~ RADIO TUNE ~

上質な音楽を レトロなチューンで

そんな架空のラジオ番組

あなたと地球に good vibration

植村直己さんの言葉

2015-07-29 22:42:04 | 日記
だいぶ今の状況

自身の置かれた状況に慣れたとはいえ

ちょっとしたことがきっかけで

絶望に襲われる時があります。


そんな時
 死
という文字が、あたまの中を行ったり来たりします。
 もうこれで終わりにしたい。現実から逃げたい。

先日もそんなことに襲われました。


でも、今回は
からだの中では
 くそっ、生きてやる
 何が何でも生きてやる
・・・そんなものが、からだの中にあるのことに
気付きました。


その後、植村さんのインタビューを見る機会がありました。


お名前は存じていても、その生涯、ましてやテレビに映る
動く植村さんには、記憶する限り、初めてのことだと思います。



植村さんが生きてきた軌跡は、とても輝かしいものでした。

そして、何より、朴訥とした正直さと誠実さが溢れるお話振り
に惹かれました。



北極圏12,000km、1年半におよぶ、犬ぞり・自給自足の単独行。


食べものがとれず、あまりの空腹に、子供のように思っている
犬たちすらも食べ物に見てしまうときもあったとのこと。


そのような状況で


-飢えている状態では人間の思考力や理性は低下しますか?-


その質問に植村さんは、こう、答えていらっしゃいました。


 「低下といいますか、ますます強くなるんじゃないですか」



絶対に死にたくない。
何が何でも生きてやる。


時々
備わっている「生きる力」を感じれることは、
実は幸せなのかもしれない。


自分自身を、正しく見つめて


また一歩一歩

歩んでいきたいと思います。


---*---
ご興味がある方へ。
出典は、「NHK映像ファイル あの人に会いたい 第3巻」です。
きっと図書館などにあると思います。


お月様がだいぶ丸くなりましたね。
それではまた。

安部首相と安保関連法案

2015-07-19 14:59:12 | 日記
こんにちは。 今日も日差しが強く、暑いです。


さて先日、ついに安保関連法案が衆議院で可決されました。


最近、思っていることがあるんです。



本当は、安部首相も法案を通したくないのではないか。
そのために、国民には、もっと大きな声をあげて欲しいのではないか。
国民の声が大きければ大きいほど、説得力を持って、法案を通さない理由を
世界にアピールできるのではないか。
ひょっとしたら、「日本国民は、こんなにもたくさんの人が、戦争を嫌っている」
という認知度が世界であがることで、戦争に巻き込まれることなどの抑止力になるかもしれない、と。



あくまで個人的な仮説ですけども(^^;)
こういう形でとても微力ではありますが、この仮説に則って、
私も行動してみたい、ちょっぴり勇気を出してみよう、そう思って、書いています。


この日記が、世界の平和に寄与する、一滴のしずくになれば、幸いです。


ちなみに、この法案が通ることが世界で認知されればされるほど、
個人での海外旅行への危険は、増える可能性がある、とも思っています。


実際、イラク戦争時に、中東・イエメンを旅していた私。
イエメン、アラビアンナイトのような、まさに異国情緒あふれる国。
そして、とても人が温和で、異国人を心からおもてなししてくれるイエメン人。
私の海外旅行史上、こんなにも人の優しさに触れ、感謝にあふれた旅行はあっただろうか。
イランやブータンもそうだったけど、でも、やっぱりイエメンの思い出は強烈でした。

それでも、
あるおじさん、その人だけには「なぜ日本はイラクに派遣しているんだ!早く撤退させろ!」
と、怒られました。私、日本を代表して怒られました。怖かった。


私の祖父は、満州に派遣されました。戦後、シベリアに抑留されました。
運良く日本に帰って来ました。残された家族は、もう死んだもの、と思って
いたそうです。
そんな祖父は、戦争の話を一言もしたことがありませんでした。
祖父が居た部隊の方々の手記を読んだことがあります。
祖父はそこでも、何一つ戦争の話には触れていませんでした。
それでも、同じ部隊の、ほかの方々の手記には、壮絶な話が見受けられました。
その祖父が、今生きていたら、どう思うのだろう。
祖父の思いを、子々孫々にさせて良いものだろうか。

やっぱり、そう思うのでした。


追伸
イエメンでの戦争が早く終わりますように。
イエメンで一緒に過ごしたみんなが、無事で、今日も生きていますように。

「バトン」を終えて・・・(雑感)

2015-07-17 16:00:35 | こころとからだの平和のバトン
さて、ようやくバトンを終えました。


なかなか言葉を選べないことが多々あり。

途中一時、言葉がうまく出てこなくなることもあり。


それでも。

テーマがあり
ブログという形で
発表(?)させて頂いたことは


文才の無さを痛感しつつも

思ったよりも
楽しいことでありました。


「こころとからだの平和」について
私の経験の中から、みなさんとシェアできる
内容を、と思いあぐね、書き進めて参りましたが


このテーマを意識して、日常を過ごすことになり

結果として、私自身が、一番考えさせられた
ように思います。


文書力や表現の向上(←堅苦しい・・・)とともに
「こころとからだの平和」の
意識づけとなった
私には、とても良い機会を頂きました。


改めまして

まひとさん

そして

みなさんに


感謝する次第です。


どうもありがとうございました☆


では、今日はこの辺で。

「こころとからだの平和のバトン」 三日目

2015-07-16 18:18:13 | こころとからだの平和のバトン
こんにちは。

今日は、台風で雨ですね。



さて、いよいよ三日目。


最後の今日は、もう一人のおじさんのお話です。
今回は、ここ日本のお話です。


---*---

Iさんは、私のヨガの先輩のお一人です。
Iさんの奥様も、同じくヨガの先輩です。


私が以前、ヨガの先生にくっついて、日本のあちこち
を周っていたとき、Iさんのお宅にもお世話になって
いました。


Iさんは、大柄で、がっしりとした方です。


そしていまは、交通事故の後遺症で、お身体が思うように
動かせません。


歩くときは、大きな松葉杖をついて、一歩一歩踏みしめて
歩かれます。
ときには車椅子に乗られることもあるようです。

とてもとても大変な事故だったようです。


---*---

Iさんのお宅にお邪魔しているときです。


朝、目を覚まして、リビングに向かいます。

そこには、ダイニングテーブルにゆったり座っている
Iさんが居て、


おはよう、のあと


少し間があいて・・・



 「 パン、 食べますか? 」



そう、聞いてくださるんです。



 「 コーヒーは、 飲む? 」


 「 ヨーグルト、 食べる? 」



そう言ってIさんは、
朝食を用意してくださいます。


それが、Iさんのお宅での、私の朝食風景であります。



Iさんは、ゆったりしている方です。
もちろん、お身体のことも、それに大きく寄与している
かもしれません。



でも、

いつもどこか、

楽しそうな、幸せそうな、

そういう雰囲気です。




私だけかもしれませんが、
ただ、私には、そう見えて、そう感じるのでした。



そんなある日のことです。
私は、Iさんの隣に居たときのことです。

隣では、Iさんは、いつものようにゆったりと時を
過ごしていらっしゃいました。

何か幸せそうで、
何か満たされているようで。



ふとしたとき、
ふと気がつくと、

そのIさんから、何か包まれるような温かいものが、
私にも流れて来ている、そう感じ始めました。




・・・あぁ、そうかそうか。

うんうん、そうですよね。

だから、Iさんは、そんな感じなんですよね。



きっと、本当に満たされている、という状態は、
Iさんのような状態を言うんだな、と思いました。


満たされている方から溢れるものは、
隣に居る私までも、自動的に、満たしてくれるようでした。



なんだか、Iさんが


 「ただ、生きているだけで、それでいいと思うんだよね」


そう、無言で伝えてくれているような気がしました。


いや。
そうご自身の中で、かみ締めていらっしゃる
そちらのほうが正確かもしれません。



Iさんは、このご自分が到達した状態を
誰かに自慢したい、
誰かに伝えたい、
そう思ってるようには、まったく見えないんですもん。


ただただ、それをかみ締めて
そして、日々、一瞬一瞬の中で、実践して。


Iさんを見るといつも
キラキラしていて
幸せそうです。


 ただ生きている。
 それだけで、十分素晴らしくて
 そして、こんなにも美しい。
 そして人は誰でも
 その素質を持っている。


私は、Iさんのお宅に居る時間が、とても好きです。
Iさんとの朝食の光景も、Iさんと奥様が、ふざけあって
いるのを見ているもの。


お二人がどうやって出会い、どうやって過ごし、
そして、どうやって事故を乗り越えられたのか、
私にはわかりません。


あるとき、奥様がふと、事故のときのお話を少し、
してくれたことがありました。


そのお話と、Iさんが教えてくれたこと、
それが、いまの私には、大切な大切な宝ものです。


私は、Iさんのお宅に居る時間が、とても好きです。


///

三日間、駄文・長文にお付き合い頂き、
まことにありがとうございました。

書いてみて気付いたことは、今回は「心の平和」からのアプローチが、
私の主題だったようです。

私のお話が、何かみなさんのお役に立てば、私も嬉しいです☆



さてさて。
本来であれば、ここで次のお二人をご紹介することに
なっております。

実は、あまり時間が取れなかったことなどもあり、次のお二人
は、まだ決まっておりません。

引き続き、もう少し、声をかけてみたいと思っております。
もし、次の方が決まりましたら、またこのブログでご紹介
したいと思います。

もし、そのときが来ましたら、またどうぞよろしくお願い
いたします。




改めまして、三日間、お付き合い頂きまして、
まことにありがとうございます。

また、この機会をくださった、まひとさん、どうもありがとう。



では、メッターとシャンティを込めて。
may all be happy, be happy.
hari om shanti shanti peace peace peace...
生きとしいけるものと、私が瞑想、そして真理から
得た恩恵を、分かち合えますように。

「こころとからだの平和のバトン」 二日目 (その2)

2015-07-12 15:24:09 | こころとからだの平和のバトン
***つづき***

今日はあまりに長くなってしまったので、
禁じ手かもしれませんが、二部構成とさせて頂きました(^^;)。


また、今日もインドのお話です。
何せインドって、話題に事欠きませんから(笑)


---*---

二回目のインド。
私たちは、インド第三の都市・バンガロールに居りました。


到着した日。入国審査を終え、朝方3時ごろから、夜が明けるまで
空港内で仮眠をとって待機です。
これからハードなインド旅行が待っています。少しでも休憩をとって
身も心も休ませておかなければ。。。


ちょうど近くに、トイレがありました。
インドにしては(?)、近代的で、そして割と掃除の頻度も多い、ト
イレでした。無愛想なおじさんが、二人交代で掃除をしてくれます。


まぁ、そんなたいした光景ではありません。




そして、帰り。

インドで旅を無事終え、出発のため再びバンガロール空港に戻って
参りました。

この日も、出発は明け方。しかたなく、午前12時には、空港に到着
し、行きと同じ場所で待機していたんです。



トイレに入りました。

特に何の期待もありません。すでに行きに入ってますから、中の様子
はイメージ済みです。
なんの感慨もありません。



トイレの入り口に入ったとたん、おじさんが身を乗り出して、という
か顔を乗り出してきたのです。


ひょこひょこっと。


そして、そのおじさん、



目がとてもとてもキラキラしてるんです!(笑)
正直な感想なのですが、少女マンガ以上です!(笑)


アジアや中東の子供たちって、本当に本当に目がきれいなんですけど、
実際、おじさんの目は、いままでで一番きれいに見えました。


それは、子供たちのキラキラとは異なり、
まぶしいけど、やさしい光のようでした。


いきなりのおじさん登場だったので、
「わ!」と思ったんですけど、
ここは、インド。

動揺してはいけません(笑)


私は、落ち着いたふりをして、小のほうに向かいました。


すると、
おじさんが、また、さっと顔を出して、

 「大は、いまいっぱいだよ! ごめんね!ハニー!」


とてもとても愛想良く、私にジェスチャーしてくれました。
おじさんは、私が大に向かうと思ったみたいです。
そのとき大のほうは、いっぱいだったみたいです。


そして、そこで、わかったんです。

おじさんは、「トイレ掃除の人」でした。


アジアとか中東って、制服の人を見ることって限られていることが、
往々にありまして、

たとえば警察官とか空港職員とか、公共機関の職員ぐらいは、
制服着てるんですけど、他の人って、みんな私服なんですよね。
だから、その人が、どんな職業の人かって、全然判断できない
んです(笑)


おじさんは、次から次と来る利用者の人たちに、
そしてそのほとんどである、同じインド人やアジア人たちに、


とてもとても、「心を込めて」、対応していました。




その姿を見ていると、


まるで、


 「僕のトイレに来てくれて、どうもありがとう!」


 「どうか、あなたがこのトイレで、とても素敵な時間を
  過ごせますように☆」
  


私には、そう見えたんです。


だって、おじさん、とっても目がキラキラしていて
とってもハートフルで、ホスピタリティが溢れんばかりだったんです。


もちろん、おじさんのトイレはぴっかぴかです。



私はおじさんを見ながら、その「心遣い」に心が震えて止まりませんでした。


と、同時に、心臓にナイフを突きつけられた気がしました。


そのナイフはこう言うんです、


「お前に同じことができるのか?」って。



私は、いままでの人生で、トイレのような場所で、あんなにも
愛を配る人を見たことがありませんでした。


人にとって、場所に意味なんてあるのか。
職業や名声や、そして誇りなんて、いったいなんなのか。




泥の中から生まれる蓮の花。


おじさんは、本当にそれを実践してらっしゃる方に、私には見えました。



おじさんのことを思い出すたびに、目頭が熱くなってしまいます。
と、同時に、生きることの意味を、鋭く突きつけられて、背筋が伸びる思いです。


最近、とてもとても辛いことが多い毎日ですが、
私は、おじさんのことをいつも思いだしています。
そして、もう一人のおじさんのことは、また次回に書きたいと思います。



///
すみません、また長文になってしまいました・・・。
駄文・長文にお付き合い、ありがとうございました。
残り一日、またよろしくお願いいたします☆