三千院は天台三門跡寺院の一つで、延暦年間(782~806)に最澄が比叡山の
南谷に円融房を建てたのが起源とされる。1086年坂本梶井の里に白河天皇の中宮
藤原賢子の菩提を弔うため円徳院を建立。1130年堀川天皇の皇子が円徳院の門主
となり、門跡寺院となり梶井門跡と言った。1232年焼失し京都へ本坊を建立、
大原は修行道場となる、明治維新後本坊を移して三千院と称した。
1896年に境外仏堂となっていた往生極楽院を三千院に移し本堂とした。
山門
宸殿 虹の間(下村観山の絵)より往生極楽院を望む。
苔の庭、瑠璃光園
庭園 有清園の童地蔵達
本堂の往生極楽院阿弥陀堂(国重文)は1148年の建立。
宝泉院 勝林院の塔頭で1185年に創建された。
山門を入り、目に入るのが近江富士と言われる五葉の松(樹齢600年位)と。
額縁庭園と言われる窓。
南谷に円融房を建てたのが起源とされる。1086年坂本梶井の里に白河天皇の中宮
藤原賢子の菩提を弔うため円徳院を建立。1130年堀川天皇の皇子が円徳院の門主
となり、門跡寺院となり梶井門跡と言った。1232年焼失し京都へ本坊を建立、
大原は修行道場となる、明治維新後本坊を移して三千院と称した。
1896年に境外仏堂となっていた往生極楽院を三千院に移し本堂とした。
山門
宸殿 虹の間(下村観山の絵)より往生極楽院を望む。
苔の庭、瑠璃光園
庭園 有清園の童地蔵達
本堂の往生極楽院阿弥陀堂(国重文)は1148年の建立。
宝泉院 勝林院の塔頭で1185年に創建された。
山門を入り、目に入るのが近江富士と言われる五葉の松(樹齢600年位)と。
額縁庭園と言われる窓。