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演出ノート その1

2011年02月12日 21時54分35秒 | Weblog
今回の公演を振り返り、演出よりの所感を掲載いたします。ご意見歓迎。


1、はじめに・・・なぜ演出ノートなのか
 
「リトル・プリンセス」の公演を終えた。今回も、すばらしい一人一人の
スタッフの力とチームワークで、また、子どもたちや親たちのがんばりの
おかげで、緊張感のあるいい舞台を作ることができたのではないかと
自画自賛している。
 終わって、ゆっくりしている暇などないのはみんな同じで、それぞれの
職場や家庭でまた奮闘しているのであろう。

 あの場面は、よかった。あのせりふは、真実だ。普遍性があった。
・・・音楽や照明が頭から離れない・・・舞台を終えた余韻からまだ
離れられない。そして、来年、どんな舞台ができるだろう。来年も、
公演はできるのだろうか。そんな不安が胸をよぎる。

 演出をするというと大げさに聞こえるかも知れない。でも、自分にも
できた。というより、こんなことしかできないといったほうが合っている。
道具を作るなんて到底できないし、照明なんてお手上げ。「こんなふうに
して。」とやかましく注文をつけるのが、自分には精一杯なのだ。(教師
の業なのか・・・。)
 とかく、演出というのは分かりにくい仕事と思う。なんとなく、
それも単なる演出者の好みで、演技や装置の良し悪しを判断しているようで、
居心地の悪さを感じてしまう。だいたい演出なんて仕事は、長い演劇史に
おいては比較的新しい分野だそうだ。演出なんてなくても、芝居はできる
のだ。近代になって、人間の心理を描くという意味で舞台作りが複雑に
なったことから、交通整理みたいな感じで必要になってきたそうだ。

 わたしは、演出について本格的に学んだわけではないが、「わたし」を
越えたところで演出したいと思う。演出にはある程度、必然性や普遍性が
必要だ。今回の舞台で、それは具体的にどういうことだったのか。
 質の高い舞台を作るためには、経験豊かなスタッフとやる気が必要。
経験は蓄積が必要だが、これが課題だ。今回動けたスタッフがこれから
ずうっと動けるとは限らない。長く続けるのならば、「今回は、わたしが
やります。」と誰かが必ず動ける環境を作る必要がある。

 平田オリザが「演出ノート」を書いたように、わたしも稚拙ながら
「演出ノート」を書いて、経験の蓄積の足しにしたいと考え、ワープロに
向かっている。