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演出ノート その7

2011年02月20日 21時16分05秒 | Weblog
7、演出しながら見えてきたもの

 
 脚本を書いたのは8月だったから、約半年間「リトル・プリンセス」の
台本と付き合うことになった。同じせりふを何度も何度も繰り返し
子どもたちと一緒にしゃべったり、演じたりする中で、書いたときには
分かっていなかったことに気づくことがあちこちであった。

 たとえば、ねずみのメルキセデック。始めは、鳴く声だけの存在に
しようと考えていたが、実物(に近いもの)にした。演出しているうちに、
ねずみは、セアラの孤独の深さを物語っていること、飢えて、
さげすまされているもの同士、共感できる存在となっていること、
飢えているにもかかわらず、他者に与えるセアラの慈愛、メルキセデックなど
というたいそうな名前をつける想像力などがこの場面に集約されている
と感じた。だから、「もう死んでしまうかもしれない。」というぎりぎり
まで追い詰められたとき、飢えたねずみをなでているのは、自分をなでて
いるのと同じなのだと言える。書いているときには、ここまで考えて
いなかった。繰り返しやってきたことで見えてきたことだった。
 
 「不幸は人をためすって言うけれど、わたしの不幸は、あなたがどんなに
いい人か教えてくれたのね。」セアラのせりふ。
劇作りの途中、苦しい思いにとらわれることがあった。こんなにスタッフが
苦労しているのに、親たちは無関心。自分たちはいろんなことを犠牲にして
いるのに、と。そう思うにつけ、セアラが言うとおり、自分の小ささを
教えられた。

 数学者の森毅さん(京都大学教授)の言葉になるほどと思う。「努力は
必ず報われる。なんて、間違った道徳観を子どもたちは持っている。
正しくは、努力は報われることもあれば、報われないこともある。
努力は道楽と思ってやれと学生に教えている。」

 考えが甘かったと反省。芝居作りという最高の道楽をさせてもらって
いる、この道楽のおかげで、どれだけの幸福をいただいていることか・・・。