Toshichanの独り言

海外、国内旅行の旅日記。私の俳句手帳、などなど筆の進むままに書き連ねてまいります。

能について、芝能に行きました

2012年03月19日 | イベント
能とは何か
 白洲正子が随筆「舞終えて」(ワイアンドエフ社)で「能」について適格に述べられている。彼女は若かりし頃能を学び能を舞った。当時としては極めて珍しいことであったらしい。詳細はそれを参照してほしいのですが要約すると次の通りである。

1、能は元々神、仏に対しての捧げものである。当初は役者など演者は神、仏に向いて舞い、見物はその後、横から能を見物すると共に、共に神に奉納することが原形であったそうである。

2、能は「ツレ、囃子、地謡、見物」がそれぞれ役割を担ってシテを舞わせることを目的にしている。

3、役者はそれぞれシテ、ワキ、ツレの役割を担うが、もちろん主役は舞うシテである。しかし、ワキの役割も大きい。ワキは能のある意味での進行役で、シテを舞台に呼び出し、シテをなんとか舞う気にさせ、シテが舞いだしたら舞を見守る役であり、なくてはならない存在である。

 4、能は前段と後段の二部構成である。能は人間と人間の超えたもの、現実と現実世界を超えたものの戦い、対立を描いている。前段の人間(前シテ)が変身して後段では人間を超えたもの(後シテ)となる。
 人間を超えたものとは例えば「幽霊」「鬼」「竜神」人間でも「神懸り」「狂人」「盲目」へ変身する。

今まで何回も能を見物したが、いまいち能と言うものが理解できなかった。上述の白洲正子の本を読んで能の本質を垣間見た気がする。

3/17に芝能を見に行きました。
芝能と言うのは毎年3月に行われており、今年で34回目だそうだ。奈良県とNPO法人奈良能が主催しておられる。ここまで続けられたことに頭が下がる思いである。これは昔、修二会が終わった三月後半薪能をやっていたが、それを復活する意味で芝の上で能を演ずることを戦後始められたと言う。
今年は前日相当の雨が降り芝が濡れているので残念ながら奈良県民会館小ホールで能の公演が行われた。
今年は金春流が出番で、演目は「仕舞」熊坂、「狂言」土筆「能」羽衣で、能のシテは金春欣三が勤めた。私個人の感想であるが、今回のシテはもう一つ元気がないというか、舞いに力がなかったように見受けられ残念であった。

前段の1時間は、主に本日使う面(小面)とその関連の面の解説で、シテがつける「小面(こおもて)」(20歳未満)の面と、少し年増の「若女」(20歳過ぎ)、そして「増女(ぞうおんな)」(若女より少し年増、神々しい)の実物でそれらの違いを教えて頂くと共に、一つの面でも仕草により、泣いたり笑ったりの表情が使い分けられることなど興味深かった。
なお、奈良に住んでいてよかったと思ったことは、「能」の公演を見物するには普通5千円以上の料金がかかるが、奈良は能の発祥に地であることこともあり、神社、寺への奉納の能が催されていてこれは全て無料であること、また金春、観世、宝生、金剛流が同時に、また変わる変わる演じることも他に例がないことなどである。
 例えば4/2の薬師寺の修二会では「百華能」が奉納されるし、4/10の大神神社では「春の大神祭後宴能」があり、5/2には「東大寺盧舎那大仏慶讃能」、その他にも色々催される。今年は是非とも数多く見物したいと思っている。
 皆さんも機会を作り是非とも見物されることをお勧めします。



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