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10月の追憶

2015年11月26日 | ダイヤのA テキスト

カーテンを開けると柔らかな陽光が白一色の部屋の奥まで入ってくる。

秋晴れの気持ちいい天気に部屋に閉じこもっているしかない身が切ない 。

「だから、入院なんて羽目になるのよ。」

 悔しげな表情に不平不満を見越した叔母が口角をあげて嫌味を言う。下手に野放しにすればみはりがないのをいいことに動き回ると見こされたのだろう。秋大終了後、特に必要があるとも思われないのに俺は3日の入院を強要された。 「ほんっと、姉さんそっくりよね。見た目だけじゃなく性格も。」

 「…すいませんね。」 さすがの俺も口でこの叔母にかなうとは思わない。大人しく形だけの謝罪を口にするが、当然、こちらの内心など気付いているだろう。

「姉さんもプライドが高いというか、意地っ張りと言うか…。もともと体が弱かったからかずを生む時だって皆に反対されたのを『やりたいことを我慢してただ、80まで生きるより、80まで生きる元気な子を産んで30で死んでもそのほうがいい』って。生んだ後もそれ見たことかと、まあ、言う人もいないでしょうけど、下手に体調を崩して弱みを見せるのが嫌だったんでしょうね。あなたが小学校に入学するまで病院にも寄り付かなくて、やっと病院に検査に行ったと思ったら即、入院だもんね。」

辛辣にケラケラ笑いながら言ってのける。だけどこの人が母の葬儀に一言もしゃべらず、唇をかみしめていたのを知っているから、自分も平静な気持ちで聞くことができる。つらかったあの頃、何をするでもなくただ、毎日のように御幸家を訪ねてくれたのもこの人だった。

「私もね、悔しかったのよ。姉さんが最後に、『意地を張らずにもっと早く病院に来てれば、もっと長く一也のそばにいれたかもね。』って言ったとき、私だって無理やりにでもそうさせていればって思ったのよ。」

 一転してしんみりした口調でこぼす。葬儀の時の表情は、悲しみだけではなく悔しさからのものだったのか。

 「かずも、あなたに何かあったら自分だけじゃなく周りのみんなにも悔しい思いをさせるってことちゃんと分ってなさいよね。」

「…ごめん。分ってる。」

クリス先輩の故障のとき、丹波さんや監督も気づいてやれなかったと自分を責めていた。自分を頼ってくれる、信じてくれるということは逆に仲間をも苦しめ傷つけるということだ。先輩には及ばなくても自分に何かあって一生、あるいは一年でも、野球ができなくなっていたら投手たちや倉持や監督にもその責を負わせるということだ。

「俺は、キャプテン失格だな。」

「そうよぉ、かずなんかいなくたって青道野球部はちゃんとやっていけるんだから、万全じゃない状態で試合に出るほうがよっぽど迷惑よ。」

「叔母さん…それは、あんまりじゃ。」

「あっらぁ、あなた、今更自分のおかげで勝てたとか思ってないわよね。薬師戦でチャンスに打てなかったのはどこのどなたでしたっけ、盗塁を防げなかったのは?勝てたのはバックの支えと投手の踏ん張りのおかげよね。」 「…その、通りです。」

 同族嫌悪というか、なんというか。この人は、本当に、苦手だ。

ちらりと外を見て、「まあ、愛されているのは確かね。」と口調を和らげる。そして、「私と旦那の会社のみんなから頼まれたの。どうせ暇でしょうからサインを書いておいてね。」とカバンから色紙の束を取り出した。

 三日間だけの予定だったから、監督には部員に入院先を知らせないよう頼んでおいた。スコアブックも取り上げられて本当に何もすることのない状態を楽しむこともできず、ぼんやりと外を眺める。こんなとき自分の無趣味さ加減にほとほとうんざりする。天才捕手などと持ち上げられても実際、野球を取り上げられたらとんだぬれ落ち葉だ。

 河川敷のグラウンドでは小さな子供たちが野球をしている。 この病院は母が入院していた病院でもある。そしてあの河川敷のグラウンドは俺が野球と出会った場所でもあった。  母が入院しているときは週末には父に連れられてここに来た。小学生の俺は母に会えるのは楽しみだったが、長く病室にいると疲れた様子や、細い体に気づかされ見舞いに来ても最初に一目会ってすぐ待合や外に出ていってしまうようになった。

 入退院を繰り返し、俺が小学2年のときの母の誕生日は病院で過ごすことになっていた。父は、オレンジのラッピングにワインレッドのリボンの施されたプレゼントをいつも通りの仏頂面で手渡した。何を渡せば喜んでもらえるかわからないからと父はだいたいプレゼントは直接何がほしいか聞いてしまうタイプの人でこの時も母からのリクエストだったのだろう。 中身の分ったものを(しかも母は、丁寧でかわいらしいラッピングでもばりばり破いてしまうタイプの人だった)包むことに意味があるのか、父が「妻の誕生日プレゼントなので包んでください。」と頼んでいる姿を想像すれば、中身が中身だったので、今思うと楽しい。

「ありがとう。」と言いながら対照的に満面の笑みを浮かべた母が、包装紙から取り出したのは、グローブとボール、だった。彼女が野球好きなことは、家では一緒に中継は欠かさず見ていたし、自分の名前が何でも野球関係の大好きな人の名前からとったと(サッカーではないらしい)聞いていたので知っていたけれど、野球をしたいと、あるいはできるとは思ってもいなかった。

「お父さん?」 俺としては何か、間違ったものを買ってしまったのではないかと思い、注意したほうがいいかと父の手を引っ張った。

だが、母は、 「一也。お父さんからのプレゼントには続きがあるの。」 相変わらず幸せそうな笑みを浮かべている。 「あそこの河川敷のグラウンドを使ってる野球チームに一也の入部を申し込んでおいたの。お父さんからの私の誕生日のプレゼントは野球をしている一也なの。」

 せっかく会いに来ても姿を消してしまう息子を遠くからでも見ていたかったのか。性格も厄介なうえ休日には病院通いで友達もなかなか作れない俺を見かねたのか。

 父の手ごと俺の右手を引きよせ、グローブとボールを渡された。  

 翌日改めて父に連れられてグラウンドにやってきた俺は、監督からチームメイトに紹介される。

「今日から仲間になる御幸一也君。2年生だ。」  

監督は近所の少し野球をやっていたというおじさんで、チームメイトも病院のスタッフの子供とか、あくまで楽しく野球をしているチームだったので中途半端な時期の入部な上、生意気な子供であったはずの俺は皆に暖かく迎えられた。

「えーっと、ポジションは何か希望あるかい?」

 「…キャッチャーがいいです。」

 「キャッチャー?御幸君は経験者なのかい?」

それまで運動らしい運動もしておらずどちらかと言えば小さかった俺には向かないポジションだったと思う。

「いえ、ないですけど。」

「そう、まあ、いいか。頑張ってね。」

理由を追及されなかったのは助かった。今になればこれほど面白い場所はないと答えられるが、経験のないあの時、俺はただその場所、が良かったのだ。  

そこからならずっと病室が見えた。  

母が、遠くから自分を見守っているのを確かめられた。

 結局、すぐに捕手と言うおいしいポジションを手に入れ、せっかくのグローブは、ほとんど使われることなくどこかにしまい込まれた。母のものはすべて大切にとっておいてあるはずだからあの、すでにサイズも合わないグローブも父の思い出とともにどこかにしまわれているのだろう。

 

 試合が近いのだろうか。自分がいたころは土、日しか練習していなかったはずだが、…もしかして平日もあったのにこちらの都合を考えて土日だけということにされていたのだろうか、河川敷のグラウンドでは小学生たちが野球の練習をしている。  

キャッチャーボックスの子供は、練習に夢中でもちろんこちらを見ることなどない。

「どんな気持ちだったのかな。」

愛されていたことは間違いないが、今になっても母がどんな思いで自分を見つめていたか正確なところは分らない。手を差し伸べられない、見守るしかない悔しさは、しかしこれから三週間いやでも味あわされる。  

見守る。それしかできないと思っているが、見守られている側は、それがどれほど心強いかも、自分は知っている。 「がんばれ。」

 泥まみれになって走る子供たちにエールを送る。結果を残す必要はない。ただ、自分の心に後悔が残らないように。 「がんばれ。」

 多分、母さんも、俺には聞こえないよう、遠くから声をかけていたのだろう。切り取られた窓の向こうでいつだって微笑みを浮かべていた。  

まったく、悔しいくらいいい天気だ。

 ほんのわずか目線をあげれば土手にひょろりと長い影があった。父兄ならグラウンドのそばまで下りているし、平日のこの時間は付き添いは母親ばかりだ。もしや、変質者?と目を凝らせば。

「降谷?なにしてんの、あいつ。」

 口にしてから降谷の祖父の家がこのあたりだったことを思い出す。入寮前の現住所を記載した書類に見覚えのある地名を見て懐かしくなった覚えがある。

自分と同じく練習禁止令が出ているから空いた時間に試合を応援に来てくれた祖父母に礼でも言いに来たのかもしれない。それにしても、駅からだとかなりの距離がある。練習禁止でも歩き回ることはいいとか思ってんじゃないだろうな。  

そういえば叔母が外を見て何やら気持ちの悪いことを言っていた。あの時からずっといたとすれば実は迷子になってんじゃないのか?叔母は降谷が見舞いに来たとでも思ったようだが入院先は教えていない。野生のカンでもないだろうから、俺がここにいることは知らないはずだ。

「まったく、バカばっかりだ。」

 上着を羽織り、ベッドの下からスニーカーを引っ張り出す。

 橋を渡って普通に近づいても降谷は気付かない。さすがに小学生相手ではマウンドを奪おうという気にはならないようで静かにじっと小さなピッチャーを見つめている。実は立ったまま寝こけてんじゃないかといささか心配になって背後から覗き込むように降谷の視線に入り込んだ。

「あ、」 と呟きとしか思えない言葉を漏らす。

これがこいつの最大級の驚愕クラスの悲鳴だ。なんだか驚かしがいがない。沢村とセットでバランスが取れている、と言うべきか。

「御幸せんぱい。何してるんですか?」

「それは、こっちのセリフだ。」

「練習を見学してます。」

 いや、いや、そうじゃなくて。この天然にはもっと直接的な聞き方をしたほうが良かった。

 「帰り道、分ってるか?」

「…。」

こいつが黙り込むパターンは、答えたくない、でも嘘はつけないとき、だ。つまり、迷子になってます、が正解だ。 「あっちの病院からならバスが出てるからそれに乗って帰れ。」言いながら指さす。

 視線を指の先に向け、「びょういん。」とのとりと呟く。

教えるつもりはなかったのだが、まずっただろうか。この天然は、妙なところで、多分野生のカンだけは鋭い。

 「御幸せんぱいの入院している病院ですか。」

 「うっ。そうだけど、明日には退院するからな。グラブとボール持ってきてここならばれません、球受けてください、とか、なしだからな。」

とたんにはっとした顔をする。もしかしてそれがあったか、とか思ってないよな。

「言いません。こう見えても僕、気付いたことを気付かない振りするのは得意です。」

感情は、ダダ漏れだけどな。  降谷が視線をグラウンドの戻したので俺も、子供たちを見下ろす。

 「お前が昔この辺に住んでたなら俺とも小学生のころあってるかもな。」

「この辺に、住んでました、けど。」

「この河川敷は俺が小学生のころ野球をしていたチームの本拠地だから。」

「…声をかけてくれればよかったのに。」

「ははっ。さすがにそれは無理だわ。」

 マウンドの降谷はその気配が周りを巻き込むほどなのにこうしてぽつりと立っているときはとても穏やかで、安らかだ。意外に普段のほうがただ、そばにいるだけで落ち着くし安心できる。すべてをマウンドにかけているといっても過言ではない。

「…助かった。」

今なら素直に感謝の言葉を伝えられるかと口にしてみたがさすがに『ありがとう。』とは言えなかった。 やはり降谷は不思議そうな顔でそらすことなく俺を見る。

「薬師戦でお前には我慢させちまった。散々じらされてやっと手に入れた1イニングだ。おまけに相手が轟なら三島を歩かせても対戦したかったろ。」

 3人で完璧に抑える。エースとしての自分と投手としての自分、それは必ずイコールでつながるものではない。いずれエースであることに息苦しさを感じるようになるかもしれない。もう少し、楽しく野球をさせてやりたかった。だがあの時は自分にも余裕がなさすぎた。  

結果オーライではあったが、ほんと俺ってばキャプテンの器じゃねえわ。

「僕はエースだし…もし、同点になってたら御幸せんぱい、大丈夫じゃないでしょ。そんな危ないことしません。」 マウンドではあれだけ堂々としていたのに抑える自信があったわけではないのか。まあ、あの状況ならそうかもしれない。

「でも、ほんと…。」

 「沢村でも同じことをしたと思います。それなのに彼を退けて出てきた僕がわがままを言うわけないでしょ。抑えるためにマウンドを奪ったんだから。」

当然だと思っているのだろう。確かに俺のためでもあったんだろうけど、沢村に対しても一歩も引けないとの意地か。  ちゃんとエースだと褒めれば感謝を伝えるよりよほどこいつは喜ぶだろう。 …だけど、言わないでおこう。そうすればもっとずっと先に進める。

「冷えるぞ。バス停まで送るからおとなしく今日は帰れ。」

こくりと頷く。 別れ際、はおっていたカーディガンを降谷に着せると「人質ですね。」とよくわからないことを言った。元気に帰ってきてくださいね、ということだと思っておこう。

神宮では俺ではないバッテリーで戦うのだ。ちょっとばかし、いや、かなり、悔しい。まるで、これが、子供をの成長を見守る親の気持ちだろうか…。

おいていくな。俺だったまだまだ途中なんだ。

                                      END


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