今までの記事の「001:幸せの定義」から順に読んでいただくことをお勧めします。
⇒001へ(クリック)
いきなりこの記事を読んでも意味が分からないかもしれません。
普通の生活での考え方を世法と言います。
それに対して、仏道修行上の考え方を仏法と言います
たとえば、独身同士の男女が恋愛し間違って子供ができたとします
どうしても育てられないので、3カ月で堕胎したとします
それは法律上は認められていることで
法律上は問題ありません
世法的には間違ってないですね
けどそれを仏法上で考えると
既に3が月の命がありそれ殺してしまったという
大きな間違いを犯してしまってます。
そういう形で私たちは、世法・仏法という言い方をします
最近仏法を学び始めました
世法では問題ないことを仏法を学ぶまでは
いろいろしてきました
世法で問題ないように悪いことをしないように生きてきました
仏法上では非常に罪を犯してきていたことを
改めて知りました
そして仏法がどんなに優れているものなのかを
今も学んでいます
そして、これがすばらしいものということを
元嫁・元カノ・親・子供・友達みんなに話しました
結果、みんなにそっぽを向かれました
ある元カノは
「連絡してこないでね
もう一切関係ないから
さようなら」とメッセージを送ってきました
また別の元カノは
「もう心配も連絡もいらないです」
と返してきました
元嫁は
「そっとしておいてください
今後、あなたには迷惑無いように生活していきますのでお願いします」
と書いてきました
またある友達は
ラインでメッセージを送ったら
スタンプ一つで片付けられました。
親友と思っていた人は
訪ねてきてくれもしません。
ずっと一緒に仕事をしてくれると思っていた仕事仲間
はさっさと違うところに就職して、
彼がいなくなって仕事に穴があいて困っている私を助けようともしません
知り合いでは
全く返事をくれない人もいます
子供のころから人付き合いは気にして一生懸命してきたつもりだったのに
こんな状態です。
なぜでしょうか?
本当に素晴らしいものを見つけたから教えたいのに…
そのときは
「好き」だの「愛してる」だの言ってた女たちも
「おれは、お前と一生話していたい」と言ってた友達も
「すべて私の話を聞いてくれてありがとう」と言ってた女友達も
すべてメリットを考えて僕と接してくれていたんだと思いました。
心がつながっていたわけではなかったんだ。
そう思っていたのは私だけだったんだ
そう感じました。
嫁である結子は今日も元カレに会って
仏法の話をしていました
私はすごくそれが嫌なんですが、これを書いていて思ったことがあります
それは 嫁と結婚しようと思った時のことです。
それまで女性関係に疲れ切っていた私は心から女性を信じることができませんでした
女性は、言っていることが1秒後には変わるからです。
だから、僕も女性に対して今言ってることと1秒後に言っていることは
正反対のことを言ってもいいんだ。と接してきました
けど、仏法を学んで、仏様に守られている私と女性なら
そういう裏切りをされることはないだろう
まして、嫁は本当に信心してるから
仏様を裏切ることはない→僕を裏切る事もない→信じてもいい
と思いました。
だから、この女性と結婚しよう
と思いました
つまり仏法上の夫婦になり
その後、世法上の夫婦になればいいんだ。
そう思いました。
だから嫁は元カレでも友達という関係を切らないで仏法を教えているのです。
けど、これを読んでいる人たちは、必ずしも私たち夫婦のようなケースではないと思います
カップルでも、友達でも
片方が仏法に守られていて
片方が世法で生きてる
もしくは、両方とも世法で生きてる
そういう方たちもたくさん見えると思います。
それらは、結局世法上の付き合いです。
上述のように何かあれば、一気に崩れてしまう
むしろ、すでに崩れているけどメリットがあるから
付き合いを続けている
そういう関係なのです。
そういう関係がいいのであれば
そのままでいいと思います。
けど、本当に心のつながりがほしいのなら
仏法上の付き合いをできるよう
お二人とも仏法を学び信心すべきと思いました
来世まで続く関係を仏様はお約束してくださります
そう、お経に書いてあります。
世法の考え方を捨てて
仏法の考え方で生きると
すごく生きてるのが楽しくて楽ですよ。
⇒つづく(クリック)
<<あなたも私と一緒に楽しく生きてみませんか?>>
<<まずは僕と一緒にお寺に行きましょう>>
メールはsatoshiueda@mba.nifty.comまで
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いきなりこの記事を読んでも意味が分からないかもしれません。
普通の生活での考え方を世法と言います。
それに対して、仏道修行上の考え方を仏法と言います
たとえば、独身同士の男女が恋愛し間違って子供ができたとします
どうしても育てられないので、3カ月で堕胎したとします
それは法律上は認められていることで
法律上は問題ありません
世法的には間違ってないですね
けどそれを仏法上で考えると
既に3が月の命がありそれ殺してしまったという
大きな間違いを犯してしまってます。
そういう形で私たちは、世法・仏法という言い方をします
最近仏法を学び始めました
世法では問題ないことを仏法を学ぶまでは
いろいろしてきました
世法で問題ないように悪いことをしないように生きてきました
仏法上では非常に罪を犯してきていたことを
改めて知りました
そして仏法がどんなに優れているものなのかを
今も学んでいます
そして、これがすばらしいものということを
元嫁・元カノ・親・子供・友達みんなに話しました
結果、みんなにそっぽを向かれました
ある元カノは
「連絡してこないでね
もう一切関係ないから
さようなら」とメッセージを送ってきました
また別の元カノは
「もう心配も連絡もいらないです」
と返してきました
元嫁は
「そっとしておいてください
今後、あなたには迷惑無いように生活していきますのでお願いします」
と書いてきました
またある友達は
ラインでメッセージを送ったら
スタンプ一つで片付けられました。
親友と思っていた人は
訪ねてきてくれもしません。
ずっと一緒に仕事をしてくれると思っていた仕事仲間
はさっさと違うところに就職して、
彼がいなくなって仕事に穴があいて困っている私を助けようともしません
知り合いでは
全く返事をくれない人もいます
子供のころから人付き合いは気にして一生懸命してきたつもりだったのに
こんな状態です。
なぜでしょうか?
本当に素晴らしいものを見つけたから教えたいのに…
そのときは
「好き」だの「愛してる」だの言ってた女たちも
「おれは、お前と一生話していたい」と言ってた友達も
「すべて私の話を聞いてくれてありがとう」と言ってた女友達も
すべてメリットを考えて僕と接してくれていたんだと思いました。
心がつながっていたわけではなかったんだ。
そう思っていたのは私だけだったんだ
そう感じました。
嫁である結子は今日も元カレに会って
仏法の話をしていました
私はすごくそれが嫌なんですが、これを書いていて思ったことがあります
それは 嫁と結婚しようと思った時のことです。
それまで女性関係に疲れ切っていた私は心から女性を信じることができませんでした
女性は、言っていることが1秒後には変わるからです。
だから、僕も女性に対して今言ってることと1秒後に言っていることは
正反対のことを言ってもいいんだ。と接してきました
けど、仏法を学んで、仏様に守られている私と女性なら
そういう裏切りをされることはないだろう
まして、嫁は本当に信心してるから
仏様を裏切ることはない→僕を裏切る事もない→信じてもいい
と思いました。
だから、この女性と結婚しよう
と思いました
つまり仏法上の夫婦になり
その後、世法上の夫婦になればいいんだ。
そう思いました。
だから嫁は元カレでも友達という関係を切らないで仏法を教えているのです。
けど、これを読んでいる人たちは、必ずしも私たち夫婦のようなケースではないと思います
カップルでも、友達でも
片方が仏法に守られていて
片方が世法で生きてる
もしくは、両方とも世法で生きてる
そういう方たちもたくさん見えると思います。
それらは、結局世法上の付き合いです。
上述のように何かあれば、一気に崩れてしまう
むしろ、すでに崩れているけどメリットがあるから
付き合いを続けている
そういう関係なのです。
そういう関係がいいのであれば
そのままでいいと思います。
けど、本当に心のつながりがほしいのなら
仏法上の付き合いをできるよう
お二人とも仏法を学び信心すべきと思いました
来世まで続く関係を仏様はお約束してくださります
そう、お経に書いてあります。
世法の考え方を捨てて
仏法の考え方で生きると
すごく生きてるのが楽しくて楽ですよ。
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