから何かが始まるようなきがするね」と二人で話した事をおぼえています。
不思議な事にその半月後、冨岡副地区長は松岡副地区長に折伏されました。


ちょうどそのころから、急に仕事が激減し、経営もうまくいかなくなりました。
このままでは父から引き継いだ会社も倒産させてしまう
そう思い、いろいろな世法的な方策を練りました。
例えば営業活動したり、近所の神社にもお参りもしていましたが
当然どんどん赤字が膨らんできます。

平成二十四年十二月に冨岡副地区長から正宗の話を聞いたときにも
「トミーはついに宗教に狂ったか?もう付き合いはほどほどにしておこう」
と思うほど私の心は荒んでいました

最初の折伏のあと仕事は、すさまじい激減をして、とうとう半年後には全くお声がかからなくなり、自殺しようと思うほどでした。
まさに浄土真宗の害毒まっしぐらでした。

平成二十五年五月に冨岡副地区長は夏期講習会の帰りに三重県鈴鹿市の自宅まで来てくれて、再度、私を折伏しました。

トミーがここまで来てくれたのは初めてのことだし、そこまでいうならばお寺に行ってみようと思いご授戒をうけました。


九州に帰った冨岡副地区長は私に電話を度々かけてきて、「謗法払いを今すぐにして」と言うので、ダンボールに家中のお札やお守りを剥がして入れ処分しました。

そして、その次に松岡副地区長と一緒にいるときに私に電話をしてきました。

松岡副地区長は「信心できてますか?」と聞いてきたので
「ぼちぼちお経読みます」
というと、突然声の調子が変わり
「植田さん!幾つだと思ってるんですか?五〇歳でしょ。もう寿命はないんですよ。すぐに年をとって動けなくなってしまうでしょ?
なんでもそうだけど、やると決めたなら一生懸命やらんですか。
そうでなければ中途半端になってこの信心が正しいのかわからなくなってしまいますよ。』
と私に厳しい事を言いました。

正直ちょっとカチンと来ましたが、
これまで何事も中途半端にした事がなかったので、今にみてろよと思いました。

その後、福岡に行く機会があり
福岡の地下鉄天神の駅で松岡副地区長に会いました。
彼女は信心の話の中で
その年の夏期講習会の資料を持ってきており、私に偶然開いたページを読み上げくれました。

そこは御書の一三一七ページの法華初心成仏抄で
『女人には五障三従といって云ふ事有るがゆえに罪深しと見えたり。
五障とは、一には梵天王、二には帝釈、三には魔王、四には転輪聖王(てんりんじょうおう)、五には仏にならずと見えたり。
また三従とは女人は幼きときは親に従ひて心にまかせず。人となりては男に従ひて心にまかせず。年よりぬれば子に従ひて心にまかせず。
加様に幼き時より老耄(ろうもう)にいたるまで三人に従ひて心にまかせず。
思ふこともいはず、見たき事もみず、聴聞したき事もきかず、
是を三従とは説くなり。

されば栄啓期(えいけいき)が三楽を立てたるにも、女人の身と生まれざるを一の楽しみといへり。
加様に内典外典にも嫌われたる女人の身なれども、此の経を読まねども書かねども身と口と意(こころ)とにうけ持(たも)ちて 殊(こと)に口に南無妙法蓮華経と唱え奉る女人は、在世の竜女・憍曇弥(きょうどんみ)・耶輪佗羅女(やしゃだらにょ)の如くに、 やすやすと仏になるべしと云ふ経なり』

それを読み上げた後で、
あ、私はこの五障三従のように生きてはいませんでした。あらゆる人に逆らってきましたから、新たに罪業を積んでしまってきたかもしれませんね。」
と言って苦笑いしていました。

それまで、私は離婚やその後の出来事で裏切るのが女性と思っていました。にもかかわらず、それを覆す話でした

そのとき、「あれ?この女性はなんか違う?」
「女性にこういうことを思わせるこの信心って正しいかもしれない」
そう思いました。

それをきっかけにして私の信心は始まったのですが、
法霑寺の勉強会や瀬口地区長をはじめ松岡副地区長・冨岡副地区長のお話を聞いていくうちに「正しいことって本当にあったんだ」
法律や習慣よりも確固たる正しい事。
この仏法が本当に正しいんだと安心しました。

悩む必要がなくなると思ったのです。
世法のころは選択肢が訪れるたびに
「正解はどっち?」と悩み
手探りのあげく十分の一くらいの確率で正解を選ぶような毎日でした。

それが仏法に照らし合わせ善知識でとらえると
悩む必要がなくなったのです。
一瞬間違った選択をしたように見えても
後で正解だったと必ず思わさせてくれる出来事が起きます

それからというもの、一度も朝夕の勤行を欠かしたことはありません。
唱題はそのころから始め、そうしているうちに折伏したいと思うようになりました
いろいろな友達に連絡して 逢える人を探していると
たまたま田辺さん親子が遊びに来てくれることになりました
「本当に幸せになれる。本当に変われるよ」
そういうお話を一生懸命させていただき
平成二五年七月四日に初めての折伏成就をいたしました。

田辺さん親子は時々登山されていますので本山でお会いされた方もいらっしゃると思います

松岡副地区長は「植田さんは歳なんだから一度でも多くの御開扉を受けるべきです」
といい、なかば強制的にその次の支部総登山の私の申し込みをしてしまいました。

お金が無くて苦しい時期でしたが鈴鹿からの本山合流なので
何とか交通費を工面して三回御開扉のあるコースで登山させていただきました。
若い女の子を連れて来るときは張り切ってきてくれるトミーもこの時は来ていませんでしたし、
私を登山に誘った松岡副地区長は二日目で帰ってしまったので三日目は一人ぼっちになり心細くおもっていました。

ところが初めてお目にかかった
古森婦人部長、坂口さん、萩さんをはじめ多くの婦人部のお姉様方に可愛がっていただき
さぁ、唱題しに行きますよと、休む暇無く唱題に連れて行ってくださいました。

(この時は、ちょっとやすもうよ。なんて心の中で思いましたが…(笑))
こうして無事に初登山を終えることができました
その時お世話になった方々本当にありがとうございました。

実はその初登山の前に妹を折伏していました。
しかし妹は聞く耳を持たず、全くこの信心をバカにしていました

初登山の時に本山で父の塔婆供養をいたしました。

下山して、もう一度妹にこの信心の話をすると驚く事に態度が変わっていました。
お題目を唱えると言い出したのです。
そして、すぐに妹のご授戒が成就しました。
建てた塔婆が父のもとに届き、父の返事が返ってきた
そう感じました
ますますこの信心の正しさに確信を持てるようになりました。

実を言えば、白蓮はこの信心がなければ生まれることのない命でした
人生なんて何が正しいかわからない。
だから死ぬまで楽しく生きていけばいいや
と考えていたころというのは、離婚して荒んだ気ままな一人暮らしをしていたころでした。

子供を育てるとか、家庭を持つとか
そういう責任を押し付けられる環境はまっぴらだと思っていました。
「子育てなんてお金もかかるしめんどくさいんだもん」
そう考えていました。

おととしの七月から松岡副地区長(これから結子といいます)
その双子の子供である慶周・徳周と一緒に住んで家庭を持つ事が出来ました。
そして今年の七月十七日に娘である白蓮が生まれ五人で一つ屋根の下に住んでいます。
はじめのうちは十五年以上一人で気楽に暮らしてきた私がうまくやっていけるか?
不安でした。妻の結子も同じことを思っていたようです。

柳坂ご住職様のご指導でもあり、大白法の七月十六日号にもあった
「大聖人様仰せの立正安国論中での国というのは、全世界、すべて残らずの人々のことであるが、 私たちにとって一番小さな一つの国とは、家庭であり、その家庭という組織で先ずは実現されるべきであろう。」
という気持ちで、家族全員で勤行唱題寺院参詣に取り組みました。

仏国土を実現させる。
それだけを考え、必死で家庭を守ってきました。
慶周も徳周もその頃からたくさんの問題を起こし大変な時期もありました。

「男は柱のごとし、女はなかわのごとし」のご金言のとおり
自分がこの家庭という一国の柱になると決意して信心すると家庭はうまく回り始めます。

はじめのころは、お金さえあれば願いが叶う、だから家庭生活よりも、とにかくお金や仕事がほしいという願いを持ってました。

けど最終的には柳坂ご住職様の『幸福の形は一つにまとまってくるのです』と言われるとおり、煩わしいはずの家庭生活そのものが

「安穏で満ち足りた生活」
となって私に訪れたのでした。

ご法主上人猊下様をはじめ柳坂ご住職様、瀬口地区長
そして、折伏の親である冨岡副地区長のご指導の通りに実践して得た幸福な生活です。

本当に感謝でいっぱいです。

この皆様の恩に報いるため、離婚した元嫁と、未だご授戒を受けていない次男の法統相続を必ず今年の内に叶えたいと思います。

そのためにも、毎月一名を目標に残り四名の折伏を必ずやり遂げると決意し、御宝前にご報告てきるよう精進いたします。

ご静聴ありがとうございました




⇒つづく(クリック)

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