有栖川宮家は、伏見宮、桂宮、閑院宮、とともに「四親王家」の一つ。
1625年の後陽成天皇の第7皇子・好仁親王によって京都御所建礼門の前に建てられて
いましたが、京都裁判所の仮庁舎等として使用され、後に現在の地へ移築された。
表門(平唐門)は三井一族の総長三井高保氏が1912年に邸宅の表門として建てた。
1952年に京都地方裁判所所長官舎表門として購入し現在地へ移築したもの。
青天門
1952年当時の所長石田寿氏と親交のあった歌人吉井勇が李白の詩から字をとって
この門を「青天門」と名ずけたと。吉井勇の書いた名。
玄関廻り
玄関
屋敷は「書院造り」で中庭を囲む「玄関棟」「住居棟」「客間棟」の三つの棟で構成され
「上段の間」や「能舞台」の間があります。
庭園は2009年「植治」こと十一代目小川治兵衛が「平成の植治の庭」として作庭。
1625年の後陽成天皇の第7皇子・好仁親王によって京都御所建礼門の前に建てられて
いましたが、京都裁判所の仮庁舎等として使用され、後に現在の地へ移築された。
表門(平唐門)は三井一族の総長三井高保氏が1912年に邸宅の表門として建てた。
1952年に京都地方裁判所所長官舎表門として購入し現在地へ移築したもの。
青天門
1952年当時の所長石田寿氏と親交のあった歌人吉井勇が李白の詩から字をとって
この門を「青天門」と名ずけたと。吉井勇の書いた名。
玄関廻り
玄関
屋敷は「書院造り」で中庭を囲む「玄関棟」「住居棟」「客間棟」の三つの棟で構成され
「上段の間」や「能舞台」の間があります。
庭園は2009年「植治」こと十一代目小川治兵衛が「平成の植治の庭」として作庭。